リーマン面(Riemann surface) | Institute of Reproducing Kernels

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リーマン面

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f(z) = √z のリーマン面

数学、特に複素解析においてリーマン面(Riemann surface)とは、連結な複素 1 次元の複素多様体のことである。ベルンハルト・リーマンにちなんで名付けられた。 リーマン面は、複素平面を変形したものと考えられる。 各点の近くで局所的には、複素平面の部分に似ているが、大域的位相は大きく異なり得る。例えば、球面トーラス、または互いに糊付けした二枚の面のように見え得る。

リーマン面の主要な意味合いは、正則関数がそこで定義できることである。 今日、リーマン面は正則関数、特に、平方根や自然対数等の多価関数の大域的振る舞いを研究するための自然な土台と考えられている。

全てのリーマン面は向きづけ可能な実 2 次元の実解析的多様体(従って曲面)であって、正則関数を一義的に定義するために必要な追加的構造(特に複素構造)を含む。2 次元実多様体は、それが向き付け可能な場合、かつその場合に限り、(通常は、等価でない複数の方法により)リーマン面にすることができる。従って、球面トーラスは複素構造を持ち得るが、メビウスの輪クラインの壺および射影平面は持ち得ない。

リーマン面は、でき得る限り良い特性を有しているという幾何学的事実から、他の曲線多様体または代数多様体に対し一般化の直感および動機をしばしばもたらす。リーマン・ロッホの定理は、この影響の第一の例である。

定義[編集]

{\displaystyle X}

{\displaystyle U}

{\displaystyle V}

{\displaystyle \phi }

{\displaystyle \psi }

{\displaystyle \psi \circ \phi ^{-1}}

{\displaystyle \phi \circ \psi ^{-1}}

{\displaystyle \mathbb {C} ^{1}}

{\displaystyle \mathbb {C} ^{1}}

両立的な座標近傍

X を連結ハウスドルフ空間とする。開部分集合 U ⊆ X と U から C の部分集合への同相写像 φ の組 (U, φ)を座標近傍と言う。 2 つの局所座標 (U, φ) と (V, ψ) に対して U ∩ V ≠ ∅ の場合に、座標変換 ψ o φ−1 と φ o ψ−1 が各定義域上で正則のとき、座標近傍 (U, φ) と (V, ψ) は両立的(compatible)と言う。 A が両立的な座標近傍の集まりであって、任意の x ∈ X が A のある U に含まれるとき、A を座標近傍系と言う。X に座標近傍系 A が与えられたとき、(XA) をリーマン面と言う。

異なる座標近傍系であっても、X 上で本質的に同一のリーマン面の構造を引き起こすことがある。 そこで曖昧性を排除するため、X 上に与えられた座標近傍系は、他の座標近傍系に含まれないという意味で極大であることを要求することが時としてある。 ツォルンの補題により、任意の座標近傍系 A は一意に定まる極大な座標近傍系に含まれる。

例[編集]

  • 複素平面 C は、最も基本的なリーマン面と言えよう。恒等写像 f(z) = z が C の座標近傍を定義し、{f} が C の座標近傍系である。複素共軛写像 g(z) = z* も C の座標近傍を定義し {g} は C の座標近傍系になる。座標近傍 f と g は両立的でないので、2 つの異なるリーマン面の構造をもたらす。実際のところ、リーマン面 X とその座標近傍系 A が与えられたとき、共軛座標近傍系 B = {f* | f ∈ A} は A と決して両立的でなく、これにより、X に異なる、両立的でないリーマン面の構造がもたらされる。
  • 同様に、複素平面の任意の開集合は、自然にリーマン面とみなすことができる。さらに、リーマン面の任意の開集合は、リーマン面である。
  • S = C ∪ {∞} とおき、{\displaystyle z\in S\setminus \{\infty \}} に対し f(z) = z とおき、{\displaystyle z\in S\setminus \{0\}} に対し g(z) = 1 / z とおき、1/∞ を 0 と定義する。すると、f と g は座標近傍で、互いに両立的であり、{ fg } は S の座標近傍系をなし、S はリーマン面になる。この特別なリーマン面は、球面を複素平面で包んだと解することができるため、リーマン球面と言う。複素平面と異なり、リーマン球面はコンパクトである。
  • コンパクトなリーマン面の理論は、複素数上に定義される非特異な射影的代数曲線の理論と等価である。非コンパクトなリーマン面の重要な例は、解析接続により得られる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E9%9D%A2

 

実は0だった:

とても興味深く読みました:

 

再生核研究所声明 416(2018.2.20):  

ゼロ除算をやってどういう意味が有りますか。何か意味が有りますか。何になるのですか - 回答

 

ゼロ除算とは例えば、100割るゼロを考えることです。普通に考えると、それは考えられない(不可能)となるのですが、それが分かることが まず第1歩です。この意味が分かるまでは、 次には進めませんので、興味があれば、 次で解説されている最初の方を参照してください:

                                                                                                            

ゼロ除算の研究状況は、数学基礎学力研究会 サイトで解説が続けられています: http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku/

できない不可能である)と言われれば、何とかできるようにしたくなるのは相当に人間的な素性です。いろいろな冒険者や挑戦者を想い出します。ゼロ除算も子供の頃からできるようにしたいと考えた愛すべき人が結構多く世界にいたり、その問題に人生の大部分を費やして来ている物理学者や計算機科学者たちもいます。現在、ゼロ除算に強い興味を抱いて交流しているのは我々以外でも海外で 大体20名くらいです。ある歴史家の分析によれば、ゼロ除算の物理的な意味を論じ、ゼロ除算は不可能であると最初に述べたのはアリストテレス(BC 384-322) だということです。

