心理カウンセラーの風湖です。
私は、映画を観るのが好きなのですが、最近は新型コロナウィルスの影響で映画館が営業を自粛していますから、なかなか大きなスクリーンの映画鑑賞をする事が出来ませんよね。
とても寂しいです。
ですから、私は映画を観たい時、映像配信などのアプリを利用したりするのですが、私が好きな映画の筆頭に挙げられるのが、チャップリンの「ライムライト」です。
日本では1953年に公開された、非常に古いモノクロ画像なのですが、そのノスタルジーな世界観は、時代を超えて私の胸を打ちます。
そのあらすじを短くまとめますと、こんな感じです。
かつてイギリス1と言われた道化師が、中年を過ぎてすっかり落ちぶれてしまい、酒浸りの日々を送っていたのです。
そんなある日、足に怪我をして踊れなくなり、失望して生きる希望を無くしていた若いダンサーの女性を彼は助け、献身的に介抱し、勇気づけて再び舞台で踊らせます。
その若いダンサーの女性は、またすぐに才能を開花させ、いろいろな舞台で主役に抜擢され、スターへ駆け上がって行きます。
そんな女性の姿を、その中年男性は舞台裏から見守り、やがて彼女の元から去っていくのです。
しばらくして再び出会い、実は愛し合っていた2人は、結婚して幸せになろうと誓い合った矢先に男性は心臓発作で倒れます。
愛する女性がライムライトの照明を浴びながら優雅に踊る姿を、舞台の袖のベッドの中で眺めながらゆっくりとその男性の命が尽きるラストシーンは、何度見ても泣けてきます。
今まで何度、この映画を観て泣いたでしょうか。
その有名な映画音楽をふと耳にするだけでも涙が溢れて来そうになります。
不思議ですよね。
何故、人は悲劇を鑑賞するのでしょう。
人は、自分が失恋したり、何かに失敗したり、身内を亡くしたりしたら、胸が刺されるような苦しい思いをします。
ですから、「このような辛い思いは2度としたくない。」と願う事でしょう。
悲しい現実は嫌う一方で、悲しい物語に泣きながらその感情に浸るのは何故なのでしようか?
東京大学の博士らは、「悲しい音楽を聴く事は快感である。」と示しているそうです。
これには驚きです。頭では悲しい歌だと分かっていても、感情としては「快感」だというのです。
博士らは他にも、「悲しみを感じる事の出来る自分を確認するのは喜ばしい。」という心理も挙げています。
悲しい事は、そこまで頻繁に起こるわけではありません。毎日、親族が亡くなるなんて事はありませんし、本当に悲しい出来事は、たまにしか起こらないのです。
そんな平凡な生活を送っていても、ネガティブな感情を感じる事が出来る自分の事を「悲しい音楽に同情出来る自分」の姿を通じて確認しているというわけなのです。
それと同時に、「この映画は、あくまで架空の出来事であって、現実の自分とは無関係だ。」という安心感も感じていて、その安心感が「快感」なのだそうです。
悲しい音楽や映画などを楽しむ心理に、そんな背景が隠されていたのだなんて意外な気がしますが…。
誰かを「かわいそう」だと思う時に「所詮は他人事だ。」と考えてはいませんよね。
しかし、そんな他人の感情に共感し、感情に浸れるという事は、今現在は、自分は現実の本当の悲しみを感じていないからなのだという事も言えるのです。
どことなくややこしいですが、悲しい音楽を聴く時、悲しむ事が出来たら、それはそれで幸せなのかもしれませんね。

