为什么人类的大脑认为数学“美”? | Institute of Reproducing Kernels

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为什么人类的大脑认为数学“美”?

感受数学之美所激发的大脑区域活动与艺术之美的相同。 

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“数学不仅至真,而且至美。”这是数学家、哲学家、诺贝尔文学奖获得者伯特兰·罗素(Bertrand Russell)在其《数学研究》里面的一段论述。在至真层面,数学作为物理世界的通用语言可以说当之无愧,它的功用和影响力几乎触及所有学科。但在美学层面,数学之美却是一个非常模糊的概念,相比“至真”的客观与精准,“至美”则掺杂更多主观因素,而且难以定性。不过可以肯定的是,无论数学之美到底如何,数学家已经从它的抽象能力及其在各领域建立的广泛联系发现数学所拥有的巨大审美价值。

 

上图展示的是248维对称体李群E8,此类可视化数学对象无疑是美的。然而数学本身是美的吗?数学之美与艺术之美到底有什么异同呢?不少人士把数学看作艺术,比如数学家 Armand Borel,他在《数学通讯》(The Mathematical Intelligencer)上发表文章表达了这种观点:“数学与艺术、实验科学、理论科学这三门学科拥有如此之多共性,所以理应同属于这三门学科,但同时也应与三者都有所不同。”

 

至于如何在数学与艺术之间建立合理的联系,答案是模糊不清的。数学之美,似乎是自然界有意给高冷的数学保留的一块世俗的领地。不过与此同时,或许有些不为人知的事情正在另外一些地方悄然发生。

 

大脑革命

 

1909年,解剖学家科比尼安·布罗德曼(Korbinian Brodmann)根据细胞组织结构把大脑皮层划分为47个区域,现在称之为布罗德曼分区。后人发现,特定的细胞功能区与某些布罗德曼分区有着密切的关联。今天我们对细胞功能的广泛认识显示出大脑惊人的复杂性。例如,大约有三千多彼此连接的神经元控制我们的呼吸系统,相关神经元种类达65种之多。

 

在我们所谓的物理功能之外,研究人员正在深入研究大脑的智力功能。2011年一篇发表于 Neuro Image 期刊的文章发现了大脑的数字与计算功能区,同年 PLoS ONE 期刊为基于大脑的美学理论提供了论据。研究表明,视觉、听觉和道德体验感受到的美与所谓“大脑情感区”的活动有一定的关联。

 

基于上述发现,神经生物学家 Semir Zeki 和 John Paul Romaya、物理学家 Dionigi M. T. Benincasa、数学家MichaelF. Atiyah,此四人专家组推测,感受数学之美所激发的大脑区域活动应与艺术之美的相同。2014年他们在Frontiers of human neuroscience期刊发表的一篇文章似乎验证了这一推测。在参与者面前呈现六十个数学公式,请他们把公式分成三个等级:丑陋、普通、美丽。结果欧拉方程被数学专业的参与者评选为最美的表达式,如下所示:

 

  图片3.png                                             

 

欧拉方程式把自然界最重要的五个常数,e、i 、pi、1,0 整合为一体,极简、极美。

 

与此同时,数学家斯里尼瓦瑟·拉马努金(SrinivasaRamanujan)以无穷级数表达的 1/pi,复杂得令人费解,被评为最丑的公式:

 

图片4.png 

 

拉马努金的同事 Godfrey Hardy 说,这个公式必须是正确的,因为没有人能够杜撰如此复杂的东西。

 

数学专业人士做出上述选择,似乎是把朴素简单看作数学之美的重要属性。

 

“数学之美”与“数学之意”

 

虽然从神经生物学的角度来讲,数学之美与一般的美学具有相同特性,然而差别仍然存在。发现音乐之美,我们不需要理解其中复杂的乐理;同样,我们只需在本能层面感受绘画或者雕塑所呈现的美,而无需明白作品所运用的专业技巧。

