つれづれなるままに、日暮らし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるおしけれ。

 

「カミカゼさんがいわゆるヲタクさんを終わる時はどんな時だろうね。」

 

佐藤めり擁するFuMAの新メンバー、蒼波ユウのONLYFIVE写真に記載された一言だ。ONLYFIVEというのは簡単に言えば電子チェキサービス、このご時世で生まれてきたサービスの一つだ、面倒なのでこれ以上ここでは記さない。

ちなみに彼女のONLYFIVEは彼女のやる気と情熱と切実さが豊かな文章で語られる。十分買うに値する、良いものだと思う。そしてこれだけの熱量をもった子がFuMAに入ってくれたことを嬉しく思う。

 

アイドルでなくては生きていけない、アイドルだからこそ豊かに生きられる、そういう切実さ。そしてキラキラしたアイドルになりたい、心からアイドルに憧れている、そういう希望。そんなものを持ってアイドルになって、わけてもいわゆる地下アイドルになって、その思いが十全に達せられるかというと、なかなか難しいものはある。

それでも自分の憧れたアイドルになったのだという矜持を持って、胸を張って、元気を出して、希望を口にして、見る人に夢と勇気と元気を与える。それが美しさというものである気がする。

 

閑話休題。

彼女からそのONLYFIVEの成果物を受け取ったのは、その日の20時頃。

1時間前、望月さあやのアイドル復帰が高らかにうたわれていた。

何というタイミングなのだと、しばらく頭を抱えていた。そして呆然としていた。

書いてあることに、呆然としていた。

 

望月さあやがアイドルになる。戦場に帰ってくる。

春に致命傷を負い、出演するはずの舞台もこのご時世で吹き飛び、それでもその雌伏の時を経て、無言のまま東京、大阪、また東京と駆け抜ける舞台「文豪ストレイドッグス 太宰、中也、十五歳」に出演し終えたばかりだった。

彼女のアンサンブルぶりは見事なものだった。メンバー随一の小ささを生かして、愛らしく小娘を、その他ただの舞台装置を演じ切り、元気に壇上を駆けまわっていた。

 

この先戦うとしてもそれは舞台だろうと、そう思っていた。彼女が選びに選んだアイドルと縁がなく、そのあまりの悲劇の後で、そうアイドルという道を簡単に選ぶはずがない、彼女のお眼鏡にかなうアイドルがいるはずがない、そう思っていた。

前々から、アイドルにならないということはない、しかし絶対になるというわけでもない、というスタンスなのはわかっていた。僕はだからこそ、彼女は厳選に厳選を重ね、注意深く、慎重に、そろそろと属するアイドルを選ぶはずだ、というより、春に属すること叶わなかったアイドル以外はそう気に入るものはなかろう、そう思っていた。

 

正直、まひろと音々の存在は大きかろうと思う。朝比奈真尋(刹那的アナスタシア)と小坂ねね(可憐なアイボリー)だ。

かつて手練れのお姉さんたちに後ろを任せ3トップを張った(というのはあまりに実際とはかけ離れているが)、同い年の綺羅星たち。共に見事にアイドルに復帰し、前者は悪くない気流を掴んでしっかりとアイドルをして、後者は大型プロジェクトに合格して全くこれからだ。

ちなみに音々はまひろのキラキラ輝く様子と、そしてもっちゃんの苦闘ぶりを見て、もう一度アイドルになろうと決めたのだという。彼女こそ、もう一度アイドルとして輝く姿を見ることになろうとは、夢にも思っていなかった。前のグループ―ASTROMATEを辞める直前期、○○だけには入っちゃだめだぞ、そう、とある地下アイドル事務所のことを名指しで告げたのを懐かしく思う。

 

二人の様子を見て、もう一度アイドルになりたいと思った、そんなことはあったのではないか。同い年の三羽烏、負けられないなのか何なのか、意識するものはあったのではないだろうか。

そして今は「60日後にアイドルになる一般人」と称して、元より活動していたTikTokで毎日動画投稿に精を出している。正確には67日後らしい。このあたりの何とも言えない緩さは、しっかりしているのにどこか抜けているところのある彼女らしい。

アイドルになることについて、各種媒体の生配信でも話をしていた。彼女曰く、新しい舞台は彼女のこれまでのイメージとは異なるかもしれない、らしい。

とすれば、僕にとってどストライクなグループではないような気がする。或いは苦痛も伴うかもしれない。

 

僕はアイドルヲタクをやるうえで、極力自分を縛らないようにというのを心掛けてきた。たとえば好きな子を追いかける中で、何かを我慢して追いかけるなんてことをするならば、それはまったくもって本末転倒、負けだと思っていた。

