たとえば、こんなをたくの言葉から振り返りを始めたっていいわけだ。

「さあやちゃんが絶対に一番かわいいから、絶対に一番の生誕祭にしたいんですっ!」

なにをもって一番の生誕祭か、という話はとにかく、よいものにしたかった。

 

3年ぶりの生誕祭だった。

初めての単独生誕祭だった。

だからこそ、しっかり祝いたかった。

生誕祭に関わったいちをたくとして、企画についての振り返りと当日の感想を書き残しておく。

あくまで僕の眼から見た、今年の望月さあや生誕祭の備忘録である。

 

1.企画内容

まず、ご協力いただいた皆様には心から感謝申し上げます。

 

いつ頃から動き出したのか。5月だったか、ランドマークホールでの対バン終わり、野毛の一軒目酒場で、そろそろ考えるか、そんな話をした気がする。

5月末にはまずイラストを頼んでいた。

頼む先はずっと前から勝手に決めていた。ASTROMATEの元メンバー、当時の名前で言えば早崎友理、その方である。

器用で多才な彼女は、あすとろが無くなった後、副業でイラスト注文を受け付けており、可愛い絵を書いていた。

次に生誕祭が行われるとしたら、その際のイラストはきゅりに頼もう、そうずっと前から思っていた。

 

イラストは3点。当時の衣装(ひとさい1st衣装)姿、昨年の舞台「文豪ストレイドッグス」出演時の「羊」姿、そして猫に扮した姿。

なぜ猫?考えた人に聞いてくれ。22歳でにゃんにゃんだからにゃんにゃんさせたいんです、絶対かわいいじゃないですか、そんな話だった。アイドルの生誕祭なのだから、かわいいは正義だろう。テーマの一つ、「にゃんにゃんでとにかくかわいく」の誕生である。

 

当時の衣装姿、というのは極めてベーシックだと思う。

もう一つは昨年の舞台での姿。今のもっちゃんのファンの中には、ここで初めて彼女と出会い、ファンになった、そもそもアイドルのファンですらなかった層というのが何人もいる。あすとろ後のポイントはここだろう、そう思った。

今回の生誕企画では、もっちゃんの、あすとろ後の歩みを取り上げたかった。そして、もっちゃん自身のここまでの、決して平坦とは言えない道のりを、肯定したかった。何にも間違っちゃいない、君は正しくここまで歩いてきて、辿り着いたのだと、そんな思いを込めたかった。

その3点のイラストを中心に、あらゆるものが回っていくこととなる。

 

イラスト3点の発注は早々に終えていたものの、そこから1ヶ月以上は停滞し、おおよそ7月になって、そろそろ動かにゃねえ、そんな具合だった気がする。

確か先ほどの猫を生み出した彼女が、たまたまもっちゃんをポケモンカードふうに、クソコラと言ってしまえばクソコラ、そんなことをしたものを持っていたのを見て、もっちゃんをポケモンカードにしちまえばええやん、そんな話から唐突に動き始めた気がする。

そんな技術、僕らは持ち合わせていない。持ち合わせていそうなとあるをたくを捕まえ、こんなんできるかい、という話をした。

そしてその彼も踏まえた3人の中で話をするうちに、ポケモンよりはラブベリじゃないか、もっちゃんの世代(というか彼女自身もその世代)はラブベリが大流行りしたし、もっちゃん自身がラブベリは大好きだったはずだ、そう、彼女が言い始めた。

メッセージカード、それを入れるアルバムの装丁、当日配付の記念カードに至るまで使用した、ラ○ベリ(今更隠してどうするのか)のパ○リ、いやオマージュ?パロディ?「オシャレ幼女バブandベビー」の誕生である。

 

そしてそれを形にするべく盛大に彼が頑張り、というかやっていて楽しくなったかデザイナー魂(別にプロではないが)に火が付いたか、まあ両方なのだろう、僕が元々ぼんやりと考えていたものからははるかに遠く、恐竜的な進化を遂げ、作品となっていった。

 