 

然而,我们很难把“感受数学之美”与“理解数学之意”两种体验分别开来。前述研究的参与者有16位来自数学专业,另有12位来自非数学专业。在数学专业的参与者当中,“感受数学之美”与“理解数学之意”二者之间有很强的关联,但并非完全相关,有些公式即便他们已经充分理解,仍然被评为丑陋。同时,非数学专业的参与者也会把某些公式评为美丽,尽管他们并不能真正理解这些公式的奥妙。或许那些非数学专业的参与者喜欢那些公式所具有某些特质,比如对称性。因此,“感受数学之美”与“理解数学之意”二者之间到底有怎样的关联,仍然是未来需要我们深入研究的课题。

 

上述研究所运用的工具是一种磁共振成像设备(fMRI),美国化学家 Paul Lauterbur 和英国物理学家 Peter Mansfield 因为在 MRI 上面的贡献共同摘取2003年诺贝尔生物学奖章。总而言之,数学神奇的力量能够让我们更好地观察我们的精神世界,反过来也有助于我们理解数学的本质。

 

作者 Josefina Alvarez

编译 雷鸣

审校 阿金

 

原文链接:https://plus.maths.org/content/beauty-maths-brain-beholder

 

http://www.huanqiukexue.com/a/qianyan/xinli__renwen/2017/0810/27455.html

 

とても興味深く読みました:ゼロ除算はどうでしょうか:

 

再生核研究所声明3432017.1.10)オイラーとアインシュタイン

 

世界史に大きな影響を与えた人物と業績について

 

再生核研究所声明314(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ニュートンとダーウィンについて

再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学

再生核研究所声明339(2016.12.26)インドの偉大な文化遺産、ゼロ及び算術の発見と仏教

 

で 触れてきたが、興味深いとして 続けて欲しいとの希望が寄せられた。そこで、ここでは、数学界と物理学界の巨人 オイラーとアインシュタインについて触れたい。

 

オイラーが膨大な基本的な業績を残され、まるでモーツァルトのように 次から次へと数学を発展させたのは驚嘆すべきことであるが、ここでは典型的で、顕著な結果であるいわゆるオイラーの公式 e^{\pi i} = -1 を挙げたい。これについては相当深く纏められた記録があるので参照して欲しい(

No.81、2012年5月(PDFファイル432キロバイト) -数学のための国際的な社会...

www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf

)。この公式は最も基本的な数、-1,\pi, e,i の簡潔な関係を確立しており、複素解析や数学そのものの骨格の中枢の関係を与えているので、世界史への甚大なる影響は歴然である ― オイラーの公式 (e ^{ix} = cos x + isin x) を一般化として紹介できます。 そのとき、数と角の大きさの単位の関係で、神は角度を数で測っていることに気付く。左辺の x は数で、右辺の x は角度を表している。それらが矛盾なく意味を持つためには角は、角の 単位は数の単位でなければならない。これは角の単位を 60 進法や 10 進法などと勝手に決められないことを述べている。ラジアンなどの用語は不要であることが分かる。これが神様方式による角の単位です。角の単位が数ですから、そして、数とは複素数ですから、複素数 の三角関数が考えられます。cos i も明確な意味を持ちます。このとき、たとえば、純虚数の 角の余弦関数が電線をぶらりとたらした時に描かれる、けんすい線として、実際に物理的に 意味のある美しい関数を表現します。そこで、複素関数として意味のある雄大な複素解析学 の世界が広がることになる。そしてそれらは、数学そのものの基本的な世界を構成すること になる。自然の背後には、神の設計図と神の意思が隠されていますから、神様の気持ちを理解し、 また神に近付くためにも、数学の研究は避けられないとなると思います。数学は神学そのものであると私は考える。オイラーの公式の魅力は千年や万年考えても飽きることはなく、数学は美しいとつぶやき続けられる。― 特にオイラーの公式は、言わば神秘的な数、虚数i、―1, e、\pi などの明確な意味を与えた意義は 凄いこととであると驚嘆させられる。