負けてもいいと思っている。僕が自分を縛りたいと思うのなら、それがどんな天国だろうと地獄だろうと、それを見届けてもよいだろう、そうしたいのならすればいいだろう、そう思っている。

それほどに、望月さあやで終わりたい。

アイドルヲタクという趣味も死ぬまでやるものでもないと思っているし、そう遠くない未来に辞めたいと思っている。ほかにやりたいこともある。だからこそ、最後に惚れこんだ望月さあやで終止符を打ちたい。彼女に息の根を止めてほしい。止めを刺してほしい。

 

ふとした時に、今度は彼女は何色担当になるのだろうか、その色のサイリウムを或いは振る人生もあるのだろうか、彼女はグループの中でお姉さんだろうか、それとも小僧だろうか、経験者だから、知った顔をして引っ張っていくのだろうか…。

そんな妄想をしていて、割合いい気分になっていたりする。そのくらい、嬉しかったりする。

必ずしもアイドルでなくてもいいとは思っていたが、いざアイドルに復帰するとなると、結構嬉しい僕がいる。

だからこそ、彼女のアイドル人生を追いかけて、そして燃え尽きて灰になりたい。今度こそがもう何度あったか、しかしそれにしても限りがある。これで終わりだ、これで終わりだ、これで終わりだ…。

 

そんな僕がFuMAを見ていられるか。

そんなことを思わなくてもいいし書かなくていいのだ。ふんわりと行っていればいいのだ。まったくくだらない。そんなことで引け目を感じるなど、くだらない。

一生、いわゆるDDにはなれないのだろうと思う。

 

佐藤めりはまた嘆息している。

いや、特段落ち込んでもいない。もう慣れたと言っている。そして考えている。

それでも淡々とした様子で、そして壇上ではしっかりと笑っている。相変わらずのプリンセスぶりだ。運命に翻弄されるプリンセス。

生誕祭も終わった。合同で生誕祭をやった、唯一のルナビスナップの生き残り、な子もリタイヤしてしまった。一人になっちゃった、自分変なところで頑固だよね、これからもよろしくね?

 

FuMAは活動をほぼ止めている。要は同事務所のNEMURIORCAのリリーフで、11月いっぱいは同ユニットとして活動しているのだ。

突然やって来たそんな話にばたばたのFuMA勢、その代わりに大きなイベントに出て、多くの客の前でパフォーマンスをしている。特に新人はその熱気に感じるところもあるだろう。

きっと彼女はそんなことはない。コロナ禍の前の世界を知っているのだ。あの古く仕立てられたASTROMATEの現場を、コールを、指差しを、前時代的な熱の渦巻く現場を知っているのだ。少しの懐かしさは覚えるとしても、あの狂熱にはおよぶまい。

 

いっそのことねむりに入ってしまうというのはどうだろう。あちらだって2人になってしまうのだ。少し前までの人数に戻すには新人を4人だか5人だか入れないといけない(と思っているのだがよく知らん、ねむりが元々何人だったかは知らん)、それはハードルが高かろう。リリーフ期間で多少なりともねむりの流儀を身に着けた即戦力が3人も転がっているのだ。ねむりの残り2人がどう思うかも、ねむりのをたくがどう思うかも知らないが。

まあただ、そういう結論なら彼女はまた嘆息するだろう。いったい私の1年少々はなんだったというのか。しかしそれもまた人生であろう。

そうなったときにそれを良しとせず辞めるのもまた人生であるし、受け入れて、一つ高みでアイドルを続けてみるのもまた人生であろう。

 

僕はただ、佐藤はんな…ハンナ…佐藤めりに、ぽかぽかとした陽気の中で幸せにアイドルをしてほしいだけなのだ。壇上でよく笑えるようになった佐藤めりに、その微笑みがふさわしい幸福なアイドルをしてほしいだけなのだ。

 

佐藤めりがこれから昇るライジングスターなのか、或いはたそがれのアイドルなのかはわからない。どちらにも成り得るだろう。

佐野友里子はたそがれのアイドルだ。たそがれゆりりん。

 

佐野友里子がついに愛乙女☆DOLLからの卒業を決意した。

アイドル稼業を始めて、途中中断期間はあれど、最初から数えれば13年目。気がつけば30にもなろうという。

アイドルの卒業などというものはいつだって嘆かれるものだが、まあ彼女の場合は大往生だろうと思う。

 

僕は佐野友里子推し、と言うにはあまりにも、彼女のアイドル人生の大半を占めた愛乙女☆DOLLでの物語を共有していない。

元々AKBでの物語も共有していたかどうか。手を付けたのが古いだけの、あまりに薄っぺらいをたくであった。推しというのも極めて烏滸がましいくらいの。

 

