最近の僕は望月さあやの元へ行っても何も話すことがない。

もっちゃんは僕が話し出さないことをよくわかっていて、だから特典会の際の会話はすべてもっちゃんがリードして進んでいく。

もっちゃんは話したいことを話したり、聞きたいことを聞いたり、僕をからかったりする。

それを1回のライブごとに数回行う。

そうやって新しい日々は過ぎていく。2022年春の望月さあやと僕だ。

 

2022年春の望月さあやはとてもアイドルだし、隙も無くよいパフォーマンスをしている。

それを見ていればおおよそ満たされるのだ、だからこそかける言葉もなくなってしまうのだ。

自分の中にあるアイドル像に今度こそ近付けるよう、自分の思う真のアイドルになれるよう、その道を真っ直ぐに進んでいるのが手に取るようにわかるから、それで満足してしまうのだ。

僕みたいな素人が何かを言及するのがためらわれるくらいに、もっちゃんは真っ直ぐだから。

 

もっちゃんにとってのアイドルというのはたとえばももクロだ。その他スターダストの面々だ。

アイドルというのはキラキラした舞台でキラキラ輝く綺羅星。それが望月さあやにとってのアイドルだ。

死にたいくらいに憧れて、しかし決して必ずしも自分が死ぬほどなりたかったわけではないが、なるからにはそうでありたいと思っていたアイドル。前世の頃は自らがなっていたアイドルとの間に気の遠くなるような距離を感じていた、アイドル。

正しい、アイドル。彼女にとっての、アイドル。

 

その頃よりはその憧れへの道は見えているだろうか。

少なくとも自らが進む道は見えているように見える。そしてその道を真っ直ぐに進んでいるように見える。憧れへ日々近付けているかはわからない。しかし歩き方はわかっている。なすべきことはわかっている。その道を一歩一歩、歩いていく。毎日休まず真っ直ぐに歩いていく。

アイドルになるべく、自らが思うアイドルを1つずつ丁寧に積み重ねていく。毎日毎日積み重ねていく。そうやって道を求めていく。求道者。

 

望月さあやは僕らの目に触れるところではすべて、自らの思うアイドルであろうとふるまうだろう。

そして人には言及しない。

彼氏がいるアイドル?「別にどうでもいい、自分の好きにすればいいと思う、わたしはファンの人を裏切らない、それだけー!」

人に何かを押し付けることはしない、肯定も否定もしない、ただ自らのアイドル道においてはおそらくそれはファンを裏切ることである、だからしないと宣言する。

自らの道に殉じる、ただそれだけ。

 

正直僕は、ステージがしっかりして、ファンに対するときにアイドルであれば、あとは男漁りでも酒かっくらってもさほど興味はない。男がいることに良い感情は持たないし、酒を呑むことに悪い感情は持たないが、致命的な断絶を生むとかそういうこともないし、アイドルが男を作るとはけしからんとも別に思わない。彼氏がいるならいい彼氏であれとは思うし、結婚まで行きつくなら祝福する。

一般論としてはその行為をファンへの裏切り、そう感じるファンはいる。それが良い悪いではない。そのようなファンが一定数(どのくらいの割合かはわからないが、少なくはないだろう)存在するというのが客観的事実であり、それに対してアイドル個人がどう捉えどう考えどう行動するか、その結果がまた存在する、その結果をアイドルは受け入れる、それだけだろう。

 

閑話休題。

もっちゃんは人に言及しないし押し付けもしない。

ある意味で自己中心的、いや、自己以外に興味のない…そんな冷たい話ではない、優しすぎるほどに優しい人だ、そして自らの理想を人には押し付けない。だから人には言及しない。自分が自らの道を歩み達することが大事なのだ。

「いつだって全力だよ…私はね」

その響きに肌がざわつくような思いをしたことを覚えている。

 

そんなもっちゃんのことは流石にだいぶわかってきたように思う。どういうシーンでどう考えてどんなことを言うか、思考回路がだいぶ読めてきたような気がする。

もっちゃんは僕のことをだいぶご理解いただいている。だからこそ冒頭のような流れにもなる。僕との個人的なことをよく覚えている。記憶力の良さには敬服する。

この間も、かつて僕がもっちゃんにちょっとしたことを結果的にはしてしまった会場、それを覚えていた。その出来事自体は僕はもちろん覚えていたが、会場など記憶の片隅にもなかったので、たいそう驚き、感心した。

 

あの日の僕の無遠慮な言動に対して、たいそうな動揺を見せたアイドル若葉マークのもっちゃん。

あれから4年経った今、内容は覚えているが会場など全く覚えていない僕に対して、自らあの時のことを切り出し、そして、あの時とその後を見てきて、私のことを少しは信用したでしょ?というようなことを告げ、悪戯っぽく笑っていた。

 

二十歳前後なんてものはあっという間に大人になっていくものだ。その頃の一年は、僕のようなおじさんの何年分にも相当する。

二年間、直に会ってこなかった僕は、その間にうんと大人になったもっちゃんが見せるアイドルに、たいそう感心している。まさしく、「変わり続けるからこそ、変わらずにやって来た」もっちゃんの今を、うんと味わい、楽しませてもらっている。

もっちゃんが発するものでまったく十分に満たされているから、僕から言葉を発することが本当にないのだ。

 

真っ直ぐに、自らのアイドル道を歩んでいる望月さあや。

その姿を見ているだけで十分、それが2022年の春である。