ダイレクトパス的な瞑想を試していると、要するに聖なる瞬間ってマインドが止まった時に訪れてるんじゃないかって思います。

 

よく、ヴィパッサナーとかであるような 何かひとつ 音とか感覚を選んでそれだけに意識を集中するという瞑想と同じです。

 

私がおそわったのはそれを日常の単純作業などで取り入れちゃう事ですが、とても気持ちが良いような、異次元に行ったような感覚になる事もあります。

 

これ、何か大きく心に引っかかってる事とかがあると 気持ちよくもなく、ただ普通〜 何にもな〜い、退屈〜 となります。

 

だから 今まで、聖霊と繋がってても ん?何もないんですけど?となっちゃってたんですね。

 

ルパートスパイラさんの本を読んでても、マインドが過去、今、未来を繋げて時間を作り 知覚や聴覚や視覚を繋げて私を作り出し、他人を、世界を作り出してるそうな。

 

悟る時、この私を捏造してる部分のマインドが全部死ぬんだそうです!凄いネ

 

 

で、この気持ち良〜い感覚 コレを待ってたはずなのに 何か吸い込まれそうな 未知な感じがして なんか怖いんですよ それで長く続けられないし、続かない。

 

慣れてくると、この感覚は長くなって深まるそうですが…

 

私が感じるのは 光が当たると闇が浮き彫りになって負け出てくるんですね。

だから過去傷がにゅるっと出てきます。怖いのはそれを予知してる感覚もあるかなあ。

 

こういう瞑想法、素晴らしくて もうコース要らなくない?なんてちょっと思ったんですが、これだけだと飽きるんですよね。

 

非二元の本も飽きちゃう。

 

その点、やっぱり奇跡のコース凄いなと思ったのは、エゴにとっても飽きない様に作られてること。

 

初めはなんでこんなに小難しい言い方するの?なんでこんなに長いの?と思ってたけど、参りました。カンペキです。

 

飽きるためには、中身をだいたい覚えちゃうことが必要ですが、全く覚えられません。

 

エゴや聖霊を擬人化してる事で、ストーリーとしての面白みもあるし。

キリストさん、さすがです…

 

 

マリア様