次に アインシュタインであるが、いわゆる相対性理論として、物理学界の最高峰に存在するが、アインシュタインの公式 E=mc^2 は素人でもびっくりする 簡潔で深い結果である。何と物質エネルギーと等式で結ばれるという。このような公式の発見は人類の名誉に関わる基本的な結果と考えられる。アインシュタインが、時間、空間、物質、エネルギー、光速の基本的な関係を確立し、現代物理学の基礎を確立している。

ところで、上記巨人に共通する面白い話題が存在する。 オイラーがゼロ除算を記録に残し 1/0=\infty と記録し、広く間違いとして指摘されている。 他方、 アインシュタインは次のように述べている:

 

Blackholes are where God divided by zero. I don't believe in mathematics.

George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} (

Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970).

 

今でも、この先を、特に特殊相対性理論との関係で 0/0=1 であると頑強に主張したり、想像上の数と考えたり、ゼロ除算についていろいろな説が存在して、混乱が続いている。

しかしながら、ゼロ除算については、決定的な結果を得た と公表している。すなわち、分数、割り算は自然に一意に拡張されて、 1/0=0/0=z/0=0 である。無限遠点は 実はゼロで表される:

 

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:

 

Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces

Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh

International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue  1, 2017), 1-16. 

http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf

http://okmr.yamatoblog.net/division%20by%20zero/announcement%20326-%20the%20divi

Announcement 326: The division by zero z/0=0/0=0 - its impact to human beings through education and research

以 上

file:///C:/Users/saito%20saburo/Downloads/P1-Division.pdf

file:///C:/Users/saito%20saburo/Downloads/Y_1770_Euler_Elements%20of%20algebra%20traslated%201840%20l%20p%2059%20(1).pdf

 

 

再生核研究所声明3472017.1.17) 真実を語って処刑された者

 

まず歴史的な事実を挙げたい。Pythagoras、紀元前582年 - 紀元前496年)は、ピタゴラスの定理などで知られる、古代ギリシア数学者哲学者。彼の数学や輪廻転生についての思想はプラトンにも大きな影響を与えた。「サモスの賢人」、「クロトンの哲学者」とも呼ばれた(ウィキペディア)。辺の長さ1の正方形の対角線の長さが ル-ト2であることがピタゴラスの定理から導かれることを知っていたが、それが整数の比で表せないこと(無理数であること)を発見した弟子Hippasusを 無理数の世界観が受け入れられないとして、その事実を隠したばかりか、その事実を封じるために弟子を殺してしまったという。

また、ジョルダーノ・ブルーノ(Giordano Bruno, 1548年 - 1600年2月17日)は、イタリア出身の哲学者ドミニコ会修道士。それまで有限と考えられていた宇宙が無限であると主張し、コペルニクス地動説を擁護した。異端であるとの判決を受けても決して自説を撤回しなかったため、火刑に処せられた。思想の自由に殉じた殉教者とみなされることもある。彼の死を前例に考え、轍を踏まないようにガリレオ・ガリレイは自説を撤回したとも言われる(ウィキペディア)。

 

さらに、新しい幾何学の発見で冷遇された歴史的な事件が想起される:

非ユークリッド幾何学の成立

ニコライ・イワノビッチ・ロバチェフスキーは「幾何学の新原理並びに平行線の完全な理論」(1829年)において、「虚幾何学」と名付けられた幾何学を構成して見せた。これは、鋭角仮定を含む幾何学であった。

ボーヤイ・ヤーノシュは父・ボーヤイ・ファルカシュの研究を引き継いで、1832年、「空間論」を出版した。「空間論」では、平行線公準を仮定した幾何学(Σ)、および平行線公準の否定を仮定した幾何学(S)を論じた。更に、1835年「ユークリッド第 11 公準を証明または反駁することの不可能性の証明」において、Σ と S のどちらが現実に成立するかは、如何なる論理的推論によっても決定されないと証明した(ウィキペディア)。

