「喜びも 苦しみ尽くしたその先にあるって 確かに」
(syrup16g「Maybe Understood」)
アイドルをやって、辞めて、もがいて、アイドルになろうとして、落とされて、もがいて、またアイドルになって、日々走って。
その裏で人知れず、自分と志を同じくする才能の中で溺れて、もがいて、必死に汗と涙を流して、きっと無数に絶望して、それでも負けずに腕を磨いて、
そんな4年間の集大成を、一つの舞台として結実させていた。
先日、4年間在学している大学の卒業公演として、望月さあやは一つの舞台を無事に終えていた。
盛大に戦い、傷つき、涙を流し、焦り、頭から煙が出るほどに考え続け、そして上手くその役を演じ切って終えたようだ。
まったく、ご立派だと思う。10年以上前、誰にも平等に与えられる4年間を、文字通りのモラトリアムとしてただただ緩慢に生きていた僕からすれば、あまりにまぶしい。
春、夏、秋、冬。
厳密に言えばまだ1年ではないが、それにしても四季をまた、もっちゃんと毎週のように顔を合わせながら駆け抜けていった。
そして1年はロケットのように加速しながら通り過ぎて行った。
2022の四季を書きたいがために当記事を書いている。なんて言ってしまうのは嘘だろう。
四季を書くと言っても別に内容に季節性を持たせたわけでもなく、なんならそんなに過去3つの記事で書いていることが変わりもしない気もする。四季を書きたいのではないだろう。単に季節の名前をつけていっただけだ。
これを1年経っていないのに、冬、とつけて書き始めているのは、1年のうちに4つ書いた方が締まりがいいだろう、まあそれだけの、なんということはない話だ。
つまりだ。
何故君はまだ望月さあやを見ないのだ?
何故望月さあやを推さないのだ?
僕にはそれがわからない…全くそれは誇張だが、そんなことを、冬、と称して書きたいと思う。
僕の買い被りすぎなのかもしれない、望月さあやに狂っているだけなのかもしれない。しかしそこには僕の極私的な視座を越え、普遍的なものが確かに存在していると信じている。
わかりやすく、何の苦労もなく(世の人気者が何の苦労もないわけではないことは十二分にわかっているが)人気をかっさらえるタイプではない。生まれながらのセンターというタイプではない。
もっちゃんに一目ぼれする輩が山のように、掃いて捨てるほどいる、そんなタイプではない。
望月さあやは、いつも逆境から始まる。地面に立って、月に手を伸ばして、たとえ届かなくても、必死に背伸びをして日々、上へ上へ、なんとか1ミリでも近くへ、そうやってもがく。
技術は確かなものがある。
ダンスはルーツをたどれば、子供のころにやっていたクラシックバレエがベース。そこにちょっとした各種ダンスのエッセンスを加えている。歌はそこまでには自信がない。それでもアイドル向けの良い声質、音程もおおよそ安定している。
表情にはとても気を使っている。笑顔、真剣な顔、ころころと変わり、1シーンごとに意図をもって演じている。
勿論本人は何も満足していないし、いくらでも改善の余地などあろうが、それでもひとさいのステージ上での心臓は間違いなくもっちゃんであり、本人もプライドを持ってやっているはずだ。
技術に自信はないが、必死になって真面目にやることには自信がある。
誰よりも図抜けて努力していると言うと、否定する。私よりやっている人は山のようにいる、私も頑張らなければならない、そう言ってのけるが、自分なりに努力していることには自信がある。
そしてファンに対して真面目に、嘘をつかずにやっていることには自信がある。
おおよそそのほかのことでの自信はあまりない気がする。私はひとさいの役に立っていない、そう思っている。
私はフォロワー数が少ないから、これが最近のもっぱらのネガティブポイントだ。グループ全体での内部方針、運営からの声かけもあるのだろう。
前から、何かしらネガティブポイントを見つけては、私は全然足りないと自分を責めてみたりしている。
それでいいとは言わないが、それがもっちゃんのエネルギーなのだから仕方がない。劣等感と反骨心が友達だ。
そんなに自信がないのに、芸能界で生きていきたい。
表現することが好きなのだから仕方ない。自らの体で、自らの顔で、人に対して何かを表現していく、訴えていく、そんな世界に憧れてしまっているのだから仕方がない。
そうして、目に見えるもの、表面で判断されて、数字を、評価を見せられてしまって、また傷ついて。そもそも自信がないところでの勝負もせざるを得ない世界で、自信がない通りと思えてしまうような結果を手にしたりして、またそれで傷ついていたりする。
そうやって、何度も絶望して、それでも必死に何かを求めて走り続ける。
パフォーマンスを求め続ける。ステージに上がる者ならパフォーマンスを求めなければならない。それは彼女の思う義務だ。常に全力で、明日はもっと良く、と求め続ける。