・メッセージカード

両面。表は衣装、羊の2種類。裏にメッセージ欄。

 

・アルバム

 

・当日配付の生誕記念カード

表面はキラ仕様です。レアカードです。特別な日だからね。

 

・Tシャツ

・フラワースタンド用ボード

ボードはTシャツのデザインの亜種ですね。

きっと猫姿一本で行った方がデザイン的には良くなるのだろうけれど、前述の通り、ここまでの行程を描いて肯定したかったので。ねぇ、さーにゃ。

 

・ヘッドドレス

前述の彼女、入魂の作品。とにかくにゃんにゃんでかわいくかわいくしたかったのだそう。

まさかそもそもが衣装としてヘッドドレス付きのものにしているとは夢にも思わず、本編で着用するとは全く考えていなかった我々、着用したもっちゃんが出てきたときには彼女はなんか椅子の上でぴょんぴょん跳ねてたね。

Tシャツとヘッドドレスをご着用のもっちゃん(ツイキャススクショより)。

 

・フラワースタンド

何年も前から、今度生誕祭等でフラワースタンドを作成するときはここにお願いしようと思っていた、フラワーショップ・ルッホさん。

丁寧に数時間かけてお打合せをしていただいた(大半は直接的な花の話でなく、その推しの話を延々と聞いていただいたり、その他世間話なのだが)うえで、こちらのオーダーを数段上回るお花を作成いただけるということは、前に何度か僕が主体でない企画で利用した際に十二分にわかっていた。

だからこそ、ここしかないと頼らせていただいた。

 

オーダーはこれまで同様、にゃんにゃん、とにかくかわいく。

欲望てんこ盛りであれもこれもとお願いをした結果、やはりこちらの想像以上に仕上げていただいた。

これはまだ明るいうちなので目立たないが、LEDも投入し、夜になるとオレンジ色にほんのり輝く。

ということで皆さん、こちらのお花屋さん、ぜひご利用を。コロナや海外情勢影響でなかなか業界全体で大変らしいです。

 

あれもこれもと積み上げていった結果、企画内容が膨れ上がりこんな結果となった。

やれることはあらかた思うようにやったんじゃないかな、きっと。

 

2.バースデーライブについて

近くなるまではずっと雨予報だった。一日に100ミリ以上、とんでもない雨となるような予報になっている時期もあった。

ほんの数日前から予報もぐんぐんよくなり、当日はすっかり晴れ渡っていた。

 

もっちゃんは大舞台で当然緊張していたし、終わってからは興奮冷めやらぬといった感じで猛烈なテンションを見せた後、すっかり気が抜けてふやけたような笑顔を浮かべていた。

総じて幸せだったらしい。

 

三つ、書き残せばいいと思っている。

 

一つ、もっちゃんがももクロをカバーしたこと。

もっちゃんにとってももクロはかみさまだ。その中の本当の最初のかみさまはもう辞めてしまったが、それでもももクロはかみさまだ。そしてもっちゃんは純粋ないわゆるモノノフだ。

畏れ多い、ともっちゃんは都度、口にしていた。

私如きがカバーするのは畏れ多い、と。

 

生誕祭の数か月前、何の曲をやろうかな、と聞かれたことがある。相談というよりは、ちょうどもっちゃんとして考えていた時期で、とりあえず話題に出してみた、といったふうで。

ももクロやればいいじゃない、そんなことも言ったような気がするし、いつも通り、畏れ多い、と言われた気がする。

気のせいかもしれない。彼女とはそんなやり取りをしたことがあるのは確かだが、それが今年だったのか、それとも以前の記憶を今年だと思い違いをしているのかはもうわからない。

 

可愛い曲をやりたいと聞いていた。格好いい曲になったと聞いた。運営の意向だと聞いた。

つまり今年も、決してもっちゃんがももクロを選んだわけではないのだ。

だから始まる前、わかりやすく緊張していた…もちろんこれだけの理由ではないだろうが。

 

