心理カウンセラーの風湖です。
昨日のブログで、自分の子供の行動で問題があったとしても、叱ったり脅したり罰を与えたりしても意味がないと書きました。
それでも人は、理屈では何となくとそうだとわかったとしても、いざ目の前に問題行動をしている我が子が目についたりすると、つい感情が表に出てしまいますよね。
例えば、学校での勉強の成績が悪くて、面談などで教師から「もっと頑張りましょう。」などと指摘をされているのに、ゲームばかりしていて全く勉強をしようとしない子供を見ていると、ついイライラして怒鳴ったり叱ったりしてしまいます。
そんな時は少し冷静に考えて見てください。
「勉強をする」と言う行動を放置した場合、困るのは誰なのか、と言う事です。
成績が悪くなれば、良い学校に入れなくなります。つまり、子供が勉強をしなくてはならないと言う事はあくまで子供の人生の問題なのです。
アドラー心理学で言う「課題の分離」ですね。
しかし、多くの親は子供の人生の世界に土足で踏み込んでしまいます。
「子供の為を思って。」と言う理由を付けて、
「もっと勉強しなさい。」
「良い大学に入って、良い会社に入りなさい。」と、親の思う通りに子供をコントロールしようとするのです。
私は、親子関係だけではなく、世の中のあらゆる人間関係のトラブルは、そういう他人の人生に土足で踏み込む事により起きるのではないかと思っています。
でも、多くの親は、自分の子供が良い学校へ進学し、良い会社で働く事を望みますが、果たしてその学校の雰囲気や先生や友人がその子に合っているのか、そしてその会社の上司がどんな人で、どんな部署でどんな仕事をするのかまでは考えていませんよね。
たとえ自分の子供であっても、1人の人間の人生なのですから、子供の生きていくエリアにはたとえ親でも入り込めない太い境界線があるのです。
ですから、幸せの価値観までも支配しようとしたり、自分の世間体を取り繕おうとしても、入り込める領土には限りがあると言う事なのです。
また逆に、親の言われた通りに勉強して、親の望み通りに良い学校へ進学し、高いレベルの勉強についていけずに落第したとしても、子供は反省しません。
さらに、親の望み通りの会社に入社して、トラブルを起こして辞めてしまったとしてもその子はその後も転職を繰り返してしまいます。
何故なら、自分で選択し、自分の望んだ人生では無いからです。
親の望み通りに選択した子供は、失敗してもそれは親の失敗だと思いますから、子供は、やがて親に聞くでしょう。
「落第したんだけれど、私はどうすればいいの?」
「会社をクビになったんだけど、次はどうしたらいいのか教えて。」
私は、ご両親はもっともっと楽観的に子育てをしてほしいな、と思います。
親は子供に、自分の「過去」をかぶせてしまい、自分の子供を見ながら過ぎてしまった過去をくよくよと考えてしまうのです。
そして、未来を不安に見てしまいます。
現在ある幸せに集中して、それらを感謝出来ていないからです。
しかし、「楽観的」とは、単なる「能天気」とは違います。
何の準備も根拠もなく、ただ放任するだけの「能天気」ではなく、「楽観的」とは、ちゃんと問題が起きた時にそれに向き合う心と、それを受け止めるの準備の出来ている人の事です。
「幸福論」で有名なフランスの哲学者アランは、こう言いました。
「悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意思のものである。」
つまり、楽観的になるのは、それなりの強い意識が必要なのだと言う事なのですね。
私を含め、親が出来る事は支援だけです。
もしも子供が「勉強をしたい」「こんな仕事をしたい」と言ったら、支援する準備がある事だけを伝えてあげてくださいね。
後はそっと見守るしか無いのです。
もしも子供が失敗したとしても、あなたの問題でも責任でも無いのですから、大丈夫です。
幸せとは、世間一般的には決められない、その人が自分で感じる物なのですから。