心理カウンセラーの風湖です。
「思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを」(小野小町)
余韻の美しい有名な歌ですね。
訳としては、
「想いながら寝たから、あの人が夢に出て来たのでしょうか。夢だと分かっていたのなら、目を覚さなかったのに。」
と言う感じでしょうか。
昨日の心理学講座の授業中に、生徒さんから夢の話が出ました。
「追いかけられる夢を良く見ます。」
「高い所から落ちる夢を見ます。」
いずれも不安を表す心理だとは思いますが、人は、何故あり得ない夢を見たりするのでしょうか。
実は、小野小町のこの恋歌も、実は科学的な視点からも夢の重要な性質を捉えているのではないかと思います。
夢を見ている間は、「夢を見ている」と言う事実に気づく事は出来ません。
だからこそ、小野小町のように「うっかり目を覚ましてしまった。」と、嘆く事になるわけですよね。
夢を見ている時は、どんなに奇想天外な状況にさらされても、どんなに理不尽な恐怖に追い込まれても、「こんなのおかしいよ。」とは思いませんよね。
その展開に冷静に文句を言う事も無く、懸命に目の前の出来事に対処しようとします。
考えてみたら不思議な事ですよね。
朝に目が覚めたら、その夢の展開のあり得なさに気づきますから、私達は、日中起きていて思考したり行動をしたりしている時には、自分自身をモニターしている別の「自分」が存在しているのです。
しかし、夢を見ている時は、自分を監視する「第二の自分」が消えてしまうのです。
「あれは夢だったのか。」と気づくのは、あくまで目覚めた後ですから。
アメリカの神経科学研究所のエデルマン博士は「第二の自分を持っているのはヒトだけだろう。」と推測しているそうです。
では、人はその「第二の自分」は、どこから生まれるのでしょうか。
私は時々、夢を見ている最中に、時々「おや?今見ているのは夢だ。」と夢を見ている自分に気づく事があります。
さらに、そんな夢の中の自分が、ときに夢のストーリーを自分の思い通りに操る事も出来たりするのです。
何故そんな自分が現れるのか、私も気になったので調べてみました。
このように、第二の自分が出現する夢を「明晰夢」と呼ぶそうです。
明晰夢を見ている時の脳の計測をすると、ガンマ派という独特の脳波が前頭葉や頭頂葉に現れるのだそうです。
では、このガンマ派は、「第二の自分」の鍵を握っているのでしょうか。
それを調べるために、フランクフルト大学で実験をしたのだそうです。
睡眠中の27人の脳をガンマ派のリズムで電流刺激して、しばらくたってから当人を起こし、どんな夢を見ていたのかを聞いたのだそうです。
すると、なんと7割の人が、
「夢を見ている自分を第三者の視点から感じていた。」
「夢のストーリーをコントロール出来た。」
と、答えたのだそうです。
しかし、これからの未来に、睡眠中の夢のストーリーまでも操作出来るようになる時代がもしもやって来たとしたら、小野小町のように恋愛の切なさを夢に例えて美しい歌にしたり、将来の不安感を疑似体験して「夢で良かった」とホッとしたりする事が出来なくなってしまいますよね。
切ない夢も、怖い夢も、人生のちょっとしたエッセンスだと考えたら、夢を見て、目覚めたときにその夢を見た自分をゆっくり見つめ直す事も、大切なのではないかと思います。
良い睡眠は、良い1日を過ごすためにはとても大事ですから、夢のストーリーを心配するよりも、現実の目の覚めている時の、その日にあった良い事を思い出しながら眠る事の方が私は大切なのではないかと思うのです。

