心理カウンセラーの風湖です。
私が子供の頃、父に買ってもらったたくさんの本の中で、夢中になって何度も読んだ物のひとつに、ヘレン・ケラーの伝記がありました。
その理由は、彼女の言った有名なこの言葉が何故か忘れられなかったからです。
「この世で一番愚かなのは、見えているのに未来へのビジョンを見ていない人だ。」
1880年(明治十三年)6月27日、ヘレン・ケラーが誕生しました。
聴力・視力・発声の全てができなくなった「三重苦」から立ち直った人として有名ですね。
幼少時の高熱によりこうした状態になってしまったそうなのですが、病名がわからないあたりが何ともいえません。
どなたか研究されてたりするんでしょうか。
そして、小さかった私が彼女の生涯の中で教えてもらった事は、「本当に大切なものは、目で見えないものだ。」というメッセージだったのではないか思います。
ところで、脳科学の視点から言えば、私達の目に見えている情報は、視覚情報の全体から見ればごく一部なのだそうです。
光が目に入って来ると目のレンズで屈折し、眼底のスクリーンに光を投影します。その情報は大脳皮質を通してリアルに世界を見ているのですが、そこから入って来る全ての入力情報のうち、目から入って来る情報は、わずか3%以下でしか無いのだと言うから驚きですね。
それでは、残りの97%の目で見て記憶する情報は、どこから来るものなのでしょうか。
それは、脳の中で勝手に生み出された情報を「目で見た記憶」として処理しているのだそうです。
目で見た情報だけでは詳細が不足していて「見え」ないのだそうです。
つまり、私達が目で見て現実だと思っている事のほとんどは、実はこれまでの経験などに基づいて脳の内側から情報を補完することで、ようやく「見えて」、記憶されるのですね。
生まれたばかりの赤ちゃんが、どこか遠くを見て急にニコニコ笑ったりしますが、あれはもしかしたら人生経験が少ないために、いろいろな楽しい幻覚をみているのかもしれません。
だとしたら、逆に大人になった私達がこの目で見ている事の大半は、人生経験が長くなってしまったからこそ見てしまう、ネガティブな幻覚なのかもしれませんね。
仏教の世界では、「真実を見る目というのは、私達が目の前のものを見るこの2つの目ではなく、第3の眉間に潜む目である。」と、言われています。
だからと言って、現実から目を背けてばかりいれば良いとは言えませんよね。
私達を取り巻く平和な世界や、暖かく見守ってくださる家族や友人達、心を癒してくれる絵画やアーティスト、やる気を与えてくれるアスリートなどなど、見えるからこそ幸せだと感じる事はたくさんあるのですから。
ただ、今、現実生きている人生において自分は不幸だと悲しんでいらっしゃる方、現実が辛すぎて希望が持てないと嘆いていらっしゃる方も、私達が目で見ている風景は、その瞬間もどんどん過去の世界に変わって行っているのです。
過ぎ去っていく記憶に感謝して、まだ見ぬ未来を想像して、自分の心に目を向けて行きましょう。
そして、ヘレン・ケラーはこうも言っています。
「いつも太陽を見ていれば影は目に入らない。」
視力を失った、光を失った彼女が何故このような視点で物を考える事が出来たのでしょうか。
本当に不思議です。しかし、子供の頃の私にはその奇跡が確かに人生に光を与えてくれていたのです。
光があるから影が出来るのです。しかし影ばかりを見ていると、光のありがたさがわからなくなってしまいます。
目で見ることだけが本当の現実ではなくて、頭の中の考え方を少しだけ変えれば、その視覚から来る情報は全く違って見えてくるのですね。
私が子供の頃、父に買ってもらったたくさんの本の中で、夢中になって何度も読んだ物のひとつに、ヘレン・ケラーの伝記がありました。
その理由は、彼女の言った有名なこの言葉が何故か忘れられなかったからです。
「この世で一番愚かなのは、見えているのに未来へのビジョンを見ていない人だ。」
1880年(明治十三年)6月27日、ヘレン・ケラーが誕生しました。
聴力・視力・発声の全てができなくなった「三重苦」から立ち直った人として有名ですね。
幼少時の高熱によりこうした状態になってしまったそうなのですが、病名がわからないあたりが何ともいえません。
どなたか研究されてたりするんでしょうか。
そして、小さかった私が彼女の生涯の中で教えてもらった事は、「本当に大切なものは、目で見えないものだ。」というメッセージだったのではないか思います。
ところで、脳科学の視点から言えば、私達の目に見えている情報は、視覚情報の全体から見ればごく一部なのだそうです。
光が目に入って来ると目のレンズで屈折し、眼底のスクリーンに光を投影します。その情報は大脳皮質を通してリアルに世界を見ているのですが、そこから入って来る全ての入力情報のうち、目から入って来る情報は、わずか3%以下でしか無いのだと言うから驚きですね。
それでは、残りの97%の目で見て記憶する情報は、どこから来るものなのでしょうか。
それは、脳の中で勝手に生み出された情報を「目で見た記憶」として処理しているのだそうです。
目で見た情報だけでは詳細が不足していて「見え」ないのだそうです。
つまり、私達が目で見て現実だと思っている事のほとんどは、実はこれまでの経験などに基づいて脳の内側から情報を補完することで、ようやく「見えて」、記憶されるのですね。
生まれたばかりの赤ちゃんが、どこか遠くを見て急にニコニコ笑ったりしますが、あれはもしかしたら人生経験が少ないために、いろいろな楽しい幻覚をみているのかもしれません。
だとしたら、逆に大人になった私達がこの目で見ている事の大半は、人生経験が長くなってしまったからこそ見てしまう、ネガティブな幻覚なのかもしれませんね。
仏教の世界では、「真実を見る目というのは、私達が目の前のものを見るこの2つの目ではなく、第3の眉間に潜む目である。」と、言われています。
だからと言って、現実から目を背けてばかりいれば良いとは言えませんよね。
私達を取り巻く平和な世界や、暖かく見守ってくださる家族や友人達、心を癒してくれる絵画やアーティスト、やる気を与えてくれるアスリートなどなど、見えるからこそ幸せだと感じる事はたくさんあるのですから。
ただ、今、現実生きている人生において自分は不幸だと悲しんでいらっしゃる方、現実が辛すぎて希望が持てないと嘆いていらっしゃる方も、私達が目で見ている風景は、その瞬間もどんどん過去の世界に変わって行っているのです。
過ぎ去っていく記憶に感謝して、まだ見ぬ未来を想像して、自分の心に目を向けて行きましょう。
そして、ヘレン・ケラーはこうも言っています。
「いつも太陽を見ていれば影は目に入らない。」
視力を失った、光を失った彼女が何故このような視点で物を考える事が出来たのでしょうか。
本当に不思議です。しかし、子供の頃の私にはその奇跡が確かに人生に光を与えてくれていたのです。
光があるから影が出来るのです。しかし影ばかりを見ていると、光のありがたさがわからなくなってしまいます。
目で見ることだけが本当の現実ではなくて、頭の中の考え方を少しだけ変えれば、その視覚から来る情報は全く違って見えてくるのですね。