東京オリンピックの開催できる条件としては、新型コロナウィルスを克服して外国のお客様に、

 

安心して日本に来ていただける環境を作る事ですが、世界で159位の10万人あたりの検査件数しかできない今の状況を見る限りでは、とても開催どころではないと考えられます。

 

ビジネスでも顧客のニーズを捉える事が重要ですが、顧客はなかなか自分の気持ちを表現する事はしないものです。

 

オリンピックも同じで、外国のお客様は面と向かって、「日本はコロナで危険だから。」とは言わないものです。

 

三蜜などいくら内向きに注意を発信しても、オリンピックを見に来るお客様全員にステイホームしてくださいとは言えないでしょう。

 

今からワクチンなどの他力本願をしていても、来年の今頃に世界中でワクチンが浸透しているとは、とても思えません。

 

本当にオリンピックを開催したいのであれば、もっと徹底した検査体制を作り検査件数を増やして、陽性者はステイホームで、陰性者は経済活動をしていただくような国に日本がなって、外国のお客様に安心していただく必要があります。

ダイバーシティとは、国々や男女及び宗教の違い、

健常者と障がい者などいろいろな違う立場の人の意見を尊重することです。

 

しかし倫理観とは日常社会において、守らなければならないルールです。

 

それぞれの違う立場の人々が同じ社会で暮らすためには、

法律だけでは追いつかず、そういったルールやマナーが必要です。

 

ですので、法律的には問題がなくても、倫理的には問題である

というようなことがよく起こります。

 

例えば街で暴力的な人に絡まれている人がいても見て見ぬふりをして

通りすぎてしまい、警察に通報もせずに何もしないのは倫理的に問題です。

 

暴力的な人にもその人の正義があり立場を理解すると言っていても

笑われるだけです。

 

誰かがやるから私はやらないというもの他力本願で首を傾げてしまいます。

 

そういうダイバーシティと現在の倫理観を混同している人たちが、

『倫理は難しい。』などとつぶやいてしまいます。

 

それぞれの立場を理解しつつ、現代社会において分別のある大人に

ならなければと常に考えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

地元の利益誘導を忖度する古い倫理の政治家が辞職しました。

 

昔は橋や新幹線の駅を作って銅像などが建てられている政治家もいたのですが、

 

今ではそのような事を露骨に行えば、たちどころに批判が集中します。

 

また比較的若い政治家がそのような倫理観であることに驚かされます。

 

しかしそのような人たちは政治家の世界だけではないようにも思います。

 

年老いた人たちならばマッカーサーのように『老兵は死なずただ消え去るのみ。』

で晩節を汚さないようにして欲しいと願うのですが、

 

新しい価値観と倫理観で活躍して貰いたい若い人たちがモラルが低下しているの

ならば日本の将来が心配です。

 

もっといろいろな人たちから学んで今一度、自分が何のために仕事をしているのか問いかけて

貰いたいものです。