第66回鎌倉まつり 行列巡業と静の舞! | 湘南オヤジのブログ

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昨日行われた第66回鎌倉まつりの様子をお届けします!

一の鳥居から行列巡業のスタート地点である下馬交差点付近まで急ぎます!!

神奈川県警音楽隊からスタートです

鎌倉市と鹿児島市との文化・観光交流協定が昨年12月に締結されています(全然知らなかったですが・・・)
鎌倉市と鹿児島市は、鎌倉時代(源頼朝公と島津家初代当主島津忠久公)まで遡る歴史上の深い関わりを持ち、両市とも美しい海岸線やまちなかを(路面)電車が走るなど、多くの魅力を有する国際観光都市として発展しています。

 そのような両市が、文化・観光面を中心とした交流を推進することで交流人口の増加や観光振興、地域経済の発展に寄与することを目的とします。だそうです・・・

ということでかごしま親善大使の18代(これ以降の募集はなく最後だそうですが)鹿児島市在住で社会人の上田尚佳(うえだ なおか)さん(28)が来ていました!

鹿児島美人さんですね

第66回「鎌倉まつり」参加決定!
4月14日(日)開催!第66回「鎌倉まつり」にTVアニメ『逃げ上手の若君』の参加が決定!
当日は北条時行役・結川あさきさんと雫役・矢野妃奈喜さんが行列巡行と開催式に参加します。
是非遊びにきてください!
■日程
4月14日(日)
行列巡行:10時頃より 下馬~鶴岡八幡宮 舞殿
開催式: 14時50分頃より 鶴岡八幡宮 舞殿
■出演
結川あさき(北条時行役)
矢野妃奈喜(雫役)

このアニメは少年ジャンプに掲載されて大人気となったそうで、今年7月から放送されるそうですが放送局とかはまだ発表されていないみたいです・・・

まあ鎌倉時代の北条時行が主人公だそうで、アニオタさんの聖地がまた一つ増えるんでしょうかてへぺろ

アニメのHPはこちらからどうぞ!

最近の声優さんは見た目も可愛いですねニコニコ

武者たちの行列は楽しいですね~

神輿だワッショイ!

鶴岡八幡宮で静の舞を良い場所で観れるよう早めに向かいますてへぺろ

鯉のぼりの季節になりましたね!

今年は流鏑馬がないのでいつも通りですね!

まだ桜が残っています!

この時期ではここ十数年記憶が無いですね~

流鏑馬が行われるはずだった馬道

静の舞のために柵が設けられています

2021年以降ミス鎌倉の募集が無くなってしまったので残念ですね・・・

舞殿と本殿

大階段も観客席に早変わり爆  笑

静の舞が始まりました!

演者は泉徳多佳(いずみとくたか)さんです!

文治二年(1186年)4月8日は、源義経の生涯の中でも屈指の名場面、超有名な鶴岡八幡宮「静の舞」があった日です。
源義経の愛妻、静御前が兄頼朝と不仲で都を追われた弟義経と雪の吉野山で別れた後に捕えられて鎌倉に護送されたのは文治二年3月の事でした。
義経の行方を厳しく問われる静御前でしたが、知る由もありません・・・
頼朝としてはこれ以上はどうしようもなく、彼女を京へ帰すしかないわけですが、
この時、彼女は妊娠中の身重でした・・・
お腹の子はもちろん義経との子です・・・
敵将の子を生かしていては命取りになる事を一番良く知っているのは頼朝自身・・・
あの平治の乱終結の時、捕まった自分が殺されていたら平家の滅亡は無かったかもしれないわけですから・・・
「生まれた子が男の子なら、その命は無いものと思え」と言い渡され、静は出産の日まで、鎌倉に留まることになります。


鎌倉の武士たちの間では「静御前がせっかく鎌倉にいるのだから、舞が見たい!」という声が当然の様に出てきます。
静御前は飢饉の最中の「雨乞い神事」でただひとり雨を降らせる事ができた「神に届く舞」を舞える白拍子なのです!
「子供を産めば京に帰ってしまう」となれば、鎌倉の武士にとっては、そんな日本一の舞を見れるチャンスは今をおいては無いわけで、そんな声があがるのも当然でしょう。

 

初めは病気を理由に断っていた静でしたが、八幡様への舞いの奉納となると神事が絡む事。
いつまでも断り続けていては八幡大菩薩様のご機嫌を損ねる事になりかねません。
結局、文治二年(1186年)4月8日、源頼朝、北条政子夫妻や鎌倉の御家人たち大勢の見物客の中、彼女は舞を舞う事になったのです。
「義経記」によると、この時、静御前が舞ったのは、「しんむじょう」という、当時一般的に白拍子が舞う曲でした。


確かにそれは素晴らしく、玉のような声は遠く雲間に立ち上り、しなやかな体はそよ風とともに動き、その美しい手は緑の葉のようにひるがえったと言われていますが、何か「おざなり」の物足りなさを感じる舞でした・・・
なぜならば、彼女の心が入っていなかったからに他なりません・・・
その事は、静御前自身が一番わかっていました・・・
このまま終ってはプロとしてのプライドが許さなかったのでしょう。
やはり、自分の思いのこもった歌で舞を舞おうと決意します!