ももいろクローバーZ、吼える。

かの東北楽天ゴールデンイーグルス、田中将大投手の応援歌なのだという。アイドルと結婚しアイドルに応援歌を献上される、世界最強のアイドルをたく、田中のまーくんさん。

曲名が告げられた瞬間、僕も緊張した。本意ではないにしろ、ついに望月さあやがももクロカバーというカードを切るのだと。

場にいるすべてのをたくに説いて回りたいくらいの気持ちだった。望月さあやがももクロをやる意味、その重たさを感じろと。

 

決意をにじませるもっちゃん、位置につき、顔を上げ、静寂を切り裂くというよりは、ゆっくりとその空間へ押し広げていくように、朗々と出だしのサビをアカペラで歌い上げる。

実に立派だった。

もうあとはただもっちゃんをぼんやりと見ながら、ただ前方の空間を見ていた。

僕は幸せだった。

 

一つ、MC中のコメントで、自分のストロングポイントを明確に宣言したこと。

もっちゃんは自分に自信がない。劣等感の塊である。

そのもっちゃんに自信を持たせようとずっと僕らはやってきた…少なくとも僕はやってきた。自信を持て。せめて、君のことが好きな僕らのために、そんなに自分を否定するな。ずっとそう言ってきた。

散々言った結果、もっちゃんはとてもをたくに配慮をしながらそれでも自分を否定するようになった。私を応援してくれる人はそんなことないよ、と言ってくれるのはわかっているんですけれど、と前置きをしたりして。

 

最近はもっぱら、他のメンバーに比べて人気がない、人を連れてこれていない、ということを気にしている。

各種SNSでフォロワー数という、誰の目にも見える客観的指標がどうしても屹立しているから、もっちゃんにとっては格好の言い訳、ではないが、ちょうど自分を卑下する数字となり、その数字をもってしていつもの論調をされてしまえば、こちらも駆ける言葉もない。

 

この日もいつも通りに話を立ち上げていった。自分は何もできない、人一倍頑張ってようやく一人前になれる。それは望月節であり、初めて見る人には何とも言えぬ気分にはなるものだろうが、既に彼女を知っている多くの者にとってはありふれた光景だったと思う。

真っ直ぐに努力をしてきたこと、嘘を言わずやってきたこと…本人の言葉そのままを忘れてしまったのだが、要はそんなことについては胸を張って私はやって来たと言えるし、今後もそのことについては貫いていく、そこは信じて、ついてきてほしい、という旨のことを言っていた。

 

自信のなさは何も変わらない。少しずつ、マシにはなっている。普通のアイドルほどには決してならない。行き過ぎたへりくだりはアイドルには損だと僕は思うが、今更もっちゃんがその点において劇的に変わることはない。

それでも、いわゆる一般的なアイドルが自信を持つべきところではないかもしれないが、実にもっちゃんらしい点において、力強い言葉を発することができた。

それはそれで彼女なりの成長であろうし、それが望月さあやというアイドルであろうと思う。彼女はまっすぐで、真心で、真実の人なのだ。

 

一つ、新曲は望月さあやの曲であること。

生誕で新曲披露ということがコールされていた。

僕はあまり気が進んでいなかった。

生誕祭については、生誕以外の要素は混ぜないでほしかった。

純粋に生誕祭、その対象が1年間、ないしは前回の生誕祭、あるいはアイドルとしてのこれまでのすべての歴史を見せつける、とともに、主役は客に感謝をささげ、客は彼女を祝福する、ただそれだけの空間であってほしかった。

 

「仄暗い闇の外から…」というらしい。

前述の通り、シリアスで(いつも通り)後ろ向きでありながら最大限に前向きである、そんな彼女そのもののコメントが終わった後、そのままの流れで披露された曲だ。

 

「さあやもセンターではじまっておわる曲ほしい!」

かつて、まだもっちゃんがチェキにコメントを書くことが許されていた時代(ひとさいではなく)に、ある日唐突に僕のチェキに書き残した言葉。

ツイッターでつぶやいてほしいに!と言われた。誤植ではない。島根訛だ。今よりもずっと、故郷の言葉が残っていた。

 

