そんなに悪く言わなくてもいいのだと思う。

まずはよくやった、それでよいのだと思う。

良いライブだった、それでよいのだと思う。

満足していない、複雑な思いを抱いた客も、そこまでいなかったのだと思う。

 

ひとさいの東名阪ツアーがめでたくファイナルを…迎えなかった。

大阪が延期となった。流行り病である。昔から季節でよく流行る方の。2名ほどかかり、それで延期となった。

東名阪で一つ延期となれば、それはツアーの体を成していない。流行り病については、僕はついてない、で片付ける。誰を責める気も何かを言う気も毛頭ない。まったく仕方のないものだ。

何はともあれ、名古屋が終わり、そして東京が終わった。

今思えば、流行り病の影響がないにしても、よく名古屋は何事もなく明るく楽しく激しく終わったものである。

 

個人的に東京を振り返る。

多くの人にとっては、良きものであり、成功裏に終わったものであるだろう、ということは初めに述べておきたい。

そして、僕はこう書いても、それでも希望がまだ抱けると思っている、ということも。

いつもながら、これは僕の個人的な振り返りである。

 

・アイドルの生バンドライブというもの

猫も杓子も生バンドライブというものをやる。

そんなに特別なものでもないし、それでいて総じて、生バンドライブはそうでないものに比べて珍重される。人の手もかかるし当たり前なのだろう。生の音のほうがよいものだ、という思い込み、信仰はあらゆる人の中に息づいている。

 

僕にとってのアイドルの生バンドライブは、すなわちPASSPO☆とグランドクルーのそれだった。

分不相応にロック界の腕利きたちを集めて行われたそれは、特に最初期はとんでもない重たさ、とんでもない音にメンバーが必死に抗い、戦い、そして客席へぶっ放す、どうかしているようなライブだった。

 

アイドルの生バンドライブはそんなものだと思い込んでしまった。

今回のひとさいの東京ワンマンは生バンドライブだった。

そんなものではないとはわかっていた。

主催側の想定通り、彼女たちの満点のライブが出来ても、生バンドライブという観点では僕は特に満足することもないのだろうな、それもわかっていたし、それは頭を切り替えなければならない、つまりそんなものではないことを理解して臨まなければならない、わかっていた。

別にそんなものを求めはしなかったが、どこか懐かしがってしまっていたところはある。

思い出を美化しているのであろう。

 

・臨戦過程

壮大に(この業界の中ではチケット代も特典もやや辛い)招待特典を繰り出し、勿論ソールドアウトとは言わなくてもそれなりの形にして見せ、そして中身の充実をそのライブをもって見せつけた、昨年夏のO-EASTから半年。

それからこの東名阪ツアーに至る過程は、必ずしも順調なものでなかった、ということをここで丁寧に追う気もない。

SNS活動の不活発化、何か代わりになるものを掴んだ、というのでもなく、順調さを欠くメンバーもいて、運営も安定していたわけでもなく。

詳述はしないが、なんとなく停滞感が漂ってもいた。様々なことがあったとも、聞く。

 

今ツアーでは1開催ごとに1曲、多少ご無沙汰となった新曲が披露されることになっていた。つまり3曲も一気に新曲が拝める。ありがたいことである。

聞けば、その1週ごとに追い込みで仕上げるようなスケジュールになっていたとのこと。様々なことがあった余波と聞く。

2名が流行り病にかかり、そのスケジュールはさらに窮屈となった。

たかすかに至っては、結局他のメンバーと合同でレッスンをすることも叶わず、ほとんど本番ぶっつけであったとのこと。

それでほどほどにそれなりの形にするのだから、たいしたものというか。

 

僕はこの東名阪ツアーについて、究極仕上げのひとさいが見られる、と書いたはずだ。

それは前提条件が付く。

現在出来得る限りの究極仕上げ、ということだ。

無論、それはわかっていた。流行り病の想定はしていないから、その出来得る範囲というのは東京に至っては、ツアー開始前に想定されるものよりさらに小さくなってしまってはいたが。

つまり強がり、空元気、そう言い張った、そういうことだ。

 

大一番に臨む上ではさらに、名古屋、大阪と順調に高揚していくことも叶わず、困難だらけの中でそれでも必死に準備をして作り上げた今をもって、いかにどこまで出来るか、今出来ることをいかにやり切るか、培ってきた地力を見せて、どう凌ぎ切るか、そのような攻めに転じられない守りの勝負、そういう性格が強かったように思う。

 

当日を迎えるにあたって、言うことのない素晴らしいライブを拝めるという希望を抱くことは、祈りに近い行為だった。

流行り病か、ライブ後に発表された、手術が必要なほどの喉の不調か、どちらにせよたかすかの喉の状況による、たかすかの歌唱はないという発表に至った後としては、まさしく祈りとなっていた。

