宇多田ヒカル
音楽活動再開。嬉しいですね。
さて自分の父方は宇多田家の先祖と同じ山口県の徳地町の出身。
広島の豪族出身と言われる宇多田家は関が原の合戦の後に
毛利家の減封とともに山口に移り 徳地宰領の大庄屋になったとのこと。
江戸時代 うちの先祖は徳地北側の中庄屋。
家系図では平家の末裔を表していたが あまり信じられない。
家は2キロしか離れてないので 宇多田家の配下だった可能性は大きい。
明治時代の先祖は 同じ山口県議会議員。
もちろん第18代首相の寺内正毅と縁戚関係 名家である宇多田家と違い
うちの方は明治維新のどさくさにのし上がった模様。格が違う。
戦後。地主であった わが先祖は農地改革で没落。徳地からは出てしまう。
宇多田家も同じ道を歩んだのでしょうか。
そして現在。山口市に編入されたにもかかわらず 限界集落が点在する地域。
ヒカル本人が宇多田家の墓参りに来たニュースが流れたのは10数年前。
ニュースになるくらいだから めったに行かないのかもしれません。
それは自分も同じ。4年前 父が亡くなり相続の関係で子供のとき以来の訪問。
山側に少し残った うち名義の土地。
周囲から人は消え 家も森に飲み込まれてる始末。
原野指定に切り替えた評価は二束三文。
高校の体育館4つ(一軒家80軒分)の広さでも5万円もしない。愕然とする。
役所でも 土地を捨てていく人が多いため しっかり連絡先を登録される始末。
ただ近所に村おこしの若者たちが来てるとの話が救いでした。
宇多田家はもう少し町寄りなので違うのかもしれませんが・・・