白蓮、駆け落ち直後の手紙発見 公開しオークションに | Institute of Reproducing Kernels

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白蓮、駆け落ち直後の手紙発見 公開しオークションに
宮代栄一2014年11月14日05時41分

「白蓮事件」に関係した柳原白蓮らの直筆の手紙=13日午後、東京都千代田区、小玉重隆撮影


大正~昭和期の歌人で、NHK連続テレビドラマ「花子とアン」に登場した葉山蓮子のモデルにもなった柳原白蓮(びゃくれん、本名・燁子〈あきこ〉、1885~1967年)が、法学士の宮崎龍介と駆け落ちした「白蓮事件」の直後に書いた手紙が見つかった。現存する白蓮の他の書状に比べて文字がかなり乱れており、当時、白蓮がかなり動揺していた様子がうかがえる。14、15日に千代田区神田小川町の東京古書会館で開かれる古典籍展観大入札会で一般公開される。

(withnews)朝ドラの蓮さまのモデル、「白蓮」の人生が実はすごい見つかったのは、「盛一」という人物から自分あてに送られてきた手紙を、当時離れて住んでいた龍介に転送した際につけた書状で、事件の約2週間後の1921(大正10)年11月2日付。「ご両親様との御都合もおわるくて嘸(さぞ)かし貴方(あなた)はお困りでせう」と相手を気遣いながらも、「これも前世での約束でしたのでせう。これからこそ私は本当の人間としての生涯に新生の日も近づいて来ているので御座(ござ)いますから何とぞ私を救ってくださいまし」と訴える。最後は「貴方は毎日何していらっしゃる(略)龍様」で終わっている。
一方、龍介に転送された白蓮宛ての手紙は、既婚の身で駆け落ちをした白蓮に対し、夫の炭鉱王・伊藤伝右衛門が自らの思いを語る体裁で大阪毎日新聞に掲載された「絶縁状を読みて燁子に与ふ」というインタビュー記事の経緯を記した内容。http://www.asahi.com/articles/ASGCF5VLTGCFULZU00T.html

再生核研究所声明170(2014.7.25)NHK連続テレビ小説「花子とアン」― 蓮子様の気持ち

(再生核研究所声明に関心を抱く人から、最近の朝ドラの展開について 所見を求められたので、纏めてみることにした)

まず、NHKのドラマ制作の能力は 実に素晴らしく、どうして、あのように美しい画面、演出ができるのか不思議で、不思議で仕方がない。朝ドラ、大河ドラマ ともに実に素晴らしく、見るのが楽しく、楽しみにしている。俳優さんたちの演出も上手く、神秘的である。もっとも、楽し過ぎて、そのような虚像にうつつを抜かしていて良いものかとの気持ちも湧くが、適当に楽しみと心得れば、良いのではないだろうか。生活のはりにもなる。

ところで、今回の状況は、時代背景を異常に美しく表現しているが ― 実情は相当に貧相しいものではなかったろうか ―、恋の在りようについての課題が大きな比重を占めて来ていると言える。恋は 再生核の元であり、人生の大事であるから、再生核研究声明でも真剣に取り上げて来ている:

再生核研究所声明 36 (2010.5.14): 恋の原理と心得

再生核研究所声明 124(2013.8.20):恋の機微 - 恋の極意

再生核研究所声明159(2014.5.28):恋する男女は強い - 何故か?

今回の展開は ありふれた小説の題材で、いわば定番の展開であるから、全人生や社会との関係で 状況の理解と在るべき在りようは 明瞭にみえる。

その前に、上手く展開した花子様の例は、恋の原理、恋の機微にしたがって、恋の目覚めに始まって、順調に進んだのであるから、ハッピィーとして、評価すれば良い。世に言う、おめでとう という 祝辞を送りたくなる。― 関係者達は、それぞれに素晴らしい人たちに見える。

さて、蓮子様は 恋に目覚めず、空しい、息苦しい10年間を送ったと告白されている。 結婚生活を長く続けていても、そのような例は、世に多いとされている。子供ができれば、恋を越えて、新しい段階に進むのが世の常であるが、このように子を儲けない場合には、よりそのような可能性を高める状況が有ると考えられる。他方、石炭王加納 様は、大事に、大事にしてきたのに、結果について無念を表明している。娘のように、御飾りもののように 大事にされて来た様子が伺える。 家を中心とした古い社会のこと、蓮子様が 愛や、恋に目覚めることなく、嫁いだ状況は 当時は やむを得ない状況であると考えられる。ところがふとしたことから、恋に目覚め、一身を掛けたいとの熱情が湧いて、男女の愛に生きたいと決断、反社会的な駆け落ちの事態を迎えた。

人生の意義は 感動すること にあると、人生の基本定理は述べている、また、最も大事なこと、人類の存在は 如何なるものをも 超えている を考えれば、蓮子様の行為は諒として 判断されるべきであり、多くの女性の共感を得るだろう。そのとき、ぼんやりと人生とは何か、どの様な意味があるかと、回想するだろう。

他方、女性の気持ちを理解できなかったこと、恋の本質、女性の本質的な存在を理解できなかったことは 加納氏の大きな過ちであるが、このような事態になっては 大いに反省するとともに 愛する女性の新しい人生を暖かくみて、逆に協力、援助などを行うべきである。花子さんの ご主人の元奥様の 大きな愛に 学ぶべきである。

恋は 人生の大事ではあるが、恋だけが 人生ではなく、人生にはどんどん先があり、より高い精神的な段階があり、人間としての精進を志向して、まこと人物たる人間になるように成長を志向すべきである。

以 上