また、アインシュタインの人生最大の懸案の問題だったと言われています。実際、物理学には、形式的にゼロ分のが 出て来る公式が沢山有って、分母がゼロの場合が 問題になるからです。いま華やかな宇宙論などでブラックホールや宇宙誕生などと関係があるとされ、ゼロ除算の歴史は 神秘的です。

ところが、ゼロを数学的に厳密に扱い、算術の法則を発見したインドのBrahmagupta (598 -668 ?) は 何と1300年も前に、0/0 はゼロであると定義していたというのです。それ以来1300年を超えてそれは間違いであるとされて来ました。1/0 等は無限大だろうと人は考えて来ました。関数 y=1/x を考えて、 原点の近くで考えれば、限りなく正の無限や負の無限に発散するので人は当然そのように考えるでしょう。天才たちもみんなそうだと考えて、現代に至っています。

ところが偶然4年前に 驚嘆すべき事実を発見しました。 関数 y=1/x の原点の値をゼロとすべきだという結果です。聞いただけで顔色を変える数学者は多く、数年経っても理解できない人は多いのですが、素人がそれは美しい、分かったと喜ぶ人も多いです。算術の創始者Brahmaguptaの考え、結果も 実は 適当であった。正しかったとなります。― 正しいことを間違っているとして来た世界史は 恥ずかしいのではないでしょうか。

この結果、無限の彼方(無限遠点)、無限が 実はゼロ(ゼロで表される)だったとなり、ユークリッド、アリストテレス以来の我々の空間の考えを変える必要が出て来ました。案内の上記サイトで詳しく解説されていますが、私たちの世界観や初等数学全般に大きな影響を与えます。どんどん全く新しい結果、現象が発見されますので、何といっても驚嘆します。 内容レベルが高校生にも十分分かることも驚きです。例えば、y軸の勾配がゼロで、tan (\pi/2) =0 だという驚きの結果です。数学というと人は難しくて分からないだろうと思うのが普通ではないでしょうか。そこで、面白く堪らなく楽しい研究になります。 現在、簡単な図を沢山入れてみんなで見て楽しんで頂けるような本を出版したいと計画を進めています。

 

内容は上記サイトで、相当素人向きに丁寧に述べているので、興味のある方は解説の最初の方を参考にして下さい。

以 上

 

 

再生核研究所声明 417(2018.2.23):  

ゼロ除算って何ですか - 中学生、高校生向き 回答

 

ゼロ除算とは例えば、100割るゼロを考えることです。普通に考えると、それは考えられない(不可能)となるのですが、それが分かることが まず第1歩です。何事始めが大事ですから、この意味が分かるように 次で詳しく解説されている部分を編集して、分かり易く説明したい:

 

ゼロ除算の研究状況は、数学基礎学力研究会 サイトで解説が続けられています: http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku/

前回の声明、再生核研究所声明 416(2018.2.20):  ゼロ除算をやってどういう意味が有りますか。何か意味が有りますか。何になるのですか - 回答

それ以前のこととして、今回はより基本的なことを述べたい。

12割る2は6、12割る3は4、12割る4は3、12割る6は2です。 12割る5は、商は2で余りは2で、12割る7は 商は1で余りは5です。これらを、普通、12/2=6,12/3=4,12/4=3,12/6=2 と分数で表現し、後半のように割り切れないときは 余りを表現したり、少数点以下割り算をどんどん 続けて行く場合などいろいろな考え方、表現があります。ここでは、簡単な場合として 自然数、1、2、3、4、、、、 の場合を考えましょう。

割り切れるときには、次の等式が成り立つことが大事です:

2X6=12, 3X4=12, 4X3=12, 2X6=12.

実際、12割る3を考えるとき、12の中に3が いくつ有るかと考え、3に何を掛けたら12になるかと考えるのではないでしょうか。ここには少し難しいところが有って、計算機などは決まった考えしかできないので、12から3を次々に引いて何回引けるかと考えれば、何時でも決まった考え方で割り算の商を求めることが出来ます。前半の考えは掛け算の逆を考えて、後半は引き算を何回やっての考え方ですから、前半の考えには感覚、予想などが必要であって、難しいですが、引き算の繰り返し(除いていく計算、除算)をただやればよいのですから、簡単です。計算機はこのようにして 割り算を実際行っています。

ゼロ除算とは、ゼロで割ることを考えるのですから、上記の場合、割る数、2,3,4,6のところでそれらがゼロだったらどうなるかと考えること、それがゼロ除算です。 ゼロで割ることを考えることです。

掛け算の逆で考える方法では、ゼロに何を掛けてもゼロですから、例えば、100/0は 0Xa=100 を探したいと考えても、0Xa =0 ですから、できない、存在しないということになってしまいます。そこで、現代数学では ゼロで割ってはいけないと教えられています。 数学界では2000年を超えた定説です。問題は、世の中には、分母がゼロになる公式が沢山現れて、分母がゼロになる場合が問題になります。