それを祈りでなく現実味のあることと少しでも感じていた、もしくは思い込みたかった僕は、冷静さを欠いていたか、単に何も考えていなかったか。

考えても無駄、ということもあろう。

 

・スタンド花

ワンマン恒例のスタンドフラワーを今回も、有志で計画し、出した。

本来は2枚作成し、名古屋と大阪の客にそれぞれ寄せ書きしてもらうつもりだったポスターは、勿論名古屋の1枚しかなかった。それをスタンドフラワーにドッキングさせた。

 

永遠に行われることのない彼女たちのモチーフ、ボードゲームを象徴するべく上部に配したルーレットは、花屋さんのアイデアで、常時ゆっくりと回転するようにした。

人生ゲームのルーレットの如くデザインされた絵柄は、東名阪それぞれのほか、彼女たちのこの1年間の生誕衣装を模していた。

そして下部にはその彼女たちの1年間の生誕で、客が彼女たちを祝うために描かれた、それぞれの生誕で使われたイラストを集合させた。

ルーレットの周囲には、145,541で彼女たちの1つのモチーフとなった、星形のバルーンを配した。

 

これでこの1年間の振り返りの出来上がり。苦悩と歓喜に満ちた1年間の。

僕はほとんどアイデアを出していない。ほとんどは昨夏と同様、とある一人の方のアイデアによるものだ。多謝。

 

・ライブ本編

新宿ReNYは満員とは行かず、余裕のある客席だった。

 

友人が書き連ねたセットリストを勝手に写す。一部勝手に書き換えている。

 

思い出クイズ動画(冬野れい)

オープニング映像

0. SE

1. あっぺんだん

2. じゃねーの法則

3. まじっくくらっぷ

4. ノープラン1チャンス

MC(新曲紹介)

5. 限界突破!! YOPPA らっぱー!!(新曲)

6. こころ吹雪(新曲)

思い出クイズ動画(答え合わせ)

新衣装で登場

7. アバヨ!君よ幸せあれ!

8. 星の形

9. Level.1

10. ラブミーマスター

11. あっち向いて恋‼︎

12. 新しい世界へ

13. 仄暗い闇の外から…

14. First Summer

Ec.1 ダイスロールコントロール

MC(グッズ紹介)

Ec.2 ちゅー・ハイ!

重大発表、メンバーコメント

Ec.3 145,541

 

ちなみにひとさいのセトリはこの日に限らずほぼどのライブでも、Twitter(えっくすってなんだっけ)で「#ひとさいセトリ」と検索すれば、有志があげたものが出てくるので、ぜひ参考にしてほしい。

 

いつもながら無駄に思い込みがあり好き嫌いの激しい僕としては、好みではない部分が彼女たちの出来とは関係のない部分でいくつかありはした。

そんな僕の好みを除けば、手放しで褒めたたえられる素晴らしいライブ、とまでは言えないにしても、出来得る限りの最大限を発揮して作品として成り立たせた、そんなライブだったのではないか。

きっと偏屈な客、ライブに対しどうこう語りたいような、拘りの多い客ならとにかく、フラットな目で見れば、良いライブ、楽しかったね、そうやって帰れたようなものではなかったか。

彼女たちのライブがどういうものかを知るには十分であったし、彼女たちの特別なライブを味わうには十分であった。

 

勿論、いつからか突然生歌に拘り始めた彼女たちのライブで、たかすかの声だけが本人の調子と関係なく鳴り響くのはいたたまれないものがあったし、高揚感を削ぐ要素にもなった。

決して彼女が責められるものではない。彼女もあまりにも辛い境遇のなか、よく頑張ってステージをやり遂げた。過程を責めないことと、結果に落胆しないことはイコールではない。

みねちゃんの声が完全でなかったことも、みーあんが同じく本調子とは言えなかったことも、過程が責められるものではないし、結果に落胆しないものでもない。

それは彼女たち自身が十分すぎるほどに受け止めていることでもあろう。

 

もっちゃんだって決して順調ではなかった。

この半年の戦いはまた詳述しないが、今回の直前ですら、長引く胃腸の不調にあえいでいた。その影響がこの日にありありと見られた、ともまた思わないが。

 

ライブは疾風怒濤の勢いで流れていくものである、というのは僕のただの趣味であり思い込みであり、その勢いを堰き止め削ぐような演出を嫌うのもまた僕の趣味である。

新曲2つ、映像を挟んで名古屋披露の新曲1つに星の形、これは僕の高揚感を削ぐのに十分だった。

映像は名古屋と、本来は大阪で披露されるはずで結局この日の開始前に披露された、ひとさいのこれまでの歩みを振り返るクイズ企画、それの答え合わせ編。

僕の趣味だけでないことを言い張るのであれば、少なくとも僕の周りの何人かが口をそろえて、映像が流れている最中や終わった直後に、長い、と言っていた。つまりライブアイドルのライブを愛し、日常的に見ているような層にとっては、そのような表現で語られるものだった、ということだ。

