心理カウンセラーの風湖です。

人間の才能とは、一体何なのでしょうか。

よく、「能力」と言いますよね。
人の能力は千差万別だとか、やらなければ能力も発揮出来ないとも言われますが、この時使われる「のう」は、「脳」ではありませんから、頭で考える以外の所から発生する物なのではないのかと思ってしまいます。

最初、私は「人間の脳は、自分の感情や心の状態を作り出す物。」とか、「様々な経験を記憶して、それを保管しておく物。」だと考えていました。

しかしそれならば、人の能力には何故個人差があるのか、人生において育った環境や時間の経過など、それほどまでに大きく1人1人の差がある訳では無いのに、天才と呼ばれる人間と、そうではない人間が現れるのは何故なのかと私は不思議でなりませんでした。

例えば、ピアニストは指の本数が人より多いという訳ではありませんし、画家は、その芸術を産み出す為の手のひらや腕が人と違って付いている訳ではありません。

私がもっと面白いと感じる事は、いわゆる骨董品などの鑑定士と呼ばれる人が、私達と違う目を持っている訳では無いのに、何故本物と偽物を瞬時に見分ける事が出来るのか?あるいは、手品師や催眠術師は、何故人の意識を自在に操ったり支配することが出来るのか?

そして、何故それをやって見ようと考え、行動に移したのか?

もちろんそれは、産まれた家庭や育った環境の影響もあるのでしょうが、親が特にそれになれと命令した訳では無いのに、ある分野で天才的な技術を発揮してあっと言わせる人がいるのも事実ですよね。

私は、それらの人達にはある特徴があると思います。
それは、目で見てなくても、人よりも上手く見せようとしていなくても、無意識のうちにそれが出来てしまうという事なのです。

つまり、好きという感覚よりも先に、楽しいという感情よりも先に、それをやろうと思えば出来てしまう。
無意識という言葉が出て来たのであれば、やはりそこに脳の働きは関係しているのだと思います。

ある本を読んで心理学の勉強をしていた時、私はあるフレーズを目にしました。
「人の脳は、情報を五感でインプットし、身体を使ってアウトプットする機関である。」
と、いう物です。

人間の頭の良し悪しは、それほどの差はありません。
高学歴だからといって、人生がより素晴らしく変化するわけではありませんし、家が貧乏だからと言って、幸せになれないわけではないのです。

アルフレッド・アドラーは言っています。
「人の能力は遺伝などは全く問題はありません。あるのは、教える人間の能力の差だけなのです。」

本物に出会えるチャンスがあり、多くの経験をし、没頭し、行動をして、はじめて能力があると自分の中で感じる事はとても嬉しい事ですし、それが人間の才能に変わって行きます。そこには、誰かと比べる意味は全くありません。

本当に頭の良い人とは、素晴らしい経験をたくさんして、脳にインプットし、身体でアウトプットした人だと思うのです。

このアウトプットこそが、人の能力を芽生えさせ、やがて天才と呼ばれる人になって行くのでしょうから、今日から積極的に身体を使ってアウトプットして行きましょう。