例えば、理想的な2つの質点間に働く、ニュートンの万有引力F は 2つの質量をm、M、万有引力定数をGとすると、距離をrとすれば

F = G mM/r^2。(r^2は rの2乗の意味)。

rをゼロに近づければ 正の無限に発散するが、rが ゼロに成れば無限大か? 無限大とは何か、数か? その意味が不明であるという点である。

そもそも足し算、掛け算の基礎はブラーマグプタ(Brahmagupta598 – 668?インド数学者天文学者によって、628に、総合的な数理天文書『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』(ब्राह्मस्फुटसिद्धान्त Brāhmasphuṭasiddhānta)の中で与えられ、ゼロの導入と共に四則演算が確立されていた。ゼロの導入、負の数の導入は数学の基礎中の基礎で、西欧世界がゼロの導入を永い間嫌っていた状況を見れば、これらは世界史上でも大事な事実であると考えられる。最近ゼロ除算は、拡張された割り算、分数の意味で可能で、ゼロで割ればゼロであることが、その大きな意義、影響とともに明らかにされてきた。しかしながら、 ブラーマグプタは その中で 0 ÷ 0  0 と定義していたが、奇妙にも1300年を越えて、現在に至っても 永く間違いであるとされている。現在でも0 ÷ 0について、幾つかの説が存在していて、現代数学でもそれは、定説として 不定であるとしている。最近の我々の研究の成果で、ブラーマグプタの考えは 実は正しかった ということになる。 しかしながら、一般の ゼロ除算については触れられておらず、永い間の懸案の問題として、世界を賑わしてきた。現在でも議論されている。ゼロ除算の永い歴史と神秘的な問題は、アインシュタインの人生最大の関心であったという言葉に象徴される。

 

物理学や計算機科学で ゼロ除算は大事な課題であるにも関わらず、創始者の考えを無視し、あるいは軽ろんじて、割り算は 掛け算の逆との 貧しい発想で 間違いを1300年以上も、繰り返してきたことは 実に奇妙、実に残念で、不名誉なことである。創始者は ゼロの深い意味、ゼロが 単純な算数・数学における意味を越えて、ゼロが基準を表す、不可能性を表現する、神が最も簡単なものを選択する、神の最小エネルギーの原理、すなわち、神もできれば横着したいなどの世界観を感じていて、0/0=0 を自明なもの と捉えていたものと考えられる。実際、巷で、ゼロ除算の結果や、適用例を語ると 結構な 素人の人々が 率直に理解されることが多い。ゼロ除算は至るところに見られると言っても良いほどです。

ゼロ除算を発見して議論を広く議論して間もなく、道脇愛羽さん当時6歳と緩まないネジで 有名なお父さん道脇裕氏たちは、3週間くらいで何でもゼロで割ればゼロであるとの驚嘆すべき発見に対して、理由を付けてそれは自明であると述べてきたのは 実に面白いことです。多くの専門家が、2、3年を越えても分からないと言っている経過を見ると本当に驚きです。

100/0 を100 から 0を何回引けるかと考えると、0を引いても100 は減りませんので、引いたとはいえず、減らすという意味で引ける回数はゼロ、したがって100/0=0 そして、余りが100であるとしました。 私たちは、割り算の意味を拡張して、ゼロ除算は拡張された分数の意味、割り算で 何でもゼロで割ればゼロであるという理論を数学的に確立させました。

1300年間も 創始者の考えを間違いであるとする 世界史は修正されるべきである、間違いであるとの不名誉を回復、数学の基礎の基礎である算術の確立者として、世界史上でも高く評価されるべきである。 真智への愛、良心から、熱い想いが湧いてくる。 ― 1300年も前に、創始者によって、0/0 = 0 とされてきたのに それは間違いだとして、現在も混乱しているのは、まずいのではないでしょうか?

できない不可能である)と言われれば、何とかできるようにしたくなるのは相当に人間的な素性です。いろいろな冒険者や挑戦者を想い出します。ゼロ除算も子供の頃からできるようにしたいと考えた愛すべき人が結構多く世界にいたり、その問題に人生の大部分を費やして来ている物理学者や計算機科学者たちもいます。現在、ゼロ除算に強い興味を抱いて交流しているのは我々以外でも海外で 大体20名くらいです。ある歴史家の分析によれば、ゼロ除算の物理的な意味を論じ、ゼロ除算は不可能であると最初に述べたのはアリストテレス(BC 384-322) だということです。

また、アインシュタインの人生最大の懸案の問題だったと言われています。実際、物理学には、形式的にゼロ分のが 出て来る公式が沢山有って、分母がゼロの場合が 問題になるからです。いま華やかな宇宙論などでブラックホールや宇宙誕生などと関係があるとされ、ゼロ除算の歴史は 神秘的です。

ところが、ゼロを数学的に厳密に扱い、算術の法則を発見したインドのBrahmagupta (598 -668 ?) は 何と1300年も前に、0/0 はゼロであると定義していたというのです。それ以来1300年を超えてそれは間違いであるとされて来ました。1/0 等は無限大だろうと人は考えて来ました。関数 y=1/x を考えて、 原点の近くで考えれば、限りなく正の無限や負の無限に発散するので人は当然そのように考えるでしょう。天才たちもみんなそうだと考えて、現代に至っています。

ところが偶然4年前に 驚嘆すべき事実を発見しました。 関数 y=1/x の原点の値をゼロとすべきだという結果です。聞いただけで顔色を変える数学者は多く、数年経っても理解できない人は多いのですが、素人がそれは美しい、分かったと喜ぶ人も多いです。算術の創始者Brahmaguptaの考え、結果も 実は 適当であった。正しかったとなります。― 正しいことを間違っているとして来た世界史は 恥ずかしいのではないでしょうか。