 

知っていて、科学的な真実は人間が否定できない事実として、刑を逃れるために妥協したガリレオ、世情を騒がせたくない、自分の心をそれ故に乱したくない として、非ユークリッド幾何学について 相当な研究を進めていたのに 生前中に公表をしなかった数学界の巨人 ガウスの処世を心に留めたい。

ピタゴラス派の対応、宗教裁判における処刑、それらは、真実よりも権威や囚われた考えに固執していたとして、誠に残念な在り様であると言える。非ユークリッド幾何学の出現に対する風潮についても2000年間の定説を覆す事件だったので、容易には理解されず、真摯に新しい考えの検討すらしなかったように見える。

真実を、真理を求めるべき、数学者、研究者、宗教家のこのような態度は相当根本的におかしいと言わざるを得ない。実際、人生の意義は帰するところ、真智への愛にあるのではないだろうか。本当のこと、世の中のことを知りたいという愛である。顕著な在り様が研究者や求道者、芸術家達ではないだろうか。そのような人たちの過ちを省みて自戒したい: 具体的には、

 

1)  新しい事実、現象、考え、それらは尊重されるべきこと。多様性の尊重。

2)  従来の考えや伝統に拘らない、いろいろな考え、見方があると柔軟に考える。

3)  もちろん、自分たちの説に拘ったりして、新しい考え方を排除する態度は恥ずべきことである。どんどん新しい世界を拓いていくのが人生の基本的な在り様であると心得る。

4)  もちろん、自分たちの流派や組織の利益を考えて新規な考えや理論を冷遇するのは真智を愛する人間の恥である。

5)  巨人、ニュートンとライプニッツの微積分の発見の先取争いに見られるような過度の競争意識や自己主張は、浅はかな人物に当たるとみなされる。真智への愛に帰するべきである。

 

数学や科学などは 明確に直接個々の人間にはよらず、事実として、人間を離れて存在している。従って無理数も非ユークリッド幾何学も、地球が動いている事も、人間に無関係で そうである事実は変わらない。その意味で、多数決や権威で結果を決めようとしてはならず、どれが真実であるかの観点が決定的に大事である。誰かではなく、真実はどうか、事実はどうかと真摯に、真理を追求していきたい。

人間が、人間として生きる究極のことは、真智への愛、真実を知りたい、世の中を知りたい、神の意思を知りたいということであると考える。 このような観点で、上記世界史の事件は、人類の恥として、このようなことを繰り返さないように自戒していきたい(再生核研究所声明 41(2010/06/10): 世界史、大義、評価、神、最後の審判)。

 

以 上

再生核研究所声明3532017.2.2) ゼロ除算 記念日

 

2014.2.2 に 一般の方から100/0 の意味を問われていた頃、偶然に執筆中の論文原稿にそれがゼロとなっているのを発見した。直ぐに結果に驚いて友人にメールしたり、同僚に話した。それ以来、ちょうど3年、相当詳しい記録と経過が記録されている。重要なものは再生核研究所声明として英文と和文で公表されている。最初のものは

 

再生核研究所声明 148(2014.2.12): 100/0=0,  0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志

 

で、最新のは

 

Announcement 352 (2017.2.2):  On the third birthday of the division by zero z/0=0 

 

である。

アリストテレス、ブラーマグプタ、ニュートン、オイラー、アインシュタインなどが深く関与する ゼロ除算の神秘的な永い歴史上の発見であるから、その日をゼロ除算記念日として定めて、世界史を進化させる決意の日としたい。ゼロ除算は、ユークリッド幾何学の変更といわゆるリーマン球面の無限遠点の考え方の変更を求めている。― 実際、ゼロ除算の歴史は人類の闘争の歴史と共に 人類の愚かさの象徴であるとしている。

