とても素晴らしいASTROMATEは、しかしどこか歯車の狂うことが多くあった。

そうして、必ずしも十分な栄光の時間を過ごしたとは言えないうちに、2020年6月13日、コロナ禍を受けた配信ライブという、最後としてはあまり幸せとは言えない形で、その歴史を終えた。

 

今振り返ると、あすとろにおいては個人的にも様々なことがあり、僕にとっては実に狂った季節だった。

良いことも悪いことも思い出される、愛憎二つの思いもないまぜになる。最後にあらゆる意味で全力で対峙できたグループだったと思う。学ぶこともあった。

それでもあすとろがとても素晴らしいプロダクトであったことは全力で肯定する。彼女たちの歌、ダンス、パフォーマンス、ステージはこのレベルで終わるにはオーバースペック過ぎた。そして、彼女たちがその歴史を終えざるを得なかったことを、自らのことは棚に上げたうえで、とても惜しむ。

 

何もかも終わったことだ。すべてのアイドルグループはいつかは解散ないし休止する。終わりが来る。再結成などもあるが、その一季節は戻ってくることはない。あすとろの季節は終わったのだ。

1つ心残りをあげるなら、その素晴らしいあすとろの最後を自らの両の眼で直に見られなかったことだった。

足繁く現場に通い、ほとんどの場合大きいとは言えないステージで彼女らを直に見る、聞く、或いは叫ぶ、指さす、身体を揺らす。そしてその後にその感想を或いは全く関係のない話を彼女らと直にする。そんな局所的なそして濃密な過ごし方をしてきた僕(だけでなく、おそらくはそうやって過ごしてきた多くの仲間も)にとって、最後にそれができないことはやはりどこかで心残りになっていたように思う。

すべては詮無きこと、わかっていた。

 

その代わりは永遠にないのだが、代わりではないものの、どこかその無念を洗い流してくれるような、あの日燃え残ったものに静かに火をくべて灰にしてくれるような、そんな日があった。

そんな日があった、ということだけを記録する。

 

・尊くてエモい。@clubasia

 

没頭していたので、たとえば詳細なレポートや、各々のグループに対する細かい感想などは書けるわけもない。

ただ、浸っていたのだ。

 

あすとろのメンバーだった者たちのうち、現役でアイドルで食っているのは、佐藤めり(佐藤はんな。FuMA、ex.ルナビスナップ)、朝比奈真尋(結川まひろ。刹那的アナスタシア)、望月さあや(1つ足りない賽は投げられた)、そして小坂ねね(柚木音々。可憐なアイボリー)の4名である。

うち、可憐なアイボリーについては一般的な地下アイドルとは一線を画し、日々の配信と月1の単独での「ファンミーティング」のみで活動が構成されているから、今のところはねっちゃんと他の3人との共演は望むべくもない。

しかし、他の3人について、しかもタイムテーブルとしてその3グループを一気通貫に並べる、そんな芸当を行った対バンがこの日に実施された。

ちなみに、これを主催したのは、あすとろの東京での運営を委託されていたLeadi、企画者は当時マネージャーを担当していたムル君である(決して彼は自分からはそのことを言わなかったし、何かそれを誇示するようなことも一切せず、当日も1スタッフとしてただ働いていたが)。まったく、尊くてエモいとはよく言ったものだ。

 

発表されたときから、出演する3人は3人とも一様にツイートに星を3つ並べていた。あの頃、彼女らは宇宙の仲間たち、僕らは星の観測者だった。

そして、3人ともとても喜んでいた。まひろは自分のをたくに、他の日を犠牲にしてでもこの日に来てほしい、と言っていたとのこと。気合も違うようだった。

このライブ開催の一報を受け、当時僕は仕事中だったのだが、会社のスケジューラーに即時に「有休」と入れた。勿論彼女らの特別な日だし、僕らの特別な日だからだ。

 

同じように有休を取った奴と、始まる前に一杯やっていた。そして互いのグループについての近況やら愚痴やらを言っていた。愚痴など大してなかったし、そもそもひとさいは始まったばかりだから僕は話すこともさほどなかったが。

そうやって、ライブ前に酒を呑み、ライブ後に酒を呑み、長い間やって来た。

そして、最近はとんとやらなくなった、開場に合わせて会場入り、なんてこともした。特別な日だからだ。別に早く入ったからと言ってなんということもないのだが。

3組が出てくるまではぼうっとしていた。この日は許していただきたい。

 