この結果、無限の彼方(無限遠点)、無限が 実はゼロ(ゼロで表される)だったとなり、ユークリッド、アリストテレス以来の我々の空間の考えを変える必要が出て来ました。案内の上記サイトで詳しく解説されていますが、私たちの世界観や初等数学全般に大きな影響を与えます。どんどん全く新しい結果、現象が発見されますので、何といっても驚嘆します。 内容レベルが高校生にも十分分かることも驚きです。例えば、y軸の勾配がゼロで、tan (\pi/2) =0 だという驚きの結果です。数学というと人は難しくて分からないだろうと思うのが普通ではないでしょうか。そこで、面白く堪らなく楽しい研究になります。 現在、簡単な図を沢山入れてみんなで見て楽しんで頂けるような本を出版したいと計画を進めています。

 

内容は上記サイトで、相当素人向きに丁寧に述べているので、興味のある方は解説の最初の方を参考にして下さい。

以 上

 

再姓核研究所声明 418(2018.2.24):  割り算とは何ですか? ゼロ除算って何ですか - 小学生、中学生向き 回答

 

 

ここ2回に亘ってゼロ除算の解説を高校生、中学生向きに解説したので、今回はそれらの前に小学生などを意識して、割り算の意味とゼロ除算の意味を解説したい。

まず、割り算ですが、割り算を最初に考えたのは、アダムとイブで仲良くリンゴを2つに分けたことにあると楽しく表現した人がいます。 10個のリンゴを2人で仲良く分ければ、5個ずつ分けると丁度良いと考えますね。これは10割る2の意味で、割り算とは同じように分けることと考えられます。 10個のリンゴを3人で分ければ、3個ずつ分けると1個余りになると考えれば、10割る3は 3余り1です。 これらを 10/3 = 3 … 1 等と書き、 10を3で割ると商が3で余りは1と表現します。 少し、 難しく、50を13で割るとどうなるでしょうか。 少し考えて、50/13 = 3… 11 となります。 確かめるには、本当に分けた結果が50になるかを確認すればいいですね。 13が 3つあると 39で 11個残りと言っているので、確かに全体で50になるので、結果が正しいことが分かります。

割り算は難しいと 有名な言葉が有りますが、

― 割り算のできる人には、どんなことも難しくない。                     

世の中には多くのむずかしいものがあるが、加減乗除の四則演算ほどむずかしいものはほかにない。                                                      

ベーダ・ヴェネラビリス(アイルランドの神学者)

数学名言集:ヴィルチェンコ編:松野武 山崎昇 訳大竹出版1989年

P199より 

 

簡単に考える方法があります。50に13が幾つあるかを考えているので、50引く13を繰り返して、 引けるまで、引き算を 繰り返します:

50-13=27、

27-13=14、

14-13=1

1から13は引けませんから、13は3個あるとなって、割り算の商が求まります。 この手順は何時でも決まった方法で必ず答えが得られますので、分かり易く実際、感情や直感、経験、

工夫などが苦手な計算機は割り算の商を計算するときにこのようにして自動的に計算しています。繰り返し引いていくので、繰り返して除いて行きますので、割り算は除算と呼ばれ、 西欧でも中世時代そのようにして計算していたというのです。 除算の名称は素晴らしいですね。

ゼロ除算とは、ゼロで割ることを考えることですから、 50割るゼロをやって見ましょう。

50-0=50

ですから、50はゼロを引いても引いたことにはならず、50/0=0 となるのではないでしょうか?

50のところは何でも結果はゼロだということになります。 ここをそうだと言ったら、1000年や2000年を越える新しい結果であるとなりますから、 大変です。 皆さんゼロで割ってはいけないと教えられてきていて、それが現代数学の定説です。

ところが、ゼロ除算は ある自然な意味で、何でもゼロで割ればゼロであるという数学を発見して ここ4年間研究を続けていますが このような新しい考えは、 数学の基礎と私たちの空間の考えを変える必要があり、大きな影響が有ります。

そこで、次の、中学、高校生ようの解説に進むことが出来ます。

そこに、小学1年生のお友達が出てきますから、面白いですね。

 

再生核研究所声明 417(2018.2.21):  

ゼロ除算って何ですか - 中学生、高校生向き 回答

 

ゼロ除算とは例えば、100割るゼロを考えることです。普通に考えると、それは考えられない(不可能)となるのですが、それが分かることが まず第1歩です。何事始めが大事ですから、この意味が分かるように 次で詳しく解説されている部分を編集して、分かり易く説明したい:

 

ゼロ除算の研究状況は、数学基礎学力研究会 サイトで解説が続けられています: http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku/

 

前回の声明、再生核研究所声明 416(2018.2.20): 

ゼロ除算をやってどういう意味が有りますか。何か意味が有りますか。何になるのですか - 回答

 

 

それ以前のこととして、今回はより基本的なことを述べたい。

12割る2は6、12割る3は4、12割る4は3、12割る6は2です。 12割る5は、商は2で余りは2で、12割る7は 商は1で余りは5です。これらを、普通、12/2=6,12/3=4,12/4=3,12/6=2 と分数で表現し、後半のように割り切れないときは 余りを表現したり、少数点以下割り算をどんどん 続けて行く場合などいろいろな考え方、表現があります。ここでは、簡単な場合として 自然数、1、2、3、4、、、、 の場合を考えましょう。

割り切れるときには、次の等式が成り立つことが大事です:

2X6=12, 3X4=12, 4X3=12, 2X6=12.

