心理カウンセラーの風湖です。

遊びをせんとや生れけむ
戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声聞けば
わが身さへこそゆるがるれ

「梁塵秘抄」は、平安時代末期に編まれた歌謡集です。編者は後白河天皇です。

この中で私が好きな歌はと聞かれれば、まず第一にこれをあげます。「梁塵秘抄」の歌は、どれもしらっと冷めた感じと、きゅっとせつない感じが融けあっていて、そこに惹かれます。

「しらっ」と「きゅっ」が、一番深く胸に迫ってくるのが、この歌なのです。

遊びをしようとこの世に生まれてきたのだろうか――という問いかけには、何のために生まれてきたのかわからない、という純粋な疑問と、いいやそうじゃないはずだ、という複雑な反語とが、微妙に混ざっているのです。

そして遊んでいる子供の声を聞くと、なおその思いが深く胸を打つのです。
 
 追いかけっこをしたり、勝ち負けを争ったり、歌をうたったり……子供の遊んでいる姿を見ていると、人生とは結局この繰り返しなのではないか、と思われてくるのです。

 日々、私達は「幸せ」を感じたくて生きているのですね。でも、幸せという概念は、凄く抽象的で曖昧な表現です。

 ストレスが全く無いからと言って人は幸せを感じるわけでは無いそうです。
 ストレスが全くなければ、人は充実感や達成感を得られません。

 ストレスを感じながら、目標を達成したり、困難を克服したりしたら時に、人生に充実感を覚えるものなのです。

 「あの時、あんなに辛い日々があったにもかかわらず、私はそれを克服して、今はこんなに幸せになった。人生はなんて素晴らしい。」

 そう思えてこそ、人は「幸せ」だと感じるのではないでしょうか。

 実は、脳を持つ生き物は、少数派なのだそうです。地球上の生き物の中の0.13%に過ぎないのだとか。

 脳が無かったら、ストレスも幸せも感じません。脳が無い生き物、例えば樹木やウイルス、微生物などは脳を持っていませんから、ストレスも幸せも感じませんよね。

 ですから何百年も生きられるのでは無いかとは思いますが、どちらが良いかと聞かれたら、私は人間の方がだいぶ楽しそうだなぁと思います。

 人生を楽しむ事が出来るのは、いわば人間の才能なのではないでしょうか。

 誰かに愛情を求めたり、自分を認めてもらいたかったり、自分の成功を目指して一喜一憂したり。

 それも全てこの世の遊びなのかと考えたら、人生は何が起こっても笑い飛ばす事が出来ます。

 飢えている人にとっては、今日食べるものが有ればそれだけでとても幸せです。それが当たり前だと思うから、日によって「私なんてまだまだだなぁ」と思ったり、「幸せだなぁ」と思ったりしてしまいます。

 私はなんて不幸なのかしらと思うのは、どんどん脳が発達している証拠なのかもしれませんね。

 私は、人生は全て遊び、つまりゲームだと考えたら、ずいぶん気持ちが楽になるのではないかと思うのです。対戦相手がいたり、ルールが決まっているからこそ工夫するし、戦略を練ってそれをクリアして行く過程を楽しむのです。

 いつも勝ってばかりいたら、つまらないと思い、そのうちに飽きて次のゲームを求めるものです。

 毎日、自分が好きなゲームを楽しんでいるのに、負けそうになると怒ったり不安になったり。

 人生は、楽しむもの。

 人生という遊びを一生かけて楽しんで、ステージをどんどん上げて行きましょう。