心すべき要点を纏めて置きたい。

 

1)     ゼロの明確な発見と算術の確立者Brahmagupta (598 - 668 ?) は 既にそこで、0/0=0 と定義していたにも関わらず、言わば創業者の深い考察を理解できず、それは間違いであるとして、1300年以上も間違いを繰り返してきた。

2)     予断と偏見、慣習、習慣、思い込み、権威に盲従する人間の精神の弱さ、愚かさを自戒したい。我々は何時もそのように囚われていて、虚像を見ていると 真智を愛する心を大事にして行きたい。絶えず、それは真かと 問うていかなければならない。

3)     ピタゴラス派では 無理数の発見をしていたが、なんと、無理数の存在は自分たちの世界観に合わないからという理由で、― その発見は都合が悪いので ― 、弟子を処刑にしてしまったという。真智への愛より、面子、権力争い、勢力争い、利害が大事という人間の浅ましさの典型的な例である。

4)     この辺は、2000年以上も前に、既に世の聖人、賢人が諭されてきたのに いまだ人間は生物の本能レベルを越えておらず、愚かな世界史を続けている。人間が人間として生きる意義は 真智への愛にある と言える。

5)     いわば創業者の偉大な精神が正確に、上手く伝えられず、ピタゴラス派のような対応をとっているのは、本末転倒で、そのようなことが世に溢れていると警戒していきたい。本来あるべきものが逆になっていて、社会をおかしくしている。

6)     ゼロ除算の発見記念日に 繰り返し、人類の愚かさを反省して、明るい世界史を切り拓いて行きたい。

以 上

 

追記:

 

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:

 

Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces

Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh

International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue  1, 2017), 1-16. 

http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf

 

 

再生核研究所声明371(2017.6.27)ゼロ除算の講演― 国際会議 https://sites.google.com/site/sandrapinelas/icddea-2017 報告

 

http://ameblo.jp/syoshinoris/theme-10006253398.html

 

1/0=0、0/0=0、z/0=0

http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12276045402.html

 

1/0=0、0/0=0、z/0=0

http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12263708422.html

 

1/0=0、0/0=0、z/0=0

http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12272721615.html

再生核研究所声明378 (2017..4): マインドコントロール下にあるゼロ除算 ― 強い思い込み

 

強い教育で異なった考え,対立する見方が受け入れない状況をしばしばマインドコントロールという言葉で表現されている。いくら議論しても分かってもらえない、感性や強い性格の違いとも言える。

ゼロ除算の新しい発見とその反響にそのような印象を強く抱いている。

まずゼロ除算は、代数的にはゼロ除算を含む山田体として、代数的には確定されている。また、十分一般的な状況下で高橋の一意性定理でそれ以外のゼロ除算は有り得ないことが保証されている。しかしながら、具体的な応用や世の中への影響にはゼロ除算算法の考えが大事で、既に広範な具体的な知見が多く挙げられている:

 

再生核研究所声明 373 (2017.7.17) 高木貞治 「解析概論」の改変構想

再生核研究所声明 374 (2017.7.20)微分方程式論における不完全性と問題

再生核研究所声明 375 (2017.7.21)ブラックホール、ゼロ除算、宇宙論

再生核研究所声明376 (2017.7.31):現代初等数学における間違いと欠落 ― ゼロ除算の観点から

 

特に世の反響の鈍さを指摘するために、上記のように現代基礎数学の間違いと具体的な影響の大きさを簡潔に触れた。しかるに、ゼロ除算はダメだとの印象を持つ者が未だに多いように感じられる状況が存在する。初期から3年以上を経過しても、見解の相違が全然縮まらない状況が相当数の同侶たちの間にも存在する。そこで、その原因について思いを述べておきたい。