実際、12割る3を考えるとき、12の中に3が いくつ有るかと考え、3に何を掛けたら12になるかと考えるのではないでしょうか。ここには少し難しいところが有って、計算機などは決まった考えしかできないので、12から3を次々に引いて何回引けるかと考えれば、何時でも決まった考え方で割り算の商を求めることが出来ます。前半の考えは掛け算の逆を考えて、後半は引き算を何回やっての考え方ですから、前半の考えには感覚、予想などが必要であって、難しいですが、引き算の繰り返し(除いていく計算、除算)をただやればよいのですから、簡単です。計算機はこのようにして 割り算を実際行っています。

ゼロ除算とは、ゼロで割ることを考えるのですから、上記の場合、割る数、2,3,4,6のところでそれらがゼロだったらどうなるかと考えること、それがゼロ除算です。 ゼロで割ることを考えることです。

掛け算の逆で考える方法では、ゼロに何を掛けてもゼロですから、例えば、100/0は 0Xa=100 を探したいと考えても、0Xa =0 ですから、できない、存在しないということになってしまいます。そこで、現代数学では ゼロで割ってはいけないと教えられています。 数学界では2000年を超えた定説です。問題は、世の中には、分母がゼロになる公式が沢山現れて、分母がゼロになる場合が問題になります。

例えば、理想的な2つの質点間に働く、ニュートンの万有引力F は 2つの質量をm、M、万有引力定数をGとすると、距離をrとすれば

F = G mM/r^2。(r^2は rの2乗の意味)。

rをゼロに近づければ 正の無限に発散するが、rが ゼロに成れば無限大か? 無限大とは何か、数か? その意味が不明であるという点である。

そもそも足し算、掛け算の基礎はブラーマグプタ(Brahmagupta598 – 668?インド数学者天文学者によって、628に、総合的な数理天文書『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』(ब्राह्मस्फुटसिद्धान्त Brāhmasphuṭasiddhānta)の中で与えられ、ゼロの導入と共に四則演算が確立されていた。ゼロの導入、負の数の導入は数学の基礎中の基礎で、西欧世界がゼロの導入を永い間嫌っていた状況を見れば、これらは世界史上でも大事な事実であると考えられる。最近ゼロ除算は、拡張された割り算、分数の意味で可能で、ゼロで割ればゼロであることが、その大きな意義、影響とともに明らかにされてきた。しかしながら、 ブラーマグプタは その中で 0 ÷ 0  0 と定義していたが、奇妙にも1300年を越えて、現在に至っても 永く間違いであるとされている。現在でも0 ÷ 0について、幾つかの説が存在していて、現代数学でもそれは、定説として 不定であるとしている。最近の我々の研究の成果で、ブラーマグプタの考えは 実は正しかった ということになる。 しかしながら、一般の ゼロ除算については触れられておらず、永い間の懸案の問題として、世界を賑わしてきた。現在でも議論されている。ゼロ除算の永い歴史と神秘的な問題は、アインシュタインの人生最大の関心であったという言葉に象徴される。

 

物理学や計算機科学で ゼロ除算は大事な課題であるにも関わらず、創始者の考えを無視し、あるいは軽ろんじて、割り算は 掛け算の逆との 貧しい発想で 間違いを1300年以上も、繰り返してきたことは 実に奇妙、実に残念で、不名誉なことである。創始者は ゼロの深い意味、ゼロが 単純な算数・数学における意味を越えて、ゼロが基準を表す、不可能性を表現する、神が最も簡単なものを選択する、神の最小エネルギーの原理、すなわち、神もできれば横着したいなどの世界観を感じていて、0/0=0 を自明なもの と捉えていたものと考えられる。実際、巷で、ゼロ除算の結果や、適用例を語ると 結構な 素人の人々が 率直に理解されることが多い。ゼロ除算は至るところに見られると言っても良いほどです。

ゼロ除算を発見して議論を広く議論して間もなく、道脇愛羽さん当時6歳と緩まないネジで 有名なお父さん道脇裕氏たちは、3週間くらいで何でもゼロで割ればゼロであるとの驚嘆すべき発見に対して、理由を付けてそれは自明であると述べてきたのは 実に面白いことです。多くの専門家が、2、3年を越えても分からないと言っている経過を見ると本当に驚きです。

100/0 を100 から 0を何回引けるかと考えると、0を引いても100 は減りませんので、引いたとはいえず、減らすという意味で引ける回数はゼロ、したがって100/0=0 そして、余りが100であるとしました。 私たちは、割り算の意味を拡張して、ゼロ除算は拡張された分数の意味、割り算で 何でもゼロで割ればゼロであるという理論を数学的に確立させました。

1300年間も 創始者の考えを間違いであるとする 世界史は修正されるべきである、間違いであるとの不名誉を回復、数学の基礎の基礎である算術の確立者として、世界史上でも高く評価されるべきである。 真智への愛、良心から、熱い想いが湧いてくる。 ― 1300年も前に、創始者によって、0/0 = 0 とされてきたのに それは間違いだとして、現在も混乱しているのは、まずいのではないでしょうか?

