「3月2日」「多々良浜の合戦」日本語は美しい | アリカトウ小川翔護テス!開運369日ノ國史

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 日本語は美しい

 

みなさん、おはようございます

 

「月夜にはそれともみえず梅の花

香を尋ねてしるべかりける」

(凡河内射恒、古今和歌集)

 

月夜に香りを探して梅の花

日本語は本当に美しいです

 

アリガトウ「3月2日」の國史です

 

「多々良浜の合戦」

建武3年(延元元年、1336年)

 

九州に逃げていた足利尊氏は

多々良浜(福岡県)で

南朝方の肥後国・菊池武敏を破ります

 

尊氏は

鎌倉幕府の北条時行の乱を鎮めた後

後醍醐天皇からの京都へ戻る命令に従いませんでした

 

後醍醐天皇は新田義貞に

尊氏を討伐する命令を出しますが

尊氏は新田軍を破ります

 

尊氏は京都へ向かいますが

北畠顕家に包囲されてしまい

尊氏は九州へ逃げたのです

 

尊氏は多々良浜の合戦で

圧倒的に大きい菊池軍を破ります

 

勝因は強い風です

高地に陣を張った足利軍は

 

砂ぼこりの伴う強い風に乗せて

弓矢を次々に放ったのです

菊池軍は退陣を余儀なくされました

 

勝利した尊氏は

京都に向かい進軍します

 

後醍醐天皇の忠臣

新田義貞と楠木正成を

 

湊川の戦いで破り

南北朝時代へと向かったのです

 

そして「3月2日」は

「朝鮮半島兵役法」

日韓併合時、軍人募集

1万7364人枠に対し

朝鮮人80万2111人が殺到

 

入隊のため213人が

血書を提出

その中には、後の韓国大統領の

朴正煕もいました

 

最後までお読みいただきありがとうございました

今日も元気にハタラク(傍楽)

行ってらっしゃい

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