望月さあやが来たるべき季節に向けて怯えを隠さないようになれば夏の前触れであるし、どれだけ気を使っても結果として体調を崩すようなことが出てきてしまえば真夏を迎えた合図だ。

 

本人はかわいそうなくらいに夏に対して恐怖を口にし、そして備えている。毎年その備えは厳重になっていく。そしてその甲斐もなく、毎年のように夏に調子を崩すことを繰り返している。

キャラと真逆、とにかく暑さに弱く寒さに強い。冬以外はずっと暑い暑い、早く冬になれとのたまう。そして冬になると目を輝かせながら駆け回る。それは犬か。駆け回らないがとにかく幸せそうにしている。

今年の夏は完調のままずっと過ごすというのは難しくても、大きく調子を落とすことなくなんとか踏みとどまってくれることを、切に願っている。

 

…などと書いていたら、今年は流行り病にかかってしまった。

こればかりは仕方ない。どれだけ気を付けていてもなるときはなる。

 

こんなことを書いている僕も、もっちゃんの後を追うようにかかってしまった。もっとも、僕はもっちゃんのようには感染対策なども気を入れておらず、まあそりゃマスクくらいは十人前にしているが、まあその程度なのだから仕方ない。むしろなぜ今までかかっていないのだろうと思っていたくらいだ。

をたくをしていて何故かからんのか不思議でならなかった。既にかかったこともあったのかもしれない。

そんな話をしたいわけではない。

 

まあ、自粛期間が定期公演にかかってしまったのは不幸であり、ワンマンや明治神宮花火大会にかからなかったのは不幸中の幸いであるからして、もっちゃんもまだ持っている。

そして、かかってしまったことの発表に関し、旧来からのもっちゃんのファンであれば全くの予想通りだろう、どうしようもなく真面目で反省しきり消沈しきり、それでも燃えている炎が隠せないような長文を出してきた。

きっとこの流行り病にかかればこういう文章を出してくるのだろう、と思っていた。

 

春にはまっすぐに自らのアイドル道を進んでいた。夏だって進んでいる。その点は変わらない。

天真爛漫そうな対応も相変わらずだ。

かわいい?すき?などと聞くことがさらに増えた気もする。意識的に「アイドル」をしているのだろう。

 

特典会等で話している中では、グループ全体に言及することが多くなった。

リーダーとしての責任。自分がリーダーなのだから。私がやらなきゃ。そんな話をよくされるようになった。

感想を聞かれるのも、グループ全体に関してのことが多い。僕如きに相談してくることもある。

 

元来の自己評価の低さが、ことリーダーとしての自分にも向いていて、だからこそ自分はまったくもって十全にリーダーを出来ていないのではないか、もっとやるべきこと、出来ることがあるのではないか、日々そう焦りながら模索しているのかな、と思う。

それとともに、絶対にひとさいを成功させなければならない、そういう思い、必死さ、そんなものも強く感じる。

自らの誇りである前世、それですら結果的に成功を収められなかった、あそこまでやってもあのような結果で終わってしまった、ならばあのとき以上にやらないとだめなのだ、もっとあれもこれもやらないとだめなのだ、やるべきだ。

 

正直リーダーを務める人とは思っていなかった。しかし今のメンバーを客観的に見るとリーダーがもっちゃんなのは必然なのかもしれない。そして苦闘している。その苦闘を見られることもまた眼福だ。

様々な面を見られると飽きない。元々飽きることなどないのだが、違う角度での視座を提供してくれ、そして面白い。

 

Hey!Mommy!を見た。

槙田紗子が作ったグループだ。それ以上は語るまい。

 

愛憎相半ばする。これまでは避けてきた。

あれから気がつけば1年ほど経った。5月なのに、真夏のような日。道行くトラックの銀色の荷台が、狂ったように陽の光を乱反射していたあの日から。

 

何もかも想像通りだったし、槙田紗子がアイドルを作るならこうだろうという予想を下回りも上回りもしなかったし、手放しで褒めたたえるようなものでもなかったし、くさすようなものでもなかったし、特段好みでもなかった。

何もかも予想通りだったというのは決して悪い話ではない。おそらく僕のハードルは結構高い。槙田紗子がアイドルを作るのであれば必然的に高くなる。それを越えもしなければぶち当たって倒すようなものでもなかった。

幸福な出会い方をしていれば褒めていたかもしれない。そのくらいのものだ。

かつて推していた槙田紗子に対するプライドを満たすくらいの出来ではあった、そういうことだ。

 