できない不可能である)と言われれば、何とかできるようにしたくなるのは相当に人間的な素性です。いろいろな冒険者や挑戦者を想い出します。ゼロ除算も子供の頃からできるようにしたいと考えた愛すべき人が結構多く世界にいたり、その問題に人生の大部分を費やして来ている物理学者や計算機科学者たちもいます。現在、ゼロ除算に強い興味を抱いて交流しているのは我々以外でも海外で 大体20名くらいです。ある歴史家の分析によれば、ゼロ除算の物理的な意味を論じ、ゼロ除算は不可能であると最初に述べたのはアリストテレス(BC 384-322) だということです。

また、アインシュタインの人生最大の懸案の問題だったと言われています。実際、物理学には、形式的にゼロ分のが 出て来る公式が沢山有って、分母がゼロの場合が 問題になるからです。いま華やかな宇宙論などでブラックホールや宇宙誕生などと関係があるとされ、ゼロ除算の歴史は 神秘的です。

ところが、ゼロを数学的に厳密に扱い、算術の法則を発見したインドのBrahmagupta (598 -668 ?) は 何と1300年も前に、0/0 はゼロであると定義していたというのです。それ以来1300年を超えてそれは間違いであるとされて来ました。1/0 等は無限大だろうと人は考えて来ました。関数 y=1/x を考えて、 原点の近くで考えれば、限りなく正の無限や負の無限に発散するので人は当然そのように考えるでしょう。天才たちもみんなそうだと考えて、現代に至っています。

ところが偶然4年前に 驚嘆すべき事実を発見しました。 関数 y=1/x の原点の値をゼロとすべきだという結果です。聞いただけで顔色を変える数学者は多く、数年経っても理解できない人は多いのですが、素人がそれは美しい、分かったと喜ぶ人も多いです。算術の創始者Brahmaguptaの考え、結果も 実は 適当であった。正しかったとなります。― 正しいことを間違っているとして来た世界史は 恥ずかしいのではないでしょうか。

この結果、無限の彼方(無限遠点)、無限が 実はゼロ(ゼロで表される)だったとなり、ユークリッド、アリストテレス以来の我々の空間の考えを変える必要が出て来ました。案内の上記サイトで詳しく解説されていますが、私たちの世界観や初等数学全般に大きな影響を与えます。どんどん全く新しい結果、現象が発見されますので、何といっても驚嘆します。 内容レベルが高校生にも十分分かることも驚きです。例えば、y軸の勾配がゼロで、tan (\pi/2) =0 だという驚きの結果です。数学というと人は難しくて分からないだろうと思うのが普通ではないでしょうか。そこで、面白く堪らなく楽しい研究になります。 現在、簡単な図を沢山入れてみんなで見て楽しんで頂けるような本を出版したいと計画を進めています。

 

内容は上記サイトで、相当素人向きに丁寧に述べているので、興味のある方は解説の最初の方を参考にして下さい。高級編は ohttp://okmr.yamatoblog.net/ にあります。

以 上

 

 

再姓核研究所声明 418(2018.2.24):  割り算とは何ですか? ゼロ除算って何ですか - 小学生、中学生向き 回答

 

 

ここ2回に亘ってゼロ除算の解説を高校生、中学生向きに解説したので、今回はそれらの前に小学生などを意識して、割り算の意味とゼロ除算の意味を解説したい。

まず、割り算ですが、割り算を最初に考えたのは、アダムとイブで仲良くリンゴを2つに分けたことにあると楽しく表現した人がいます。 10個のリンゴを2人で仲良く分ければ、5個ずつ分けると丁度良いと考えますね。これは10割る2の意味で、割り算とは同じように分けることと考えられます。 10個のリンゴを3人で分ければ、3個ずつ分けると1個余りになると考えれば、10割る3は 3余り1です。 これらを 10/3 = 3 … 1 等と書き、 10を3で割ると商が3で余りは1と表現します。 少し、 難しく、50を13で割るとどうなるでしょうか。 少し考えて、50/13 = 3… 11 となります。 確かめるには、本当に分けた結果が50になるかを確認すればいいですね。 13が 3つあると 39で 11個残りと言っているので、確かに全体で50になるので、結果が正しいことが分かります。

割り算は難しいと 有名な言葉が有りますが、

― 割り算のできる人には、どんなことも難しくない。                     

世の中には多くのむずかしいものがあるが、加減乗除の四則演算ほどむずかしいものはほかにない。                                                      

ベーダ・ヴェネラビリス(アイルランドの神学者)

数学名言集:ヴィルチェンコ編:松野武 山崎昇 訳大竹出版1989年

P199より 

 

簡単に考える方法があります。50に13が幾つあるかを考えているので、50引く13を繰り返して、 引けるまで、引き算を 繰り返します:

50-13=27、

27-13=14、

14-13=1

1から13は引けませんから、13は3個あるとなって、割り算の商が求まります。 この手順は何時でも決まった方法で必ず答えが得られますので、分かり易く実際、感情や直感、経験、

工夫などが苦手な計算機は割り算の商を計算するときにこのようにして自動的に計算しています。繰り返し引いていくので、繰り返して除いて行きますので、割り算は除算と呼ばれ、 西欧でも中世時代そのようにして計算していたというのです。 除算の名称は素晴らしいですね。

ゼロ除算とは、ゼロで割ることを考えることですから、 50割るゼロをやって見ましょう。

50-0=50

ですから、50はゼロを引いても引いたことにはならず、50/0=0 となるのではないでしょうか?