 

客層の多彩さがひとさいのフロアの特徴である。それは長所ともなり短所ともなる。短所だって?余計なお世話だ。

この日来場した、かつて僕とずっと一緒に一人の推しを推し続け(いまでも彼には、俺は彼女を推し続けていると強弁される)、その後も長く共に歩んだ友人は、この日(だけではないが、この日は特に)のフロアを評して、中央の熱気と周囲のそれが乖離している、いわゆるヲタクとそうでないライト層が乖離している、と言っていた。

それはガチガチのヲタクからすれば欠点にもなろう、ただ、ひとさいが目指すのはそこではない、はずだ。

しかしそのようなヲタクたちの待つ、ガチガチのライブアイドルシーンに元から半身は浸かり切っているのであり、かつ、SNS戦略の思うようにいかない昨今としては、そのシーンへの依存度を高め、つまり前より強く、ライブでのし上がろうとする傾向が見られる。どうしたものか。

活動全体を通して、その価値観に縛られない、新たな立ち位置の創造、或いはその価値観と他の価値観を軽やかに飛び回るような存在になっていくこと、つまりヲタクとライト層とが溶け合うのか共存するのか、そんなフロアでありそんなファン層を作り上げていく、それがひとさいだと僕は思っていたが。

そんなことが可能なのかはまた別の話。

 

それはとにかく。

多彩な客層にとって、その映像の長さが必ずしも否定されるものではない可能性もおおいにある、素晴らしいと褒めたたえられる、楽しいともてはやされる可能性もある、とも認識している。だから僕の趣味、と言っておく。

 

新曲はよくわからずに聞くから高揚も何もしない。星の形は勢いに乗る、高まる、というような曲ではない。

その映像を挟んでそれらの曲が披露され、すっかり僕は疲れてしまった。

 

バンドの音が軽かったように思う。

ひとさいの楽曲群は間違ってもPASSPO☆のように、とんでもない重たさ、音圧で演奏されるようなものではないとは思う。

それにしても、ずいぶんと軽かったような。生音の衝撃を特に感じず、僕としてはさほどの感動もなかった。もっとも、そんな重たい音では彼女たちの歌声がかき消されてしまう、ということもあるだろうが。

 

これは全く捉え方なので、まず彼女たちは自分たちの楽曲群を生演奏で披露できることそのものがこの上もない喜びであったろうし、多くの客にとっても同じく貴重な機会であり、新鮮な喜びだったろう。

音自体が好ましいものであった、という客も勿論いるだろう。

だから、これは僕が育ってきた、僕のバックボーンによる感想だ。

重ったい演奏と必死の歌声がぶつかり合って、とんでもないエネルギーを生む、そんなものを好む、僕の。

僕としては、生バンドである必然性を感じなかった。

 

何かの気持ちはこもっていた気もする。

145,541、れいちゃんが顔をくしゃっとしながら歌っていた。或いは必ずしも喜ばれるだけのものではなく、彼女たちも何か悔しさも抱いていたのではないか。

 

・重大発表

ReNYは完売できず。

でも、あきらめたくないから。

5月の平日に5日連続ライブ。その集客が合計で500人を超えたら、8月にもう一度O-EASTライブ。

 

これもただの趣味だが、僕は人数条件、というのが好きではない。

わけても、他人から何か条件をつけられるならとにかく、自ら勝手に条件を設けて客を追い込むようなものは本当に好きではない。

 

それはただの趣味なので別にそんな手法を使うことは勝手なのだが、合計500人、1日あたり100人を集めたらキャパ1,500のO-EASTでライブができる、という条件と報酬に繋がりを感じなかった。

その100人は同じ100人かもしれないのだ。ともすれば、O-EASTにだって100人しか来ないだろう。

それは暴論であるが、5日間で500人を集めることが、大きな箱でのライブが出来る条件、つまりライブで勝負になる、十分な収益が得られる、と判断するに至る、というのがどうにも合点がいかなかった。

物語としてはいただけない。人数条件を引くにしても、もう少し必然性の感じられるものにできたのではないか。

あきらめたくないから仕方ないのであろう。

 

発表が成されて、簡単に言えば非常に落胆した。

その後に彼女たちのMCであったのだが、ものすごくとんでもない、困惑に満ちた禍々しい雰囲気であったように感じたのは僕だけだろうか。

 

その雰囲気の中、露払いを務めたもっちゃんのMC。

僕にとっては落胆を引きずりながら、それでもずいぶん立派なものだ、大きくなったなあ、そうしみじみ思いを馳せるには十分だった。

 