少しの間をおいて、しんと静まりかえった中、彼女は再び歌いはじめます。

 

よしのやま 峰の白雪ふみ分けて
いりにし人の あとぞこいしき

 

 しづやしづ しづのをだまき くりかえし
 昔を今に なすよしもがな

 

[現代訳]
吉野山の白雪を踏み分けて奥州に消えたあの人(義経)の跡が恋しく思われる。
「静、静」と繰り返し私の名を呼んだあの人が輝かしかった頃にまた戻りたいものだ。

 

あの吉野山で、愛しい義経と別れた時の情景を歌った歌でした・・・
さっきとは比べ物にならない感動が、観る人々を魅了します。
日本一の舞を一目見ようと境内に溢れた人々は、声一つ出せなかったそうです・・・
その静寂を破ったのが頼朝でした。
「鶴岡八幡宮の神前で舞う以上、「鎌倉万歳」の歌を歌うべきであるのに、謀反人・義経を恋慕う歌を歌うとは何事か!」と激怒します。
しかし、その頼朝を止めたのが、政子夫人でした!

「私も昔、流人だった貴方に恋をして、周りの皆に反対されてあの嵐の夜、家出同然で貴方の所に行ったのです。
石橋山の戦いで貴方が大敗して、生きているのか死んでいるのかわからない中で何日も待っていたのです・・・
今の静御前はその時の私と同じ・・・
こんな時に、愛する男の人を心配しない女なんていません」と・・・

 

頼朝死後の尼将軍ぶりを予感させる見事な言いっぷりに頼朝はすごすごと、ご祝儀を出すはめに・・・

 

ところで、身重の体をおして、ここで「義経恋し」の舞を舞った静御前を、ドラマやお芝居などでは、貞女の鏡、悲恋のヒロインのように描かれる事が多いのですが、
彼女はプロとしての意地でこの舞を舞ったのではないでしょうか!

気持ちの入らない舞でお茶を濁すなどもってのほか、完璧な舞を舞ってみせなければ
プロとしての名がすたると思ったのではと。
「しづやしづ・・・」の歌は恋の歌というより、誰もが賞賛する「時の将軍」の前で啖呵を切った一世一代の舞だったのではと思います。

 

その後文治二年(1186年)7月29日静御前は源義経との間にできた子供を出産しますが、男子であったため、その日のうちに殺害されました。

生まれてきた赤ちゃんを見て男の子とわかった静御前は、頭から布団をかぶって、布団の中でさめざめと泣いたといいます・・・

 

頼朝の妻政子は、ここでも、あの舞いを舞った時と同じように、頼朝に赤ん坊の命乞いをしますが、冷静な頼朝は感情に溺れて決めた事を曲げる人ではありませんでした。

安達新三郎清経という武士が、赤ん坊を受け取り由比ヶ浜に向かって馬を走らせました。
磯の禅師がその後を追い、滑川の河口付近の砂浜で赤ん坊の遺体を発見したと言われています。
その後、9月16日に静が鎌倉を出る時、同じ女としてその心中を察したのか、政子は様々な贈り物をしたといいますが、京に戻ってからの彼女の消息は途絶えてしまいました・・・

静御前のこの悲しい物語は、以後も人々の胸に残り、語りつがれ、謡曲や浄瑠璃にも作られて今に残されています・・・

 

第59回鎌倉まつり「静の舞」演者、花柳流 師範 花柳花紀人(はなやぎはなと)さんです。
この「静の舞」は静御前が実際に舞ったこの鶴岡八幡宮の同じ場所で、同じ装束での舞台はなかなか見れるものではありません。
静御前がこの舞台でどのような気持ちで舞っていたのか。
遠く900年近く昔にタイムスリップした気持ちで見ると、また違った「静の舞」が見えてくるかもしれません・・・

本殿

まだ桜が残る段葛

ということでまた今週も始まりましたね~

リタイアの自分は家でおとなしくしていますが何か爆  笑

頑張って働いて下さい!