ひとさい、ツナスタ、FuMAの順だった。

前述通り、細かな感想というのはない。

ただ、各々が成長と、新しい今の自分、というのを見せたステージだったのだと思う。

 

もっちゃんとまひろはおおよそ似たような方向だと思う。

まず、しっかりアイドルをする。あすとろよりはどちらもアイドルらしいアイドル、その中であの頃よりは明らかにアイドルらしく、清く正しく可愛く。

そしてあの頃よりは折り目正しく丁寧な動きで、しかしあの頃と同じような、いや、あの頃よりもきっと鋭くなった、速度、質の動きで。

これまでの取り組みが違うのだ、このくらい出来て当たり前なのだ。しかしその動きを見ているのが幸福で、とても気持ちが良い。

しっかり腕が振られる、止まる、正しい角度、正しいポジションに四肢がしっかりと存在している。或いは決められた場所に吸い付くように四肢が移動する。

主にもっちゃんを思い浮かべながら書いているが、まひろだって似たようなものだと思う。もちろん、二人の動きはまた違うものがあるし、さらにひとさいとツナスタの振付もまた違う。しかし、アイドルのパフォーマンスとして正しい、というコメントはどちらにも当てはまるものだ。

 

さとうはよく笑えるようになった。これもまた、勿論前述の正しさとは全く別ベクトルだが、アイドルとしての正しさだと思う。

キラキラのアイドルに憧れてこの世界に入って来たさとうは、しかしあすとろの時は笑うことがほとんどなかった。彼女が主体的にそうしたわけではなかったようだが。

 

あすとろの1期生とはまた違う苦労をした。あすとろの季節が終わって、いち早くアイドルに復帰して、そこでも本当に(しなくてもいいようなものも含め)苦労を重ねてきた。そして、信じられないほどの控えめなタフさを示して、ここまでアイドルをやってきた。

意外かもしれないが、パフォーマンスへの拘り、意欲も人一倍だ。あすとろで仕込まれたからなのか、元々の志向なのか、きっと両方なのだろう。

しかしその面は歌は被せでありダンスはふんわり柔らかな振付のFuMAではさほど発揮できることもなく、その代わりと言っては何だが、ニコニコ、とまではいかないが、壇上で常に控えめな笑顔を浮かべるようになった。

 

笑った方が可愛いのに、あすとろの頃はずっとそう思っていた。あすとろが終わってからは彼女にずっと言っていた。実際今は笑顔を浮かべていて、前より可愛くなったと思う。

 

この3人で言えば、僕はあすとろ後のさとうのことはよく目にしてきたし、たくさんの話もしてきた。まひろのことは逆に、数えるほどしか見ていない。もっちゃんはそもそもアイドルをやっていなかったから、直接両の眼で見る機会もつい最近まではなかった。

あの季節を過ごしてきたをたくでも、それぞれがそれぞれ、その後の3人をしっかりと見てきたり、ほとんど触れてこなかったりしてきただろう。しっかり見てきた人については特段の驚きもないだろうし、触れてこなかった人についてはその変貌ぶりに目を丸くした、などということもあったのではないか。

まさしく同窓会。ステージを見て、或いはその後の特典会で、あすとろ後の物語を見て、聞いて。

この日はまさしくそのような夜だったのだ。

三者三様の、その後の物語に触れる日。そして、その物語の源流であるあすとろに思いを馳せる日。素晴らしいあすとろを思い出し、惜しむ日。

 

この日はあすとろの5つ星がそろっていた。スターティングメンバーであり、最後まであすとろのエースとマザーシップ的な存在として活躍していた、本田夏実と早崎友理(あえてこの名で記す)。特典会の際には彼女たちからをたくに声をかけ、話に花を咲かせていた。

彼女たちもまた、満ち足りないあの頃の思いをここで静かに燃やしていたのだろうか。

 

特典会後も、少しだけ呑んだ。

話したことなんて覚えてないが、楽しかった、それだけでもういいだろう。

 

そしてこの記事も中身などない。

あすとろが終わった、3人のアイドル人生は続いていく、僕らはそれぞれまた星々を観測していく、つまりそれだけのことだ。

それを再確認した夜があった、その事実を記録した、それだけのことだ。

ASTROMATEに、終わりを告げるのに、うってつけの日の記録。

A Perfect Day for ASTROMATE.