心理カウンセラーの風湖です。
「その人がどんな子供時代を送ろうと、
大人になってからの生活がどうだろうと、
母親は狂気の象徴だ。
我々が子供時代に出会う中で、
最も頭のおかしい人。
それが母親だ。
多くの人は言う。
私の母は頭が変だった。
イカれてた。
思い出の中であざ笑う。
楽しい行為だ。」
2018年のフランス映画、「パリの家族たち」の中で、出てくる言葉です。
私はこの作品を観た時、自ら脚本を手掛けたマンシオン=シャール監督が、自分が女性であるからこそ、安易に女性や母性の賛美に終わらせていないところがとても興味深かったなと感じました。
とても複雑な母と家族の深層を洞察していて、母という存在を、決して美しい、優しいだけの存在にはしていないのです。
監督はインタビューで、母親が「その地位によって、巨大な権力を持っている」ことをテーマの一つに据えたと語っていたそうです。
確かにこの物語には、優しいだけの素朴な母親像は出て来ません。子育てに一生懸命になっても、ならなくても、子供の心に傷を残し得る、恐ろしい潜在性から目を背けていないのです。
母を題材にした映画は数え切れないほどありますが、これほど現実的に近い、母と子供の心のすれ違いを描いた作品は珍しいのではないか、と思いました。
私自身も2人の子供の母親ですが、子供達が成人した今になって思い起こすと、私は決して良い母親ではありませんでしたし、常に自分の子育てに対しての罪悪感が自分のトラウマになっているような気がします。
母であること、母になること、母にならないこと、母をやめること、母を拒否すること…。
たとえ母親であっても、1人の人間であり、その人生を生きていく事に常に必死であったでしょう。
もちろんその存在は、完全無欠ではありません。
しかし、実際にその母親との関係性が、時として子供の劣等感や無価値感を植え付けてしまい、夢や目標に向かって進む道を阻んでしまうのも事実なのです。
また、このストーリーの面白さは、その母親との関係の複雑さを安直に解明しようとせず、理解し難いままにしておく描き方なのではないかと思います。
なんとなくスッキリと関係を終わらせないところが、この映画に陰影と奥行きを与えているのではないかと思います。
そしてラストには、様々な立場の子供達が、母親との関係を自分なりに見直して、新たな一歩を歩み始めた時から、それまで悩んでいた様々な問題が解決し、自分だけの存在価値を見出して行く姿を爽やかに映し出し、それがとても印象的でした。
「自分はダメな母親だ」
「私の母は頭がおかしい。」
などと、自分のインナーチャイルドに悩んでいる方はとても多いのですが、その親子関係を無理矢理に解決しようとしなくても良いのではないか。と私は思うのです。
過去のトラブルに悩むのではなく、たまには母親と連絡を取り、メールや電話でも構いませんから、穏やかな心で何気なく、あなたの親と日常会話を楽しんでみて下さい。
そこにはきっと、自分の人生を歩むヒントが隠れていて、あなたの親だからこその愛情のある応援の言葉をいただける、心地よい時間が流れて行くのではないかと思います。
自分を好きになるために、自分の人生をスッキリとした気分でリスタートするために、1人の大人として、良い意味での母親からの脱却をお勧めします。

