望月さあやの良い客でありたいな、と思う。
望月さあやを作り上げていく、磨き上げていく過程で、一緒にそれを成し遂げられるような客でありたいな、と思う。
それはただの出すぎた真似とも思う。彼女に共感して、少しでも理解して、もうそうしたら良い客なのかもしれない、と思う。
何かを書こうとは思うが、何を書いたものか、とんと見当がつかぬ。
9月に誕生日お祝いとして、一つ駄文をしたためた。その前くらいから最近まで、均してみるとそんなに良い時を過ごしてはいなかった、それが正直なところだろうと思う。
これだけ狂ったように通って、毎回のようにもっちゃんと話をしていれば、それはもういろんなもっちゃんからいろんな話をされ、いろんなもっちゃんを(あくまで僕の視座からではあるが)垣間見る。いいことも悪いことも、そんなに赤裸々にここに記し、ネットの海に放るものでもない。もう散々に海に放ってきているのだが。
下半期のもっちゃんはこれまでに比べ、明るいもっちゃんであったことがちょっと少なかったように思う。僕にはそう映った、というだけなので、他の人にどうだったかもわからないし、実際にどうだったのかもわからない。
僕は僕の知るもっちゃんしか知り得ない。もっちゃんに限った話ではない。僕は僕の知る、例えばみねちゃんしか知らないし、れたんしか知らない。僕は僕の知る君しか知らない。君は君の知る僕しか知らないだろう。それは言葉遊びだ。
僕の知る、今年下半期のもっちゃんについて詳述する気もない。
ただ、そうやってちょっと大変であっても、もっちゃんがアイドルとして成熟した、そう感じたのが今年の生誕祭だった…という話もここに記していなかった。
「…さあやをすきでいてくれるひと全員が
学校とかお仕事とか日常で過ごしてる中で
ほんのちょっとの瞬間でも少しでも多く
しあわせだなとかたのしいなって思って
過ごしていてほしいなあって毎日願ってて
いつもすきでいてくれるみんなはもしかしたら
その小さなしあわせの要因のひとつにさあやが
あってくれるのかもしれないことがいまだに
信じられないくらいすごく嬉しいんですほんとに!!
だから、みんながさあやを見て少しでも日常が
明るくなるうちは さあやとずっといっしょにいてください!
その日常のなかのすこしのしあわせ、喜びを
ちょっとでも増やせたらうれしいから
これからもまいにちがんばります!
みんなの日々がしあわせでありますように!」
(Twitterより)
望月さあやがどのようなアイドルか、どのようなアイドルを標榜するか、そのすべてが具現化されている、と感じた。
望月さあやは見てくれる人、望月さあやの客の幸せを願い、幸せにする。
そのために、望月さあやはとにかく努力する、がんばる。
バースデーライブのMCでも同様のことを言っていたように思う。
もっちゃんはもっちゃんの思うアイドルを少しは出来るようになったのかな、そう、胸をなでおろした。
去年のバースデーライブ、暗闇の中をもがき続けるその苦悩を曝け出した姿とは一変。まあ、去年だって、お得意のネガティブ節の中に光を、人には負けないものを見出し、明日への希望を口にし、私を信じてついてきてほしい、そう強く語りかけていたのだが。
こんな姿なら、もっちゃんも自分で自分のことを少しはアイドルだと思って、胸を張って進んでいけるのかな、この日はとにかく安堵した、というのが正直なところだった。
もっちゃんはこれからも毎日、懸命な取り組みを続けていく。
僕はそれを狂ったように毎回見て、話して、味わっていく。見続けていく。そうして、その日その日のもっちゃんを確かめていく。
がんばらないもっちゃんは嫌いだし、そんなものを見た日には、嫌いだな、そう伝えたいが、そんなもっちゃんを今後見ることもないだろう。その点はもう確信を抱いている。
そのような人だから、推している。
そんな日々の先で、僕はきっともっちゃんに幸せにしてもらう。今度流す涙は嬉し涙だ。
何度も言う、望月さあやは僕に降りてきた天使であり、17年にも及ぶ現場アイドルヲタクとしての終着点である。
2024年も、どうか望月さあやの客でいさせてほしい。望月さあや推しでいさせてほしい。幸せにしてもらって、ここで終わらせてほしい。
望月さあやさん、今年も1年間ありがとうございました。
また来年も、どうかよろしくお願いいたします。