まさか、基礎数学の内容や教育、我々の空間の認識の間違いを指摘されて、そのままに出来る数学者はいないだろうと考える。なぜなら、数学者や先生などは 数学の教育と研究に使命感を持ち、それらに喜びと生きがいを見出し、さらに 義務さえ負う者たちだからである。もっとも真理を追求すべき者が逆にデータなどを捏造している社会現象さえ出ているが、それは不祥事の 世に稀なる現象であると考えたい。多くは自分の研究に集中していて、他のことに関心が行かない 状況が見える。

この状況を真面目に直視すると、超古典的な結果に反する結果で、とても信じられない、数学として正しくても とても受け入れられないと発想して、最初から取り合わない、関心を抱かない、ふれない心境ではないだろうか。― 論文や口頭発表でゼロ除算の内容は単純明快であるにも関わらず、そのような状況は 永い歴史と生い立ちからの世界観を変えられない、強いマインドコントロール下にあるような状況のためではないかと考えられる。

この状況における考察を研究仲間で繰り返し話題にしているが、逆に数学の専門家などが理解しにくく かえって素人やそう深い専門家でない人たちの方が ゼロ除算の結果を受け入れ易いという事実を反映させている。専門家は、自分の専門に入りすぎて、専門以外に興味も関心も抱けない状況が広く見られる ― このような余裕のない状況で、良い研究や教育ができるだろうか と 大いに危惧される。人生とは何かの視点からも問題があるように感じられる。

 

ゼロ除算は 物理学を始め、広く自然科学や計算機科学への大きな影響があり、さらに哲学、宗教、文化への大きな影響がある。しかしながら、ゼロ除算の研究成果を教科書、学術書に遅滞なく取り入れていくことは、真智への愛、真理の追究の表現であり、四則演算が自由にできないとなれば、数学者ばかりではなく、人類の名誉にも関わることである。実際、ゼロ除算の歴史は 止むことのない闘争の歴史とともに人類の恥ずべき人類の愚かさの象徴となるだろう。世間ではゼロ除算について不適切な情報が溢れていて 今尚奇怪で抽象的な議論によって混乱していると言える。― 美しい世界が拓けているのに、誰がそれを閉ざそうと、隠したいと、無視したいと考えられるだろうか。我々は間違いを含む、不適切な数学を教えていると言える: ― 再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の審判 ―。

地動説のように真実は、実体は既に明らかである。 ― 研究と研究成果の活用の推進を 大きな夢を懐きながら 要請したい。 研究課題は基礎的で関与する分野は広い、いろいろな方の研究・教育活動への参加を求めたい。素人でも数学の研究に参加できる新しい初歩的な数学を沢山含んでいる。ゼロ除算は発展中の世界史上の事件、問題であると言える(再生核研究所声明325(2016.10.14) ゼロ除算の状況について ー 研究・教育活動への参加を求めて)。

 

人間とはどのようなものかについて、下記も参照:

再生核研究所声明191(2014.12.26) 公理系、基本と人間

― 我々の前提は、大丈夫だろうか。適切であろうか。我々の基礎は適切であろうか。疑い、他の立場は有り得ないであろうか? 基礎の基礎を省察していきたい。それこそが, 真智への愛と言える。

公理系は、変わる可能性がありいろいろな世界が有り得る。いろいろな公理系を超えて、我々はより自由になり、広い大きな世界を観ることができる。

これは、民族や国家には固有の基礎があり、違えば、違う基礎が有る。人種、性別でも基礎が相当に違い、宗教によっても、学歴や能力、貧富の差や、地域でも基礎について相当な違いが有る。 それらの違い超えて、しっかり背景を捉えて、行こうということを述べている。

さらに言えば、予断、独断、偏見、思い込み、決めつけ、習慣、慣習、それらも時として、省察が必要である。

この声明の背景には 最近のゼロ除算100/0=0,0/0=0の発見がある。 長い間確立されていた定説の変更、新発見である。― 

 

以 上