心理カウンセラーの風湖です。



 昨日、ヒューマンアカデミー本部の優秀講師賞の表彰式がありました。
 コロナ禍の中、史上初といわれるオンラインでの表彰式は、私にとってもとても貴重な体験となりました。



 人は、自分の信じた道を喜んで誰かのために生きていれば、やがて想像もできないほどの嬉しいことが向こうからやってくるのだなぁと実感しました。
 皆さん、本当にありがとうございました。



 というわけで、今日はとても不思議で幸せな気持ちですので、誰も信じられないファンタジーの話をしたいと思います。



 それは昔、旅行に行った際に聞いたお話です。



 オーストラリアの先住民・アボリジニの神話からヒンズー教の精緻な教義に至るまで、古代より世界各地において、人間は死後に魂が違う領域へと向かった後に、再び肉体を得て戻ってくる、という考え方や信仰が多く見受けられます。




 つまり、人の死は絶対的なものではなく、魂がその後生まれ変わることを想定した、これらの死生観は世界中のあちこちの人々の中に存在するのです。




 現に、「過去生療法」という精神分析治療があります。




 人間の心には、本人が自分で意識することの出来ない、「無意識」の領域があるのはご存知ですよね。
 



 何らかの原因で負った心の傷(トラウマ)が、おさえつけられたままでその無意識の領域にたくわえられ、「神経症の症状」という「隠れ蓑」をかぶって表面にあらわれるという考え方からくる療法なのです。




 これまでの精神分析では、自由連想法や夢分析などによって、無意識の領域にたくわえられた幼稚体験をさぐって治療に役立ててきましたが、「過去生療法」ではこれを一歩進め、催眠を用いて過去の人生にまでさかのぼらせて原因を探るというわけです。



 
 ところで、自分がこの世に生まれてきた理由を考えたことはありますか。




 ある専門家によると、私たち人間がこの世に生まれてきたのは、人間に愛を運ぶ為、つまり「人間関係」を学ぶ為なのであると言われているそうです。




 例えば、自分と両親の間に重大な問題が横たわっているならば、まさにそれを解く事が、あなたが自分に与えた問題であり、挑戦すべき課題なのです。




 親と子の間の問題については、親の方があなたを選んだのではなく、あなたのほうがその親を自分の意志で選んだのだという研究者もいます。
 



 「ママに会う為に生まれてきたんだよ」
 「私、お母さんのところに生まれるって知っていたから」



 赤ちゃんは、自分がどのお母さんのもとへ生まれていくか、「知って」いるのだそうです。
 つまり、自分の意思で自分の両親のもとに生まれることを選んだのです。




 最終的には自分の意思で「必要なことを学ぶ為に最適な環境を与えてくれる両親」を選んだのですね。




 私たちは、この世という修行の場に、何度も何度も繰り返し来訪しては、愛すること、許すこと、感謝することの大切さを学ふのだと考えると、まわりの人々全てに感謝することも出来ますよね。




 「人生とは、いわば、生まれる前に自分で作成しておいた問題集のようなものなのです。
 それぞれの問題を解く事ができなくても、正解は問題集を終えるまで見てはならないのです。」




 そのように考えることが出来たら、自分の親の言動が許せないという方でも、自分の生まれた意味がわからないと思う方でも、それが自分への課題だと受け取ることが出来るのではないでしょうか。




 人生という問題集を最後までやりとげた時、初めて私たちは自分で用意しておいた正解と照らし合わせ、自分の成長度を自己評価する事ができます。



 そしてまた、解けなかった問題を解く為に、あるいは一段と難しい問題を解く為に、自分自身で新たな問題集を編み、それをたずさえてこの世という修行という場を再訪するのだそうですよ。



 人生は自分自身が自分に与えた問題集であり、予定通りの試験であると考えれば、誰のせいにもできなくなってしまいます。




 すべては、その現実から出発するのです。
 自分が自分に与えたのならば、これほど「仕方がないこと」はありません。



 そう言われると、中には「どうして自分はこんなに過酷な試練を計画して生まれてきたのだろう」と、自分自身の「無謀さ」を恨む方もいらっしゃるかもしれません。



 
 その無謀さは、裏を返せば「自分は、それほど困難な課題に挑戦することを選んだほど、勇気あるチャレンジャーなのだ」という誇りにもなるのです。




 私は、宗教家ではありませんし、専門家でもありませんが、人間が生きていくことに対していかに楽になり、人間の生きる意味を探るためには、このような世界観を持つことも、ある意味では必要なのではないかと思っています。



 私の課題は、まだまだ終わりではありません。
 多くの皆さんに、癒しの言葉を届けていきたいというのが私の課題であり目標なのです。