こんな経験はないだろうか??

 

AさんはBさんのことは褒めるが

Cさんのことは褒めない。

CさんはBさんよりもいい仕事をしているし、

貢献度も高くその自覚もあるが

Aさんに褒めてもらえない。

Cさんは結果どうするか??

 

Aさんから離れます。

 

image

 

これは会社経営においても

コミュニティ運営においても

複数の人が関わる集団を形成するうえで

絶対に気をつけなくてはいけないことだと思う。

 

僕も、職業訓練の場では「公平」という言葉は常に意識している。

 

けれど最近、僕自身がCさんの立場になったりする事があり、

めちゃくちゃモヤモヤしていた。

 

このことを自分なりに分析してみると、

 

①僕が見返り(評価)を求めていたこと。

 

②相手にとって、僕がやってあたりまえの存在になっている事。

 

③感謝の言葉を感謝として受け止められていない事。

(これには感謝の言葉と同時にミスへの注意も添えられていたため感謝の言葉と受け止められなかったのもあるが・・・ゴモゴモ・・・)

 

分析して思った。「これだからCさんになってしまうのだ」と。

 

ちっせえな俺。カッコ悪い。となった。

 

特に②の部分についてはこれはプラスで受け止めるべきだ。

 

やってあたりまえの存在になることは実は相当難しいのだ。

そして、そういう存在ほど、去っていって価値を感じるものはないということ。

 

そして、これを見返りなくやり続けるのが本当の「勇者」なのだろう。

 

逆にやってあたりまえに思われた矢先にやらなくなる、

やれなくなるのもこれはもったいないことだと

今年のいろいろな経験から実感した。

 

「勇者」は人を助けてあたりまえの存在。

 

そんなあたりまえの「勇者」になれるかどうかは

ここで腐るか腐らないかにかかっている。

 

子供の頃憧れた勇者は、

人助けをした後「報酬が少ない」なんて嘆かなかった。

 

僕もこんなつまらないことを考えてないで

まっすぐにあの憧れた「勇者」の背中を追おう。

 

その勇者のような存在には多分きっとなれないだろう。

 

「偽物の勇者」がきっとお似合いだ。

 

偽物でも、魔王を倒せば本物になれるのだ。

 

「聖剣を抜けなかった」勇者(葬送のフリーレン「勇者ヒンメル」)

 

勇気を持って、人を助け続け、いつか必ず魔王を倒そう。

 

余計なことは考えない。

 

「自利利他」であれ。

 

image