まだざわつきの残る客を前にして、その客をはじめ、今までライブ会場に足を運んでくれた客への感謝を述べていた。

SNSとライブのハイブリッドアイドル、その両方に勿論感謝しているであろうもっちゃんだが、ここはライブ会場。その客の心をしっかり打つとともに、直前の発表内容を踏まえたように、つまり、みんな、よろしく頼むよ、ごめんね、命運をみんなに任せるよ、そんな思い、祈りも背後に忍ばせるような。

堂々と語っていた。後で聞いたら、特によくライブに足を運ぶ層のざわつきもわかっていた、ただ、それに歩調を合わせた結果、いわゆるライト層に楽しくない思いをさせるのも嫌だった、意訳するとそんなことを話していた。

 

もっちゃんは普段からとてもバランス、公平さを気にする。気を配る。ライブ会場では実に均等にレスを配給する。ラブミーマスター落ちサビでは、その日の一番真ん中、前にいる人を必ず指さす。

そんな日ごろからのもっちゃんがよく出たようなこのMCに、僕は一つの微かな救いを感じていた。

 

・宴のあと

たかすかの喉は悲鳴を上げたし、みーあんもまた調子を崩していた。

東京ワンマン2日後の対バン、たかすかは依然として歌うこと叶わず、みーあんは新しい世界への冒頭、いつもは頓痴気な煽りをかますイントロも無言であった。

そしてたかすかの喉の手術、みねちゃん生誕までの欠席がコールされた。

 

2人とも初めてのライブアイドル、正しい歌い方を指導されたわけでもなかろうし、たとえ指導されていたとしても、週に数回必ずライブのあるこの生活は身体にはさわることであろう。

2人に限らず、この生活を続けていくことは身体にとっては厳しかろう。ライブに実に真面目に取り組んで、5人が5人とも自分の出しうる限界値をステージ上で表し、その融合でもって作り上げている、ひとさいの5人は。

その限界同士の微妙なバランスをもって成り立っているひとさいであるから、今回の傷だらけの中でのワンマン、よく作品として成立させたものだと思う。

 

この対バンを皮切りに、翌週の平日は5日中4日もライブが組まれている。

少しは休ませてあげればいいのに、というのが一人の客の勝手な考えだ。

 

この対バン、ライブは大舞台の直後でも緩まずしっかりできていた。

特典会で、15分遅く彼女たちは登場した。

数々の対バンの中でも、比較的一見さんが多く特典会にも来ている実績のある対バンがこの日だった。

結局、時間いっぱいとなり、待機列を途中で切る、ということになった。

この日のようないわゆるサーキットイベントは、特典会も含めて分刻みのスケジュールを組んで臨む客も多くいる。最初の10分でひとさいの特典会に行って…というような皮算用をしていた客も、或いはいたのではないか。

(追記:これには事情がおありとのこと。いつか語られる日もあるのかもしれない。しかしその事情などあずかり知らぬのもまた事実である。やんぬるかな)

 

彼女たちも、また、具体的にどの点とまでここでは書かないが、運営側も、まだまだやれる、やるべきことがあるように思う。

必然性のないと感じる人数条件に対してはもう何も思わない僕ではあるが、それでもそのようなチャレンジをしようというのであれば、凡事徹底からではないか。

それは決してライブをしっかりやるだけではない。あらゆる点で、できることがきっとある。それを一つ一つ着実に積み重ねていくことではないか。

天才的なひらめき、アイデア、一発逆転の秘密兵器、アイドル界の攻略法、そんなものがあればよいが、きっとそんなものが突然ひとさいに舞い降りることもなかなか難しかろう。

 

それでも。

ひとさい周りの環境もようやく整ったと聞く。傷だらけでも、傷をいやせば、今回の東京ワンマンに至る道のりよりは、平坦で歩きやすい道が待っているのであろう。

今回のような逆風の中で、それでもワンマンを作品として成立させられたのであれば、未来は決して暗くない。

しっかり立て直して、また5人で、一歩一歩進んでいけば、悔しさへのリベンジも成し得るし、もっと素晴らしいものを作り上げていける。

常に聖人君子が如くふるまえているとは思えないが、それでも彼女たちのだいたいの真面目さと熱さは、僕がまだ希望を抱くに十分なものである。

だから、それでも、前を向く。

勝手なことを無駄にたくさん呟きながら、勝手にそれでも、前を向く。

 

春には多くの人で大阪に行こう。

夏には大箱でライブをしているのかもしれない。

そしてその先へ。東名阪のリベンジをしよう。彼女たちの故郷も訪ねよう。

まだ成し遂げてない多くの夢に向けて、それでも、前を向く。

まだ僕は前を向きたい。