「紫衣事件」政体と国体は別のもの | アリガトウ!開運369日ノ國史

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「紫衣事件」政体と国体は別のもの

 

 

25日は「天神さん」の縁日です

近くの天満宮に参拝するのもいいですね

 

さあ、今日の國史を学びましょう!

 

「紫衣(しえ)事件」

寛永6年(1629)

 

「後水尾天皇」(108代)は

大徳寺の「沢庵和尚」に「紫衣」を与えようとします

 

「幕府」は

「禁中並公家諸法度」に違反すると

紫衣を取り上げ大徳寺と天皇に厳重な注意をしました

 

「紫」は最も位の高い色で

「紫衣の着用はなるべく権威のある住職にあたえるべし」

と「禁中並公家諸法度」に書かれていたのです

 

因みに「禁中」は

「天皇家」のことです

 

また幕府は将軍「秀忠」の娘「和子」と

「後水尾天皇」を結婚させ

 

朝廷との結びつきを強化し

幕府に文句を言えなくしようとしていました

 

しかし朝廷と大徳寺は「幕府」に文句を言ったところ

大徳寺の僧を出羽・陸奥へ「流罪」としました

 

幕府の権力が天皇を

「超えて」しまったのです

 

秀忠が亡くなり「大赦」となり

沢庵和尚は大徳寺に戻ります

 

「家光」と沢庵和尚は仲が良かったので

「紫衣」も与えられました

 

沢庵和尚は漬物の「たくあん」を

考案したとも言われますね

 

沢庵和尚は出羽・陸奥へ流罪となった時も

 

「心さえ潔白であれば

身の苦しみなど何ともない」

 

と全く動じませんでした

 

「幕府と朝廷」は本来

「政体と国体」と別のものです

 

幕府はやり過ぎていたような気がしますね(笑)!

それにしても「沢庵和尚」立派です!!

 

今日も笑顔で行ってらっしゃいませ(笑)!!!

 

 

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