心理カウンセラーの風湖です。


 若い頃、自分の体型に不満があった私は、何故か雑誌で目に入ってしまった「断食道場」なるものの体験をしてみた事があります。


 私の故郷である静岡県の富士山の麓に、ある断食道場があって、それはそれは何もない、静かな土地の、周囲が自然に囲まれていて、本当に気持ちの良いロケーションであったと記憶しています。


 最近の断食道場は、全く食べ物を口にしないわけではなく、もちろん様々なコースはあると思いますが、1日3食、薬膳料理をいただけたり、栄養ドリンクなどがいつでも飲めたりするようですね。


 しかし、私が伺った当時の断食道場とは、初日に少量の精進料理のような物をいただき、次の日には100%の野菜ジュースを一杯、そのあとの日々は、水以外は全く口にしてはいけないという決まりでした。


 夏休みを利用して体験してみたと記憶していますので、たった7日間前後くらいの滞在だと思うのですが、当時非常に食いしん坊だった私にとっては、何ヶ月にも何年にも感じましたね。


 しかしそこには、道場生活を共にする人達もいて、いつでもコミュニケーションをとる事が出来ますから、お互いに励まし合う事で、なんとか乗り切る事が出来たのではないかと思います。


 もちろん、ダイエットが目的でしたが、私が体験した事は、それだけではありませんでした。


 2日目までは、何もする事がないし、お腹が空いても食べられないし、食事の出来ない、仕事も無い1日とはなんて長いのだと感じ、後悔や不安ばかりが頭に浮かびました。


 しかし、3日目になると、自分の身体の中に蓄積していた糖分や脂肪が一気に代謝をはじめるのがわかるようになるのです。


 すると不思議なことに、私の頭の中から不安や危機感、雑念などがまるで消え去り、逆に、生きている事への感謝や、周りの人達に会いたいという素直な想い、そして自分が生きている意味まで次々と考えるようになっていったのです。


 人は、心身共に飢餓状態になると、生きているうちに、やれる事が10個あるならば1つで止まっているのがもったいなく感じます。


 ですから、やれる事から1つずつ行動を起こして行くアイディアもどんどん浮かんでくるのです。


 「失敗したら無駄」
 「やって意味がなかったらもったいない」
 と思って、良い方法を探す事に時間をかける事は、それ自体がもったいない事です。


 そして、自分を大好きになる事が出来ます。


 私は、いつも思う事があります。

 それは、
 「私みたいな人間は1人くらいはいたほうがいいよね。」
 という事です。


 たいした事は出来ないし、煩悩もいっぱいだし、人間の器も小さいし、いやらしい部分もたくさんありますが、それでも、こんな私が誰かの役に立てる事もあるのではないかと思うのです。


 社会の中で自分の役割を持ち、ほんの少しでも他人に貢献している実感が持てたら、それは幸せな事だと思います。


 しかし、たとえ断食を成功させても「自分はスゴイ!」という事を周りに認めさせたくていきなり開業したり、無計画で会社を辞めたりする人もいるようです。


 そういう精神状態の時には、周りからの承認が欲しくてたまりません。


 根本的には、誰かに認められるより、自分が自分を認める事の方が先ですよね。


 それでは、どんな自分であれば自分を認められるのでしょうか。


 それは、結果は出せなくても、叱られても、周囲からバカにされても他人のために一生懸命になって働いている自分を見つける事ではないかと思うのです。


 そんな風に自分と向き合う事ができたのが、断食という経験でしたね。


 それは、どことなく瞑想にも似た感覚でしたから、不思議な感情にもなりました。


 そして、断食道場を退所した日でも、私の体重は2キロくらいしか減ってはいませんでしたが、悩みが消え、笑顔が溢れ、身体も軽く、再び新しい一歩を踏み出して生きる勇気が湧いて来たような気がしましたね。


 断食道場で過ごした数日間とは、自分と真正面から向き合い、私の身体に溜め込んだ脂肪とともに、余計な思いを掃除して、人生が楽しみに思えた、素敵な経験でした。


 とはいえ、人間は生きていく中で、様々な感情が沸き起こり、またむくむくと浮かぶ雑念に心が揺れてしまう時もあります。


 そんな時には、私は、少しだけあの時間を思い出す事にしています。


 人間の記憶とは、悪い事だけを教訓にするために存在するのではなく、素敵な経験を自分の支えにすることのためにあるのではないかと私は思います。