勿論、その中に望月さあやがいた未来を想像しないわけがなかった。

立派にやっていただろう。

貴様の眼は節穴だと未だに思う。

 

望月さあやがひとさいにいてよかったと思った。

あの日選ばれなくてよかったと思うほど卑屈でもない。ひとさいにいる望月さあやをこのような文脈で肯定することは、僕はそんな気は毛頭ないのだが、強がりだと思われるだろう。

それでも、望月さあやはひとさいのリーダーで本当に良かったと思ったのだ。

 

望月さあやはアイドルをしに来たのだ。だからこてこてのアイドルをやっている。

でもべたべたのアイドルではない。どこかさっぱりしているような気もするし、もっとべたべたなアイドルはもっともっと絵に描いたようにアイドルをするだろう。

どこかひとさいはべたべたのアイドルというにはさっぱりしている気がする。それはアイドルをやりたい望月さあやにとってはちょうどいい塩梅のグループなのだと思う。

 

僕が耐えられる程度の塩梅で、しかししっかりアイドルをしてくれるグループで、前世より数段アイドルとしてのギヤを上げてアイドルをしているもっちゃんを見ていることが僕の幸せなのだろうなと思ったし、そのようにしてアイドルを極められる環境に無事たどり着けたことがもっちゃん自身の幸せなのだろうなと思った。

ひとさいに対して諸手を挙げてすべてに賛成するわけでもない。思うことなど山ほどある。もっちゃんだって山ほどあるだろう。だから、どうでもいい話もするし、真面目な話もする。

それでもここまで苦労を重ねてたどり着いた環境のことはまだ信じたいし、ここがもっちゃんが思う存分努力が出来るところなのだと、そのようなところにたどり着いたのだと信じたいのだ。

 

ひとさいはライブだけでのし上がろうとするグループではないし、歌とダンスの上手さでどうこうというグループでもないだろう。ライブとそれ以外の力の入れ方、比率、どこでどう仕掛けてどう山を登っていこうとしているのか、僕にはわからないし、たとえばSNSでのし上がろうとするなら僕はまったくもって語る言葉を持たない。

そもそも、どうなれば人気になるのか、そんな感覚もとうの昔に失っている。

 

全く独善的なことを言う、もっちゃんのをたくとしてもっちゃんしか眼中にないようなことを言う。

ひとさいのメンバーに、もっちゃんのためにひとつ頑張ってほしい。歌とダンスを、パフォーマンスを頑張ってほしい。

Hey!Mommy!に負けないでほしい。ステージ上の出来の良さで殴り合いが出来るくらい、たとえ負けたとしても殴り合いが出来るくらいに頑張ってほしい。練習してほしい。努力してほしい。どうかもっちゃんのために頑張ってほしい。僕のために頑張ってほしい。

そんなものが出来たからって売れることとさほど関係はない。ずっともっちゃんにも言っている。パフォーマンスの巧拙など売れることにほとんど関係がない。

それでもそこに拘ってきた僕らなのだ。そう育ってきてしまった僕らなのだ。

だから、頑張ってほしい。

 

勿論、そんなメンバーの3倍はもっちゃんは頑張る。リーダーだから。パフォーマンスはもっちゃんのプライドだから。

だからこそ、そのような目で見ても満足できるようなひとさいに育ってほしい。ライブで満足させてほしい。本気を出して、鍛錬を重ねて、唸らせてほしい。

勝手な思いだ。もっちゃんと僕を幸せにしてほしいのだ。

もっちゃんを勝手に巻き込むな。つまり僕を幸せにしてほしいのだ。

 

新曲は次々に補充されていく。

「新しい世界へ」、夏フェスの屋外で馬鹿みたいに汗をかきながら聞きたい曲だなと思った。

馬鹿みたいに汗をかく大型夏フェスには縁がない。今年は裏街道ばかりだ。

それでも一つ一つを積み上げて、どうにか日々を重ねていって、臥薪嘗胆、来年の今頃はあらゆる夏の主役になっていてほしい、一緒に大汗をかいて笑っていたい。

そのために一生懸命、一つ一つのライブに懸ける思いを見せてほしい、一つ一つを大事に過ごしていく姿を、出来るだけ多く見ていたい。

そんな望月さあやとひとさいの積み重ねを出来るだけ多く見ていたいと思う、2022年の夏である。