発表前の6月に彼女に会った際、「推すなら今だよ」とささやかれた。

そして、こんなに長くやって、今かい、そう聞くと、笑っていた。

 

7月、大切なお知らせがあるからライブに来て、と運営ともども言っていて。

かつて何年も前に彼女がこのセリフを使った際には、確かリーダー就任のお知らせで、ずっこけた覚えがあったが、今回は誰もがそうだったであろうが、僕も確信をもって足を運び、そして予告された卒業の宣言を聞いた。

その日の特典会、僕の番になって、彼女のところに行き、ビニール越しに相見え、そろってスタッフの構えるチェキカメラのほうを向いて、二、三言交わした後、彼女は軽くうつむいて、ささやくように「推すなら今だよ」と告げた。だからそう言ったでしょうとでも、言うように。にやりと笑ったように見えたが、そう僕が感じていただけかもしれない。

6月のあの日、もう決めていたのだと聞いた。

ああ、この人はしっかりと客と向き合う地下アイドルをやってきたんだな、地下アイドルにまみれてきたんだな、そう思った。そしてその一端をこの薄っぺらいをたくに見せてもらえることに幸せを感じた。凄みも感じた。思い出すと、少し鳥肌が立つ。

 

それからも僕はたいしてエンジンもかからない。ただ、かからないなりに彼女を見ることが少しは増えた。

彼女はアイドルをしている。僕にもアイドルをしっかりしてくれる。1年に1回は寂しかったよ、ずっと大好き、ちゃんとそばにいてね、「やっと推しになれたあ、笑」

彼女は彼女なりのアイドルをし尽して卒業するだろう。zeppでやりたいから来春まで卒業を延ばします。何をしたって勿論許される。何年やって来たと思っているんだ。

僕も彼女からアイドルを最後に学んで、さようならをしようと思う。そしてそのたそがれに何を見せてくれるのか、楽しみにしている。

 

サーキットイベントで佐藤めりを見て、特典会に行って、軽く酒を呑んで、ちょうどいい時間にいたから海老原天、On the treat Super Seasonを見た。

謝々謝、楠りさ。恵まれていたとは思わない。才能があふれて止まらないタイプとも思わない。ただ、彼女は彼女なりのやり方で、身を削り、頭を捻り、心の底からいつも叫んで、生き急いで、ボロボロになって二度アイドルになり、二度アイドルを終えた。幸いにして、二度とも終わりを撮影させてもいただけた。

 

またアイドルをするのか?わからない。二度目の終わり、そう口では言いながら、燃え尽きない炎を、裏で出す舌を隠しきれてはいなかった。

すぐに次の活動がコールされ、彼女は海老原天となった。おすしハードコア。なんのこっちゃ。

ご挨拶と思っただけだ、お手並み拝見と思っただけだ、彼女は流行りそうな音に乗って、客の熱量にあてられて、楽しそうに壇上に居た。

アイドルになるにゃ、のし上がるにゃ、頭を使うんだ。そして心だ。あの4グループの中で一番今、客を集めているのが彼女なのは皮肉な話でもあるだろう。彼女とて当然さとも言うまい。しかし今の一番は彼女なのだ。

 

見たいものを見て、経由して行った特典会は彼女に長蛇の列が出来ていて、危うく時間切れになる寸前だった。

なんとか最後の一人となり、言葉を交わし。大した話もしない。ただ、のし上がってんじゃねえか、と言い、上中下、ステップアップした、今は上だと言われたくらいだ。楽しそうにしていた。

アイドルをやる限りは自らを燃やし尽くすように過ごしながら、それでいてまた冷静に次を見据えるのだろう。上がり切るところまで上がり切るのならそれはそれで楽しい。僕がかかわったものはすべからく昇って行ってほしい。

 

燃え上がる炎を持っているアイドルが好きだし、それが言語化できるアイドルは見ていて楽しい。

そのような観点から、蒼波ユウには期待をしている。くじけずにまっすぐ育って、太陽のようにアイドルをしてほしい。

一生懸命やることだろう、熱くやることだろう。それが原点だろう。一生懸命できないアイドルはつまらない。それが伝わらないアイドルは見ていて楽しくない。

僕がかつて見ていたのはまだひろしまMAPLE★Sだったのか、MAPLEZだったのか。今のコロナ禍の現場と昔を比べるものではないと思うが、あの頃見ていたのは一つに固まった熱気だった。ほとばしる熱さだった。

そんなにステージが熱かったのかどうかはわからない、僕はそんなに熱心な客でもなかったからあの頃の壇上の出来などわかりはしないが、とにかく熱を発してほしいなと思う、その熱にほだされたいなと思う。こちらの心を動かしてほしいなと思う。

 

2021年の秋だ。