「1曲1,200円ね」

 

生でなければイケないんです…生をください…。

 

ライブが欲しいんです。ライブが。配信じゃ足りない。いつだって生のライブが欲しいんだ。

 

僕には行くか行けないの選択肢しかない。行かないという選択肢がない。ライブに行ってないのは行けないだけだ。

そんなことを言ったって、仕事だから行けないって、それは働かなければ食っていけないような稼ぎしかしてない僕の不徳の致すところで、もっとライブに行けるような職に就かない、就けないのもまた不徳の致すところで、だから偉そうなことは言えないし、そもそもライブに行くことは当たり前だが何も偉くはないのだが、というかそれはつまりただのジャンキー、依存症なのだが、何はともあれ、早い話が、

行くか行けないの選択肢しかない。行かないという選択をした覚えが、ひとさいが始まってからはない。こんなことを言いながらもうじき行かないを選択する気がする。FuMAのラストにひとさいのライブが重なったらラストを優先してさとうにさよならを告げる気がする。じゃあなんでこんなタイミングでそんな話をするのか。ええじゃないか。

行くか行けないの選択肢しかない。イクかイケないか。気持ちよくなれるかなれないか。

 

ライブしか楽しみじゃない。大嘘だ。でも本当だ。ライブしか、などと言うから嘘になる。

ライブが楽しみだ。

変わり映えしないライブで変わったところを目を皿のようにして探す作業から始めてはや15年か、とにかく僕にとってはライブがアイドルで、いやライブはアイドルじゃないだろ、でもライブこそアイドルで、そこで生きてきた、そこでステージ上をひたすら見ながら思索を巡らせ感情を高ぶらせそして指さしたり腕を振ったりぶっ飛んだり、なにそれ、そんなようにして全身で楽しみながら生きてきた。

毎週のように土日はだいたいライブ、などという生活をしていてはだいたい眼前にあるものは冷静に見ればそこまで変わり映えのないしないものだったりする。そりゃそうだ。見飽きる。でも1回1回で変わり映えがする。ともすればたまに突き抜けたように動きの良い、気合がこもった、はたまた別の要因でも、とにかくとんでもなく良いライブ、簡単に言ってしまえばそういうものに出会ったりするし、そういう推しに出会ったりするともうその日はニコニコで、その気持ちを即座にその後の特典会でもうそれこそたいそうなハイテンションで(表面に出る態度としては別にいつもと大差なく)伝える、まあそんな生活をやってきたし、そういうものに出会えること、それが無上の喜びなのだ。

 

ライブこそアイドルだろと思うがライブのみがアイドルじゃない。そんなことはわかっている。

それでも僕は壇上でありとあらゆる創意工夫を凝らし少しでもうまくなろう少しでも良くなろう少しでも客とぶつかり合おう殴り合おう魅せよう盛り上がろう少しでも楽しくしよう、そのために必死に必死こいて日々勝負しているようなアイドルが好きで、そんなアイドルが見たい。ライブは壇上と客席との斬り合いだ、真剣勝負だ。

そして、僕と真剣勝負してください、お願いします。

必死に格闘しているアイドルが好きで、そこでしのぎを削っているアイドルが好きで、ライブを愛しているアイドルが好きで、だからライブを死ぬ気でやってほしくて、必死に練習してほしくて、全員でも一人でもとにかく練習してほしくて、考えてほしくて、ライブをどうしていきたいのか、自分はどうしたいのか、そこで何をしたいのか、何を表現したいのか、そんなことを考えて考えて考えて、考える快楽、表現する快楽、磨きあがる快楽、そんなものを感じてほしくて、ライブが好きなアイドルを、ライブに無上の喜びを感じるアイドルを僕は推したい、そう、そんなアイドルにしか興味はない。

そしてその闘いをその仕掛けをその企みをその表現をそのアイドルの表現を見ていたい。どんな細かなことにも気付きたい。気付かない。鈍感で見る目のない僕は気付かない。でも気付くこともけっこうある。そしてニヤニヤしてしまう。今日も必死こいて削り合って磨きぬいて今出来得る究極の表現をここでしているなと、そんなことを思うと、今日もやってんなと、そんなことを思うとそれで嬉しい。

 

ライブのみがアイドルじゃない。僕だってライブだけを見ているわけでもない。そりゃ各種SNSも観る。酒の肴にして酔っぱらう。それでもライブがいい。そんなSNSなんて碌に機能していないころからのジャンキーなのだ。だからライブがいい。

ライブのみがアイドルじゃないから、ライブだけが表現でもないし、なんなら他の要素の方が近年、どんどんどんどん重要さを増している。ライブをいくらどうしようと儲からない。歌が上手くたってダンスが上手くたってそれがどう銭になるというのか。

だが今時だってライブがいいから、パフォーマンスがいいから、成長しているから、俺はここに来たんだ、そんな人だって依然として存在するのだ。集客につながることだってあるのだ。

そもそも、歌って踊りたいからアイドルになったのではないのか?そうじゃない人も結構いるのももうわかっている。いくらライブライブライブと言ってもライブに愛のない者がいるのもわかっている。

アイドルは自由だ。己の表現をライブでないところでやったってかまわないし、何をどう考えてアイドルとしての表現をどこでやろうとかまわないけれど、やっぱりライブをやるライブアイドルであるなら、ライブでの表現というのは常に考えてほしい、磨いてほしい、磨きぬいた渾身の己をライブにて表現してほしい。その苦悩と努力と咆哮をライブの場で見たいのだ。

そんな愛がないのになぜライブをやるのだと思う。小銭稼ぎか?活動費を稼いでいるのか?

 

ライブをやっているすべてのアイドルとその運営に問いたい。

ライブで表現したいものはあるか?ライブでなければならない理由はあるか?本気でライブに対峙しているか?そこに誇りはあるか?拘りはあるか?

君はライブを愛しているか?

そんな愛がない者についていきたくはない。最終的な目標、夢はライブに固執するものでないとしても、あふれるこぼれるくらいのライブへの愛がほしい。語り尽くせないくらいの拘り、プライド、思い、企み、自己表現が欲しい。

 

勿論これだけ言っているからには僕の推しにはそれがある。

望月さあやにはそれがある。たまらないくらいの愛があって、狂おしいくらいの日々の格闘がある。

絶対に手を抜かない、常に全力と言い切る。それが彼女のプライドと言い切る。絶対に常に彼女の120%を見せてくれる。それが150%なのか200%なのか、それは日によってブレはあろうとも。

もし手を抜いた姿を僕の見えるところで晒そうものなら、許さない。勿論、そんな姿は望月さあや自身が許さないのだ。

 

そんな日々の全力の望月さあやがいて、全力でライブごとに違う姿を見せる、日々進化した姿、新たな企み、その時のベストの表現を見せてくれる。

そんなもの、我慢できるわけないだろう。だから変わり映えしないように見えるライブに狂ったように通うのだ。そしてその姿を見て気持ちをぶつけあって、気持ちよくなるのだ。生じゃなければイケないのだ。

僕は望月さあやを我慢できない。ライブに行かないことが耐えられないのだ。

 

「頑張らないの、嫌いだから」