心理カウンセラーの風湖です。



 「人」という漢字は、2本の棒が寄り添うように立て掛け合っています。
 どちらが欠けても倒れてしまいます。



 小学校の先生に、そう教えていただいた記憶があります。



 人は1人では生きていけません。
 本能として他者との関係性、つまりコミュニケーションを欲しているのです。



 先日、ある生徒さんが、「先生、昨日見たテレビ番組で、評論家の女性が、赤ちゃんに話しかけないと2歳になる前に死んでしまうって言っていましたよ。」と、目を丸くして教えて下さいました。



 それは、人からコミュニケーションを奪ったらどうなるかという大胆な実験を行なった結果です。

 それを行った人は、医療分業を推進したことでも有名な神聖ローマ皇帝フリードリッヒ2世でした。



 皇帝は、身寄りのない赤ちゃんを集めて侍女に育てさせました。
 彼の興味は「言語の起源」でした。



 人は言葉を習わなくても話すようになるのでしょうか。
 侍女たちは母乳やオムツや入浴などの最低限の世話は許されましたが、赤ちゃんに話しかけることは禁じられました。



 結果、2歳になる前、つまり言葉をキチンと覚える前に、全員が死んでしまったというのですね。



 動物達は栄養と衛生状態が満たされていれば、成長過程で死ぬことはありません。
 一頭で飼育された動物を見れば納得出来るでしょう。



 一方、人は肉体的に健康であっても、1人で生きていくのが難しいようなのです。



 人の脳には、食欲と同じように関係性欲求の本能も強く備わっているのです。
 他人とのコミュニケーションを本能的に欲するのですね。



 今ではメールやSNSを通じて容易に他人とつながることができます。
 しかし、このコミュニケーションを求める本能は、ブレーキも虚弱なのです。
 その結果、SNS依存症が成立するのです。



 常に他人とつながっていないと不安を感じたり、すぐにメールの返信が来ないと怒りを感じてしまいます。
 やがて気づけば、スマホ依存症やネット依存症に陥ってしまうのですね。



 このようなSNSの習慣病への対応は、まだ遅れているような気がします。
 いや、そもそも本人が自分が「病気」であることを認識してはいないのかもしれません。



 人にとってのコミュニケーションとはなんなのかでしょうか。
 「人」という漢字は、「さりげなく支え合っている」ところが良いと思うのですが。



 19世期のフランスを代表する小説家、オノレ・ド・バルザックの言葉を引用します。



 「孤独はいいものだという事を認めざるを得ない。けれども、孤独はいいものだと話し合う事のできる相手を持つことも喜びである。」



 一人暮らしの私は、深く共感します。