心理カウンセラーの風湖です。



 今日から10月ですね。
 今年は本当にさまざまな出来事があって、季節の移り変わりに気づくことも出来ないまま、過ぎていってしまうような気がします。



 そんなさまざまな出来事に対する喜びや悲しみや、怒りや恐れなどの感情も、時代の流れにおされて素直に感じることが出来ないまま、なんとなく日々を過ごしていて辛いと思われている方も多いのではないでしょうか。



 本当に時の流れというものは早いものです。




 「行雲流水」という言葉があります。




 この言葉は、中国から来た言葉です。
 物事に執着せずに、事の成り行きに任せて行動するという意味の四字熟語です。
「行雲」は空を移動する雲、「流水」は川を流れる水を表す言葉です。



 雲は悠然と晴れた空に浮かんでいます。
 しかも留まることはありません。
 水もまた絶えることはありません。
 川の水はさらさらと流れて、これもまた留まることはありません。




 「行雲流水」は、自然現象ですから、空を行く雲も、川を流れる水も、一時も同じ状態でいることがないのはわかっているのですが、私達はそんな現象でさえも虚しく、悲しく感じる時があります。




 しかし、雲の形は一瞬一瞬で変わりますし、流れる水も常に変化して様々な表情があり、そんな姿が私達を楽しませてくれるのも事実なのです。




 ですからある意味ではこの「行雲流水」の言葉は、現実社会の常を表した言葉でもあるのでしょう。



 つまり、それはそのまま私達の人生にも通じる言葉なのかもしれませんね。




 雲には、優しい風の日ばかりではありません。
 とても強くて吹き飛ばしてしまう風の日も、不安を掻き立てるような台風の季節もあります。



 水の流れにも瀬があり、曲がりくねるようなゆったりとした流れもあれば、真っ直ぐで押し流されるような強い流れもあるのです。



 人生と似ていますね。
 人生も、順風満帆の日ばかりなんてあり得ませんから。



 どんなに障害があって、喜怒哀楽さまざまな出来事の連続の中にあっても、常に心は止まらず、執着せず、雲のように無心に、淡々と爽やかに生きたいと願う時、私はこの言葉をいつも心に思い浮かべます。




 照りつけるような厳しい夏の暑さからやっと解放されて、10月に入り、朝早く目覚めてカーテンを開けて空を見上げる時、その高い空から爽やかな空気を感じる今の季節になると、やがて来る年末までの短い秋の日々の流れに鬱々とすることなく、希望を持って生きていきたいと願ってやみません。



 自分の子供達が巣立ち、私の手を離れていく現実を受け入れて、ひとりの女性として生きていくためには、つい泣きべそをかきたい気持ちを抑えつつ、母としては60点くらいだったかなと自己評価しながら空を見上げて、そこに留まらずに流れていく決意を胸いっぱいに吸い込みます。



 また逆に、これからも私を親切に慕ってくれる多くの人達の応援に感謝しながら、生きていきたいと思っています。



 今思う「行雲流水」とは、そんな幸せな人生にもこれから受けるであろう雨風や嵐、どんな苦楽も嫌わず、嫌がらずに受け入れて、人生の栄養としていくおおらかな心でいたいと思います。



 「思えば遠くへ来たもんだ。」
 流れに逆らわすに、導かれるまま歩いて来た結果、私は今、東京のど真ん中で佇み生きています。



 これからどんどん寒い季節になって、空気が澄んでくると、通勤の電車の窓からかすかに見える故郷の方向にそびえ立つ富士山のように、悠然と生きていきたいと願って迎える神無月です。