「8月2日」「関白・豊臣秀次」自分でやる | アリガトウ!開運369日ノ國史

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「関白・豊臣秀次」自分でやる

 

    

みなさん、おはようございます

今日は満月です

財布をきれいにして

気運アップに努めましょう

さあ、今日「8月2日」の國史を

学びましょう!

 

「豊臣秀次・妻子処刑」

文禄4年(1595年)

 

秀吉の甥で関白であった

豊臣秀次は高野山で切腹させられました

 

秀次は秀吉の姉・ともの長男

息子のいなかった秀吉に実子の代わりとして利用されます

 

敵方の大名・宮部家へ人質として

養子に出され

一度は戻りますが

阿波の名門・三好家を調略のため

養子に出されます

 

小牧・長久手の戦いでは

舅・池田恒興と義兄・森長可を撃ち取られ

秀吉から怒られます

 

17歳の時、四国征伐後

八幡山城を本拠に43万石の大名となります

 

18歳、豊臣姓を名乗り

九州征伐では前田利家と

京都の留守宅を任されます

 

22歳、小田原征伐で山中城を落とし

そのまま奥州へ向かいます

 

最上義光の愛娘・駒姫(9歳)を

所望します

 

秀吉の弟・秀長と長男・鶴松が亡くなり

いよいよ後継者になっていきました

 

秀吉は、自分のように

「女遊びや鷹狩り、茶の湯に

うつつを抜かすな」

と注意します

 

20代半ば、秀吉の次の関白に就任し

聚楽第で政務を執ります

 

また、秀吉の母・大政所(なか)の

葬儀を取り仕切ります

 

順調に思われたのですが

淀殿が秀頼を産み

状況は一転します

 

2年も経たないうちに

突然、秀次に反を言い立てられます

 

秀次は頭を丸めて

高野山へ行きます

 

福島正則が

秀吉の「死を命じる」の意向を伝えに来ます

 

秀次は切腹(享年、28歳)

妻妾、子息、約40名を処刑

 

側室入りを控えた駒姫も

対象となりました

 

聚楽第、八幡山城を

徹底的に破壊します

 

殺生関白のあだ名もありますが

穏やかで禁欲的な若君との記録もあります

 

今もって原因のわからない

不思議な事件です

 

秀次には複数の息子がいたため

秀頼に継がせないという恐れを

嫌ったのかもしれません

立派に役目を果たすも突然の処分でした

 

最後までお読みいただき

ありがとうございました

色々な情報がありますが

マスコミに騙されてはいけません

自分の眼で確かめましょう

そして実践

今日も元気にハタラク(傍楽)

行ってらっしゃい!

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