心理カウンセラーの風湖です。


 突然ですが、妖怪の存在は信じますか。
 (私は凡人ですからスピリチュアル的な事は全くわかりませんが。)



 中でも「座敷童」は、人に幸運をもたらす妖怪として知られているようです。



  有名な柳田国男の「遠野物語」にも座敷童が登場し、次のようなエピソードがあります。



 「土淵村大字飯豊(イイデ)の今淵(イマブチ)勘十郎という人の家は娘しかいません。

 しかしある日のこと、家人が廊下で男の子の姿を目にし、大いに驚いたということです。

  また同じ村の佐々木氏のところでは、母親が縫い物をしていると家の主人の部屋から紙のガサガサする音がし、扉を開けたところ誰もいなかったようです。

 座って観察していると鼻を鳴らす音がし、彼女は座敷わらしがいるのだと思ったとのことです。」




 さらに、詩人であり童話作家でもあった宮沢賢治は、数々の作品を残しています。


 生前に刊行した書籍は自主出版の「注文の多い料理店」のみであり、死後になって広く知られるようになりました。

 そんな賢治も座敷わらしの話を書いています。


 賢治が残した座敷わらしの話は、「ざしき童子(ぼっこ)のはなし」というものです。

  賢治が暮らした地域では、座敷わらしはざしき童子(ぼっこ)と呼ばれていたのでしょう。

  いくつかのエピソードが取り上げられていますが、以下のようなものがあります。


 「十人の子供が「大道めぐり」と叫びながら部屋の中をぐるぐる回っていると、いつしか十一人になっていました。

 知らない人はいないのに、どう数えても十一人でした。

 家人が出てきて、増えたのがざしき童子だと指摘しました。

 しかし子供たちは決して自分ではないと目を張りながら、きちんと座っていたとのことです。」



 実にほのぼのした感じですが、座敷童は時にイタズラをするようですね。

 まさに賢治の話では、そんなキャラクターがよく表現されています。

 

 そう言えば、賢治の童話に「風の又三郎」という作品があります。

 転校生の男の子が伝説の又三郎のように描かれ、地域に伝わる風の神の子の言い伝えがヒントになっているとの指摘もあります。

 けれどもどこか座敷わらしに通じるようなものがあり、これもまた興味を掻き立てられるテーマですね。


 私は何故か、小さな頃からこのような不思議な物語や伝説が好きで、怖がりのくせにいつか自分の前に妖怪や幽霊が現れて欲しいなと思ったものです。


 例えば親に怒られて、嫌な気持ちになった時や、友達に仲間外れにされたと思い、悲しい気持ちになった時など、不思議な生き物、つまり人間以外の何かが私を助けてくれるに違いないとずっと信じていた子供の頃を思い出します。


 今思えば変な子供だったのかも知れませんが、もしかしたらそんな常識に囚われない思考が今の仕事にも役立っているのかもしれませんね。


 何故なら、人の幸せや成功は形になって目に見えるようなものではないし、ストレスで心の余裕を無くしてしまうのは、「常識とは何か」ばかりに目を向けて、自分の遊び心を忘れてしまっているのではないかと思うからです。


 「人はどんな事でも出来る。」「運命は自分で変えられる。」なんて言っても、出来ない事だってあるだろう?と、あなたは思うかも知れません。


 何かを体験した時、その事件そのものを変える事は出来なくても、それをどのような気持ちで受け取り、どのような意味付けをするかは、常に私達の選択に委ねられています。

 

 だとしたら、今目の前で起こっているこの現実は、「座敷童」のイタズラなのだと捉え、そのイタズラに翻弄されないように、この際一緒になって遊んでみたらいかがでしょうか。


 案外その座敷童は、あなたに幸運を届けようとして、成長のヒントを持って来てくれたのかも知れませんよ。


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カウンセラー風湖