夢見る頃を、過ぎても(11話)③と、“している側”の病です。 | 幸せの先に駄弁あり ~ぱやごろの日常~

幸せの先に駄弁あり ~ぱやごろの日常~

子育てに奮闘しながらも
マンガ描きに没頭し仏像を愛する
。。そこそこ変わり者の日常。

オリジナルマンガを不定期で1枚ずつ載せてます。
まとめて読みたい方はテーマ別の欄からどうぞ。

 

少し前になりますが

 

《聲の形》がTVで放送していて、たまたま観ました。

 

 

『いじめ』をテーマにしているであろうお話。

 

子供たちも最初は一緒に観ていたのですが

自分と同じ環境(小学校)で女の子がいじめられている事が

見ていて辛くなったようで、割と序盤に離脱

 

途中、わんわんが仕事から帰宅して

夫婦2人、結局最後まで観る事にテレビ

 

 

話としては良く出来ていたし、感動作と言われるのも解る。

2人共、引き込まれていたので作品として文句を言う気も無い。

 

けれど、、

私たち夫婦、見終わってから

あーだこーだと感想を言い合い

最終的に

この作品をひと言で述べるとするならば

 


《いじめている側の、都合良く創られたファンタジー》

 

この言葉に、落ち着いた爆弾

 

 

いじめて、ソレが逆転して自分がいじめられて病んだ主人公も

最後まで綺麗なココロで居続けた、いじめられていたヒロインも

 

正直、登場人物の誰も共感できない(したくない)。

 

 

多分、親目線で見ているからかもしれない。

 

もう一度言いますが

作品としては、良いお話でした。

 

『う~む…もっと素直に見れる頃に戻ってから見たいねねーショック

 

そんな映画でした。

 

 

私の考えとしては、こちらの2名の話が頷けます。という動画を紹介旗

 

岡田斗司夫氏↓

 

私の推しメン、はやせさん↓

お時間ある方は、ご覧下さいまし。

 

いじめた人と

いじめられた人との間に出来たは、

一生埋まらない。

基本、ソレで良いと思います。