50のところは何でも結果はゼロだということになります。 ここをそうだと言ったら、1000年や2000年を越える新しい結果であるとなりますから、 大変です。 皆さんゼロで割ってはいけないと教えられてきていて、それが現代数学の定説です。

ところが、ゼロ除算は ある自然な意味で、何でもゼロで割ればゼロであるという数学を発見して ここ4年間研究を続けていますが このような新しい考えは、 数学の基礎と私たちの空間の考えを変える必要があり、大きな影響が有ります。

そこで、次の、中学、高校生ようの解説に進むことが出来ます。

そこに、小学1年生のお友達が出てきますから、面白いですね。

再生核研究所声明 417(2018.2.21):  ゼロ除算って何ですか - 中学生、高校生向き 回答

ゼロ除算とは例えば、100割るゼロを考えることです。普通に考えると、それは考えられない(不可能)となるのですが、それが分かることが まず第1歩です。何事始めが大事ですから、この意味が分かるように 次で詳しく解説されている部分を編集して、分かり易く説明したい:

 

ゼロ除算の研究状況は、数学基礎学力研究会 サイトで解説が続けられています: http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku/

前回の声明、再生核研究所声明 416(2018.2.20):  ゼロ除算をやってどういう意味が有りますか。何か意味が有りますか。何になるのですか - 回答

それ以前のこととして、今回はより基本的なことを述べたい。

12割る2は6、12割る3は4、12割る4は3、12割る6は2です。 12割る5は、商は2で余りは2で、12割る7は 商は1で余りは5です。これらを、普通、12/2=6,12/3=4,12/4=3,12/6=2 と分数で表現し、後半のように割り切れないときは 余りを表現したり、少数点以下割り算をどんどん 続けて行く場合などいろいろな考え方、表現があります。ここでは、簡単な場合として 自然数、1、2、3、4、、、、 の場合を考えましょう。

割り切れるときには、次の等式が成り立つことが大事です:

2X6=12, 3X4=12, 4X3=12, 2X6=12.

実際、12割る3を考えるとき、12の中に3が いくつ有るかと考え、3に何を掛けたら12になるかと考えるのではないでしょうか。ここには少し難しいところが有って、計算機などは決まった考えしかできないので、12から3を次々に引いて何回引けるかと考えれば、何時でも決まった考え方で割り算の商を求めることが出来ます。前半の考えは掛け算の逆を考えて、後半は引き算を何回やっての考え方ですから、前半の考えには感覚、予想などが必要であって、難しいですが、引き算の繰り返し(除いていく計算、除算)をただやればよいのですから、簡単です。計算機はこのようにして 割り算を実際行っています。

ゼロ除算とは、ゼロで割ることを考えるのですから、上記の場合、割る数、2,3,4,6のところでそれらがゼロだったらどうなるかと考えること、それがゼロ除算です。 ゼロで割ることを考えることです。

掛け算の逆で考える方法では、ゼロに何を掛けてもゼロですから、例えば、100/0は 0Xa=100 を探したいと考えても、0Xa =0 ですから、できない、存在しないということになってしまいます。そこで、現代数学では ゼロで割ってはいけないと教えられています。 数学界では2000年を超えた定説です。問題は、世の中には、分母がゼロになる公式が沢山現れて、分母がゼロになる場合が問題になります。

例えば、理想的な2つの質点間に働く、ニュートンの万有引力F は 2つの質量をm、M、万有引力定数をGとすると、距離をrとすれば

F = G mM/r^2。(r^2は rの2乗の意味)。

rをゼロに近づければ 正の無限に発散するが、rが ゼロに成れば無限大か? 無限大とは何か、数か? その意味が不明であるという点である。

そもそも足し算、掛け算の基礎はブラーマグプタ(Brahmagupta598 – 668?インド数学者天文学者によって、628に、総合的な数理天文書『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』(ब्राह्मस्फुटसिद्धान्त Brāhmasphuṭasiddhānta)の中で与えられ、ゼロの導入と共に四則演算が確立されていた。ゼロの導入、負の数の導入は数学の基礎中の基礎で、西欧世界がゼロの導入を永い間嫌っていた状況を見れば、これらは世界史上でも大事な事実であると考えられる。最近ゼロ除算は、拡張された割り算、分数の意味で可能で、ゼロで割ればゼロであることが、その大きな意義、影響とともに明らかにされてきた。しかしながら、 ブラーマグプタは その中で 0 ÷ 0  0 と定義していたが、奇妙にも1300年を越えて、現在に至っても 永く間違いであるとされている。現在でも0 ÷ 0について、幾つかの説が存在していて、現代数学でもそれは、定説として 不定であるとしている。最近の我々の研究の成果で、ブラーマグプタの考えは 実は正しかった ということになる。 しかしながら、一般の ゼロ除算については触れられておらず、永い間の懸案の問題として、世界を賑わしてきた。現在でも議論されている。ゼロ除算の永い歴史と神秘的な問題は、アインシュタインの人生最大の関心であったという言葉に象徴される。

 

物理学や計算機科学で ゼロ除算は大事な課題であるにも関わらず、創始者の考えを無視し、あるいは軽ろんじて、割り算は 掛け算の逆との 貧しい発想で 間違いを1300年以上も、繰り返してきたことは 実に奇妙、実に残念で、不名誉なことである。創始者は ゼロの深い意味、ゼロが 単純な算数・数学における意味を越えて、ゼロが基準を表す、不可能性を表現する、神が最も簡単なものを選択する、神の最小エネルギーの原理、すなわち、神もできれば横着したいなどの世界観を感じていて、0/0=0 を自明なもの と捉えていたものと考えられる。実際、巷で、ゼロ除算の結果や、適用例を語ると 結構な 素人の人々が 率直に理解されることが多い。ゼロ除算は至るところに見られると言っても良いほどです。

ゼロ除算を発見して議論を広く議論して間もなく、道脇愛羽さん当時6歳と緩まないネジで 有名なお父さん道脇裕氏たちは、3週間くらいで何でもゼロで割ればゼロであるとの驚嘆すべき発見に対して、理由を付けてそれは自明であると述べてきたのは 実に面白いことです。多くの専門家が、2、3年を越えても分からないと言っている経過を見ると本当に驚きです。

100/0 を100 から 0を何回引けるかと考えると、0を引いても100 は減りませんので、引いたとはいえず、減らすという意味で引ける回数はゼロ、したがって100/0=0 そして、余りが100であるとしました。 私たちは、割り算の意味を拡張して、ゼロ除算は拡張された分数の意味、割り算で 何でもゼロで割ればゼロであるという理論を数学的に確立させました。

1300年間も 創始者の考えを間違いであるとする 世界史は修正されるべきである、間違いであるとの不名誉を回復、数学の基礎の基礎である算術の確立者として、世界史上でも高く評価されるべきである。 真智への愛、良心から、熱い想いが湧いてくる。 ― 1300年も前に、創始者によって、0/0 = 0 とされてきたのに それは間違いだとして、現在も混乱しているのは、まずいのではないでしょうか?

