私は救われる前、フォークソングが好きで、人前で演奏して拍手喝采を受けるのが好きでした。
救われてから教会で特別賛美を頼まれると、得意気にギターを弾いていました。
1人の姉妹が「兄弟、用いられてすばらしいですね」と言いました。
そのとき、私はカチンときました。
当時、チョー自己中心の私の心には「自分のために歌う」ということしかなく、「用いられる」ということがわからなかったのです。
そのうちに牧師から「礼拝の賛美を導くように」と依頼されました。
調子の良いときは元気に賛美できるのですが、試練があったり、気分が乗らないときは賛美する気になれず、賛美そのものが自分の感情に左右されていたのです。
このときもまだ、私は自分中心の世界に生きていました。
やがて「何かが間違っている」と気づき始め、聖書を調べ、学んでいるうちに、賛美や礼拝の本当の意味がわかり始めました。
感謝と賛美は、すべてを働かせて益としてくださる神(ローマ8:28)への信頼なのです。
どんな状況や境遇であったとしても、神に信頼してささげる霊的ないけにえなのです。
それは、万物の支配者、最後の審判者である方への賞賛であり、キリストの花嫁として永遠に愛されているという喜びの発露なのです。
そして、自分を十字架につけ、賛美と礼拝の土台を神ご自身の偉大さ、愛、正しさ、聖さに置くようになったときから、本物の賛美の恵みを体験し、奉仕の中に神の臨在が現われるようになったのです。
シャイン ISSUE 15 より
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