心理カウンセラーの風湖です。


 ある日の朝、私が心理学講座の教室に着くと、ある女性の生徒さんが私のところに走り寄って来て、このように話しました。


 「会社に行くのが嫌になってしまったのです。先生、何か良いアドバイスはありませんか。」


 あまりにも突然でしたので、私は驚いて、
 「どうされたのですか?」
 と聞くと、彼女は声を震わせて、

 「私が失敗ばかりしてしまうせいで、いつも優しく指導してくれる先輩を激怒させてしまったのです。もう、職場の人達も呆れているに違いありません。」
 と、涙を溢しながら彼女は言いました。


 私は、「そうなんだ。大変なんだね。」と、彼女の話をしばらく聞いて、


 「でも、そんなに悲しい顔をして私のところに話をしてくれているという事は、あなたはきっとその会社を辞めたく無いのよね。」


 と言うと、彼女は驚いたような顔をして、一瞬私の顔を見てからこう呟きました。

 「そうかもしれません。」




 「会社を辞めたい」という人の多くは、その会社の仕事が辛くて辞めたいのではなく、実は、その仕事中に感じるであろうネガティブな感情と、自分が向き合うのが怖くて、「仕事を辞めたい」と思う事があるのです。


 その原因は、自分が一番良く知っています。


 それは「自分は、仕事で叱られて当然の人間なのだと、自分が知っているから」なのです。


 思考は現実化します。
 つまり、「明日も失敗するかも知れない」と思うから失敗してしまうのです。


 それは、「失敗するのが私なのだから。」


 常に、そう考えるクセが付いてしまっているのですね。


 では、彼女がそのように考えるようになったのは、一体いつ頃からなのでしょうか。





 小さい頃から私達は、絵本や昔話を通してその主人公の行動などから、あらゆる人生の教訓などを教わります。


 
 例えば、日本の昔話である「桃太郎」は、おじいさんとおばあさんのために鬼退治に出かけて、鬼を退治して、村に宝物を持ち帰ったから英雄なのだと伝えられていますよね。


 おじいさんとおばあさんは、自分たちだけではなく、村の人々にも喜びを与えてくれた桃太郎を迎えて、さぞかし誇りに思った事でしょう。


 しかし、もしも桃太郎が鬼に負けてしまい、宝物どころか、何も持たずに手ぶらで、命絶え絶え家に帰って来たとしたら、どうでしょうか。


 桃太郎は、自分を川から助けてくれて、立派に愛情をたっぷり注いで育ててくれた、おじいさんやおばあさんに恩返しが出来なくて、辛くて家に帰れなかったのかもしれません。


 それは、おじいさんとおばあさんが悲しむからという理由ではありません。


 桃太郎自信が、何もしてあげられない、何も出来ない自分の姿を、おじいさんとおばあさんの感情に投影して、情け無い自分に向き合わなくてはならないのが辛くて帰る事が出来ないのではないかと思うのです。


 「失敗ばかりする私は、主人公にはなれない。悪役なのだから、叱られて当然なのだ。」
 「いつまでも成長しない、情け無い自分は、誰からも愛されなくても当然の人間なのだ。」


 しかし、私は思います。


 例え桃太郎が鬼退治に失敗して、負けて帰って来たとしても、きっとおじいさんとおばあさんは優しく迎えてくださるのではないかと。


 逃げてばかりで何もせずに、チャレンジもしないで怖気付いてしまっているだけの桃太郎ならば少しは心配もするでしょうけれど、勇気を振り絞って自分の知恵を最大限に発揮して負けたのならば、それはそれで称賛に値するのではないかと思うのです。


 他人の目線ばかりに向いているよりも、無条件に自分を愛してくれる人がいる事を知れば、また再チャレンジすることへの勇気が湧いてくるのではないでしょうか。


 何回か失敗しただけで、あなたの価値は決められませんよね。


 人の成長の為には、3つの要素があるのです。


 それは、「失敗する」「恥をかく」「切羽詰まる」です。


 物語の主人公ばかりが成功者ではありません。
 いろんなパターンの英雄がいてもいいのではないでしょうか。


 「諦めたらそこで試合終了だよ。」

 そういうセリフを言う事が出来た、漫画slam dunkの安西先生も、もしかしたら悔しかった思い出に溢れた愛すべき人間なのかも知れませんね。