できない不可能である)と言われれば、何とかできるようにしたくなるのは相当に人間的な素性です。いろいろな冒険者や挑戦者を想い出します。ゼロ除算も子供の頃からできるようにしたいと考えた愛すべき人が結構多く世界にいたり、その問題に人生の大部分を費やして来ている物理学者や計算機科学者たちもいます。現在、ゼロ除算に強い興味を抱いて交流しているのは我々以外でも海外で 大体20名くらいです。ある歴史家の分析によれば、ゼロ除算の物理的な意味を論じ、ゼロ除算は不可能であると最初に述べたのはアリストテレス(BC 384-322) だということです。

また、アインシュタインの人生最大の懸案の問題だったと言われています。実際、物理学には、形式的にゼロ分のが 出て来る公式が沢山有って、分母がゼロの場合が 問題になるからです。いま華やかな宇宙論などでブラックホールや宇宙誕生などと関係があるとされ、ゼロ除算の歴史は 神秘的です。

ところが、ゼロを数学的に厳密に扱い、算術の法則を発見したインドのBrahmagupta (598 -668 ?) は 何と1300年も前に、0/0 はゼロであると定義していたというのです。それ以来1300年を超えてそれは間違いであるとされて来ました。1/0 等は無限大だろうと人は考えて来ました。関数 y=1/x を考えて、 原点の近くで考えれば、限りなく正の無限や負の無限に発散するので人は当然そのように考えるでしょう。天才たちもみんなそうだと考えて、現代に至っています。

ところが偶然4年前に 驚嘆すべき事実を発見しました。 関数 y=1/x の原点の値をゼロとすべきだという結果です。聞いただけで顔色を変える数学者は多く、数年経っても理解できない人は多いのですが、素人がそれは美しい、分かったと喜ぶ人も多いです。算術の創始者Brahmaguptaの考え、結果も 実は 適当であった。正しかったとなります。― 正しいことを間違っているとして来た世界史は 恥ずかしいのではないでしょうか。

この結果、無限の彼方(無限遠点)、無限が 実はゼロ(ゼロで表される)だったとなり、ユークリッド、アリストテレス以来の我々の空間の考えを変える必要が出て来ました。案内の上記サイトで詳しく解説されていますが、私たちの世界観や初等数学全般に大きな影響を与えます。どんどん全く新しい結果、現象が発見されますので、何といっても驚嘆します。 内容レベルが高校生にも十分分かることも驚きです。例えば、y軸の勾配がゼロで、tan (\pi/2) =0 だという驚きの結果です。数学というと人は難しくて分からないだろうと思うのが普通ではないでしょうか。そこで、面白く堪らなく楽しい研究になります。 現在、簡単な図を沢山入れてみんなで見て楽しんで頂けるような本を出版したいと計画を進めています。

 

内容は上記サイトで、相当素人向きに丁寧に述べているので、興味のある方は解説の最初の方を参考にして下さい。高級編は ohttp://okmr.yamatoblog.net/ にあります。

以 上

 

 

 

 

生まれた時から目の見えない人に、空の青さを伝える時何と言えばいいでしょうか?http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11161134531

それは大変難しい問題です:
認識の問題で、説明は不可能ではないでしょうか。
ゼロ除算も新しい概念なので 簡単ですが 理解が難しい状況です。

 

 


理論的、技術的には難しくないのに、長い間発見や発明がされなかったものはありますか?  

QUORA 

閲覧数: 1回 ·https://jp.quora.com/
Akanuma Shigeki
さんがリクエストした回答

https://jp.quora.com/%E7%90%86%E8%AB%96%E7%9A%84-%E6%8A%80%E8%A1%93%E7%9A%84%E3%81%AB%E3%81%AF%E9%9B%A3%E3%81%97%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%AB-%E9%95%B7%E3%81%84%E9%96%93%E7%99%BA%E8%A6%8B%E3%82%84%E7%99%BA%E6%98%8E

 

 

それは簡単ですが、重大なものがありますよ。ゼロで割るゼロ除算です。

何と、0/0=1/0=0 で、新しい世界を、数学を、思想を拓きます: ご覧あれ:

 

 

“Everything divided by zero is zero.”

https://twitter.com/GDPerticarari/status/1545223081974710275

素晴らしい、分かっていただけて:

ゼロ除算は実は簡単でした:0で割る事は、割らないことです:

 

 


ちょっとおかしいと思いませんか? まず、日本人は自分の会社が大嫌いです。

なにしろ20人中19人が自社に愛着がないと答えているのですから。

そして、約半数は勤務し続けたくないと回答している。

ですが転職・起業をしようと考えている割合は転職で25%

起業で16%しかない

https://twitter.com/tabbata/status/1544824682905448449

 

それはおかしいですね、それは残念ですね。