心理カウンセラーの風湖です。
漫画家の手塚治虫さんは、大御所になってもギャラを高くしなかったという話を聞いた事があります。
割安感のあるギャランティにしておいて、なるべくたくさんの雑誌に作品を発表するようにしていたらしいのです。
漫画原稿を、生涯で15万枚も描いたと言いますから、驚きですね。一冊200ページだとすると、750冊分の漫画を描いたことになるのですから。
手塚治虫さんの書斎に定点カメラを置いて、ずっと写しているテレビ番組を見たことがあるのですが、本当に彼は寝なかったらしいのです。
撮影の終わる直前に人が訪ねてインタビューすると、寝ていないからヘトヘトのはずなのに「やはり描き終わるとスッキリしますね。嬉しいです。」と、明るく爽やかなコメントを言っていました。
その後もまた次の作品に取り掛かったというから尊敬しますね。
また、「千と千尋の神隠し」という映画でベルリン映画祭のグランプリを受賞した映画監督の宮崎駿さんは、毎朝9時に仕事場に来て、そのまま黙って仕事をして、朝の4時に帰宅したのだそうです。
二食分のお弁当を持って来ていて、食事には15分しかかけないそうで、お昼に半分食べてお腹が空いたら後の半分を食べて、あとはひたすら仕事をしていたのだそうです。
彼は仕事をやり始めてから24年間、風邪はもちろん、あらゆる病気にかかった事がない、熱も一度も出していないのだと笑いながら言っていたそうです。
手塚治虫さんにしても、宮崎駿さんにしても、仕事に対する情熱が凄すぎて、圧倒されるばかりですね。
そのような彼らの作品には、そこで表現された情報の分量がとんでもなく多かったという共通点があるのだと言う研究者がいました。
普通のクリエイターが表現する何倍もの材料を作り上げていたのです。
たとえそれを、全て観客が見切れなかったとしても、その分も全部含めて感動と共に記憶に残る作品となって行ったのでしょう。
他の誰も彼らのような仕事は出来ないと呆れられつつ尊敬されています。
人の脳は、ひとつの仕事に集中して情熱をかけてばかりいると、毎日毎日脳が回路を繋ぎ換えて、ほとんど無意識に考えている事までも表現の中に取り込んでしまうのですね。
だから、物凄く魅力のあるものが出来るのです。
つまり、ある一定の時間と意識の範囲を超えるとその人の頭の中の情報の捉えがたい洪水みたいなものがワーッと溢れ出て来て、表現者の魅力に変わるのではないかと思うのです。
しかし現代は、そのような人が少なくなって来たような気がします。
便利な物や構築しやすい物ばかりで、秀才タイプは山ほどいますが、新しい可能性や多様性が見えて来ません。
もちろん、最近の若い成功者の皆さんはとてもスマートで、少しITに詳しかったり人と違う行動をしている事には素晴らしい努力と才能を秘めていらっしゃるのだと思います。
しかし、私達はいわゆる「泥臭さ」と共に見せる、心からの情熱を注ぎ込んだ後のクシャクシャの笑顔に魅力を感じ「また会いたくなる人」と思うのではないでしょうか。
世の中はどんどん便利になって、文化も明るく綺麗になって行きます。それを次から次へと使いこなせるようになる事も素晴らしいと思います。
ゲームや携帯電話も、誰かが作った物を私達は飛び付いて購入し、毎日のように楽しむことが出来るのは、嬉しい事です。
しかし、本田宗一郎さんや松下幸之助さんのように便利な物に満足しない、行きすぎた人が時々混ざるから世の中がさらに面白くなって行くのかもしれません。
偉業を成し遂げた人は、そのエネルギーの凄さも逸話としてたくさん残っているのですね。
将来に向かって開発されて行く人口知能などの未知の世界にもワクワクしますが、それと同時に、やはりこれからも貪欲にやり過ぎから来る天才がどんどん生まれてくる事も期待したいと思います。
エネルギーを持った人は、まだまだたくさん生まれて来るのですから。