千賀助作 | 松風園文庫 「高須藩への招待」

松風園文庫 「高須藩への招待」

岐阜県海津市にかつて藩庁が置かれた尾張藩の支藩である高須藩について紹介するブログです。また、所蔵品も載せていきます。 
 

千賀助作

 実名始め通和のち通世と改める。通称竜之助、助作と改める。妻は、長坂五亮の長女やす。嘉永二年祖父惣右衛門の遺跡を相続、馬廻役に任じられる。のち、少将様掛小姓見習、小姓役、新番を勤める。吉田竜之進の紹介で元治元年十一月平田篤胤没後の門人となる。藩の事情探索方として上京する。薩長同盟以後に中津川宿の平田門人である市岡殷政と間秀矩に宛てた書状には、「薩藩之動静如何御座候歟 右藩之義ハ近頃よき御便諠も出来候なら一寸承申候御文書も御座候ハバ御洩し可被下候」とあり平田門人のネットワークにより情報収集もしている。明治元年七月九日徴士笠松県判知事に任じられる。

 明治元年七月尾張藩家老役犬山藩主成瀬隼人正正肥に高須藩執政人事について建白書を提出している。のちに小国神社宮司・摂津住吉神社禰宜を勤めるが 明治八年十一月二十五日没する。