人間には「器」があるとよく言うが、僕にとってそれは

経験や、人から受け取った価値観・・・

もっと言えば「恩」を貯めるものが

「器」だと思っている。

 

その中身を盛大にぶち撒けて跡を濁して去ることを

誰も許しはしない。

 

僕自信もそれを許さない。

 

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世の中にはこんな美しいカップもあるが

磨かなければ、光らない。

 

美味しいコーヒーを淹れようとも思わない。

 

よく、「経営者の器以上に会社は大きくならない」

いうらしいが、だから「器を大きくしよう」なんて

僕は間違っていると思っている。

 

大きな器だけでは、料理は盛り付けできない。

 

樽のような容器もあれば

美味しいお酒を飲む「名器」もある。

 

大きさではない。役割が違うのだ。

 

けれど、人は器を大きくしようと一生懸命になる。

僕もその一人だった。

 

けれど、ある日から変わった。

 

「生まれ持った器は変えられない。

けれど、器を磨くことはできる。

器に入れる物を選ぶこともできる。」

 

そこに気がついた時、気持ちが随分楽になった。

 

そりゃそうだろう。

 

世の中、器を大きくしようとして

みんながおおきくなるんなら

大企業、大会社ばっかりだ。

 

その会社では、一体誰が働くのか??

 

みんなが樽やバケツから直接食材を食べる姿が

想像できるだろうか??

 

大きい器は大きい。

 

だが、小さい器も磨けば美しい。

 

価値に甲乙は付け難い。

 

磨き続けよう。

 

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昨日のブログに書いたが、人には役割がある。

 

僕は勇者ではない。

 

(「葬送のフリーレン」より「勇者ヒンメル」彼の考え方、生き方はとても共感できて大好きだ)

 

戦士でもない。

 

だが、魔法使いにはなれる。

 

僧侶にも多分なれる。

 

だったらその道をしっかり磨いて極めようじゃないか。

 

褒められなくてもいい。

褒められる人を支えれば良い。

褒められる人の成功が僕の成功なのだ。

 

中学のときの知人に

 

「お前随分小さくまとまったな。」

 

と、ばかにするような物言いをされた。

 

僕が離婚したことも知っていて

そのこともオブラートに包んだ物言いで

しっかりバカにされた。

 

そんな知人は

どうみても、僕より着ているものは安そうだし

とても満足に稼いでいるように見えなかったし

何なら未婚だそうだ。

 

そんな目でかつての知人を見てしまった自分が

情けない。

まだまだ「器が小さい」ということだろう。

 

けれど、それで良い。それが良い。

 

僕の器は小さいのだ。

 

小さい器だけれど、ちゃんと磨こう。

 

中に貯まった恩をこぼさずに歩いて行こう。

 

しっかり恩に感謝しよう。

 

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