今や隔世の感である。

もっちゃんはひとさいではその歌声、パフォーマンスについて制作陣には大変な信頼を置かれているらしく、よくセンターで始まって終わっている。

だから、新曲でそうだったとて、それだけで特に特別感もない。

しかし今回の曲はそもそももっちゃんのパートが長く、ポイントはほぼもっちゃんであり、そしてその自分に厳しすぎ自己評価が低すぎる、いつももがくようにこの芸能界を生き抜いている彼女の心象風景を描くかのような内容であり、前述の彼女のコメントと実にマッチしていた。

彼女の生誕祭のために拵えられた曲であるかのように、全体の流れに綺麗に当てはまっていた。

 

そのくらいの曲である。後々聴いても、まさしくもっちゃんのための曲である。

もっちゃんを推している者たちは並々ならぬ気合でこの曲に臨み、一緒に紅蓮かそれとも青の炎か、そんなものを巻き上げながら、もっちゃんの作り出す世界に浸らなければならない、そんなことすら思う。

そんなものを用意してもらった、わけではないだろうが、結果的にそんな曲を彼女の生誕祭で披露することになった、これもまた今年の生誕祭を彩る一幕であったろう。

 

もう1点付け加えるなら、「ぷりてぃー」な衣装。

彼女は自分に自信がないのは前述の通りで、だからこそなのか、それともただの趣味か、表舞台でかわいさを前面に押し出した、人形のような服装をすることがほぼほぼなかった。

今回は実に可愛らしい、いわゆるロリータ衣装を生誕に着る一張羅として選択してきた。

これもまた、もっちゃんにとっては小さな挑戦であり、僕らにとっては喜ばしいことであったと思う。

 

終演後の彼女は前述通り、興奮しており、それが終わると虚脱したように緩んだ笑顔を浮かべていた。

「たのちかった」のだろうし、いい一日だったのだろう。

珍しく、あらたまって真っ直ぐに感謝を伝えてきた。

 

3年間、よく僕ら、乗り越えてきたよな。

そういう夜だったのだと思う。

 

終わった後にをたくを集めての呑み会を開いたのだが、この日、朝から頭痛と格闘していた僕はすっかり虚脱し、あまり話もせず酒も呑まず、ただぼんやりしていた。

一番の生誕祭にしたい、と息巻いていた彼女が、疲れ切った様子でしかし目だけをカッと見開きながら、私たちはやれましたよね、その確認を熱のある言葉で僕にしてきた。そうだね。僕はそれを肯定したはずだ。

良い夜にできた、というのはエゴが過ぎる。しかし、良い夜であり、生誕祭であった。

 

3.エピローグ

一つのディスコミュニケーションがあり、他の事の起きるタイミングが重なり、少しばかり何かがあったりした。

どうでもいい話でもある。書き残す話ではない。

雨が降って地が固まれば、それでいい話である。実際、そうなっていると思う…願う。

少しばかり羨ましくも思う。僕はもう老人になりすぎた。

 

もっちゃんの永遠の相棒、真尋の生誕祭があり、もっちゃんはゲストとして呼ばれた。

真尋の所属するグループはその少々前に解散しており、そしてその生誕後の時間に新たな所属先がコールされ、なんとも宙ぶらりんな中で開催された生誕祭だった。

そんなもの、もっちゃんと真尋が同じステージに立ち、そこで向かい合ってにっこりと笑顔を浮かべた瞬間、あとはどうでもよかった。

 

真尋にはもっちゃんの壁であってほしいと思う。

どっちが上とか下とか、そんなことはないのだが、それでもこいつには敵わねえ、でも。そんなライバルであってほしい。

だからまだまだ真尋にはアイドルをやってほしいのだ。

 

人が集まって一人を祝う空間はとてもよい。

僕らは今年、望月さあやをしっかりと祝えただろうか。

 

そしてその集まった人はその一人の未来を願う。良いものでありますように。願わくば、また来年、祝えますように。

望月さあやを、また来年も祝えますように。

もっと大きくなった望月さあやを祝えますように。