求める自分に対してはやっぱり自己評価は低く、厳しい。他方、人には優しい。メンバーにも、ファンにも、善良で、優しい。ファンと一緒に馬鹿笑いを上げ、話をして、話を聞きながらニコニコとしている。
メンバーのことは尊敬している。そして、感謝している。私がここにいていいのかな、そんなことをよく言っている。
ファンにも感謝している。私なんかでいいの、そんなことを思っている。今はそこまで自分を貶めるかはわからないが、かつてはもっとへりくだったようなことを本気で言っていた。
君でいいのだから、君がいいのだから。さすがに信じてくれていると思うが、もう少し信じてほしい。
何というか、いつも背筋が伸びているようだ。真っ直ぐに、自らの前の道と向き合って、ひたすら正しく走り続ける。
ライブアイドルとしての一つの正しさを体現しているように思う。
そして、いつも焦燥感に身を焼きながら、必死にもがいて走り続ける。
僕らと極めて近い世界から、夢の世界へと走り続け、一切の妥協をせず格闘し続ける。その格闘の有様を見せ続ける。
ライブアイドルの正しさと戦いを見せ続ける。
誰もが見習うような姿勢を見せ続ける。その戦う姿と、優しくゲラな態度と言葉でファンを元気づける。明日も頑張ろうか、そんな気にさせる。
そうやって、ファンと一緒に生きていく。ファンと一緒に格闘していく。強さ、弱さ、全てを曝け出して、死力を尽くして戦い続ける姿を見せ続ける。
そこにはライブアイドルとしての一つの完成点がある気がしているし、圧倒的な正しさを見せられている気がする。
そんな正しさと戦いを見せられるライブアイドルはそうはいないと思う。
だから言うのだ、
何故君は望月さあやを見ないのだ?
何故望月さあやを推さないのだ?
もっちゃんと一緒に戦おうじゃないか。狂おしい思いをしながらも必死にもがこうじゃないか。
そうやって、苦しみ尽くした先に喜びがある、そう信じている。信じ切っている。
否。もっちゃんと行くこの道は、僕にとっては喜びの溢れた、楽しい道のりだ。毎週のように、飽きるくらいにもっちゃんに会える2022年、僕は相当に幸せである。
そんな具合だから、彼女から離れる選択肢もないし、伴走し続ける、一緒に戦い続ける…なんておこがましい、ただ、彼女を見に行かせてもらう。
それが彼女にとって少しでも喜びになるなら、自信になるなら、それほど嬉しいことはない。
15年ほど、いわゆるライブアイドルを現場で見てきた僕の終着点だから、こうやって勧めるに決まっているだろう。
君も望月さあやを推さないか?一緒に戦い抜いて、笑いあわないか?
僕がこう書いて、それで誰かが来るとも特段思わない。ただ、正直に思うことを、この2022年の暮れに書き残しただけだ。望月さあやは素晴らしい、推すべきだ、と。その正しさ、戦いを見ていこうじゃないか。
来年はもっともっと、ひとさいの現場にオレンジのペンライトがあふれていると良い。それは祈りであるし、そうであるべきだ。
もっと評価されるべき、立派なアイドルがここにいるのだ。
ここまでも余計な文章だが、ここからもさらに蛇足。
2022年の望月さあやはリーダーだった。2023年にリーダーを辞めるというわけではないが。
くそ真面目リーダーだから、リーダー然としていなければならないという思いも強すぎ、前半はそれが空転していることも多かった気がする。
グループをどうすればいい、リーダーとしてみんなを引っ張って行かねばならない、リーダーとは。
苦悩している姿も見かけたし、発言にもそれがにじみ出ていた。
今はだいぶ馴染んできたというか、肩の力も抜けた気がする。
当然、リーダーとして、という思いはそのままであろうが、そのリーダーとしての心の持ちよう、ふるまいというのがつかめてきたのではないか。
リーダーというものに対し、どんな答えを見つけたのか、そもそも答えが見つかったのか、そんな話ももっちゃんとはしていないから、どう思っているのかはわからないが。
リーダーだからと言って、過度に肩肘張らず、メンバーとグループをワリカンする、そんなことが自然にできるようになったのではないか。
新しい組織だから、上手く回転していくようになるには多少の時間も必要だ。
今年1年をかけて、もっちゃんにとって本当に居心地の良い、自分の夢を安心して預けられる、そんなグループになったのではないか、そう思う。なっていたら良いな、そう思う。
2年弱の会えない日々を潜り抜けてきた僕には、僕らには、2022年、毎週のようにもっちゃんと顔を合わせて笑っていられた今年は、本当に良い年だった。
来年もこの幸福が続きますように。そして願わくば、やっぱりもっと大きな舞台で、ということを思ってしまう、そんな舞台に立てますように、良い景色を見られますように。
望月さあやの夢が一つでも多く叶いますように、望月さあやが満足できますように、自分を認めることができますように、自分をたくさん褒めてあげられますように。