月は出ているかと聞いている!

 

今年の夏も復活の狼煙を上げた。振り出しに戻ったのか?そうかもしれないし、そうでないと言い切ることもできるだろう。

 

望月さあやさん、21歳のお誕生日、おめでとうございます。

 

ASTROMATE解散後、束の間のまさしく夏休みを経て、流行病に潰された春のリベンジをすると高らかに宣言して各種SNSも復活させ、表舞台に戻ってきたのが、昨年の夏。

その後、リベンジの舞台ともなった、たやのりょう一座の舞台に二度出演(「怪盗ドラゴンカンパニーVol.1『イサヤ島の王女と神の右腕』」、「あゝ涙乃橋商店街」)。舞台女優としてのキャリアを積んでいくのか、そうも思われたが、特段そう思い切ったものでもないらしい。

 

ASTROMATE時代の振付師で、師と慕う槙田紗子が自身でプロデュースするアイドル、そのオーディションに応募。

これもアイドルがしたいというよりは、昨年11月に行われた、これも槙田紗子が手掛けるアイドルフェスである「サコフェス」を見て、もう一度師の下でアイドルがしたい、今度こそ自らの思うとおりに存分に努力して、歌とダンスを極めたい、思い描くアイドルになりたい、…すべて直接もっちゃんが発言した内容ではないが、概ね合っているだろう、そんな具合で、またアイドルを志した。

そして見事に最終選考まで勝ち残り、実に見事に落選した。絵に描いたように残酷に落胆し、涙を流した。

その過程については当ブログでも数回、飽きるほどに書いてきた。

 

この件については思うことがおそらくこの世で一番、僕にこそ有り余るほどにあったが、もはや語るべきでもない。

僕のブログだから僕についても触れるが、つまりもしこれをお読みいただいている方がいればその方にはどうでもいい話なのだが、僕の一推し、もっとも推しに一も二もあるかという気もするし、よくわからぬのだが、僕の推しというものにもコペルニクス的転回があった。しかしやはりもはや僕にとってもどうでもいい。

 

追い打ちをかけるように、前述のとおり昨春流れた舞台の真のリベンジ公演、同一演目、たやのりょう一座「飛龍伝」もまた流行病のせいで中止となった。二度目の中止である。

さて、この先どうサイコロを振るのか。神はサイコロを振らない。自ら動かねば何も起きない。そういう意味の諺ではない。まあとにかく、しかしどう振ったものか。

おおよそそんな一年だ。記念すべき20歳の一年だ。

有名になりたい、とのたまっている。それが望月さあやの現状である。

 

誰が良くて誰が悪い、そんなものではない。全く仕方のないことだ、しかしもっちゃんの中でアイドルという選択肢が果てしなく薄れたのもまた事実だろう。

元より、死にたいくらいアイドルに憧れた人生でもなかった。ももクロの熱烈なファンではあるが、自身がどうしてもアイドルになりたい、自分の将来はアイドル以外ないという人間でもない。一つの手段としてアイドルを選び取り、そしてなった、言ってしまえばそれだけのはずだ。

そしてそれはある種の満足、自分の望むように歌い踊れたものではあったが、同時に不満、というよりアイドルとはこのようなものではない、これはアイドルなのか、これがアイドルなのか、そうか、これは「アイドル」と名の付くものであったか、そのような最終的には諦めを抱かせるものでもあったはずだ。

もっちゃんにとってはアイドルはももクロである。その視点からして彼女はアイドルであったか。

 

その諦めはどこかで燃えきらず燻る残りの灰となり、それをどこかで完全に燃やし尽くす、或いは堂々と赤々と燃やすことのできる、全身全霊を込めて燃やすことができる、そんな場所をどこかで微かに求める、そんなところもあったのだろう。アイドルに未練が残ってしまった。やり切りたい。

そんな微かな思いが粉々になった、つまりアイドルとして粉々になった、それがこの1年、あのオーディションではなかったか。

アイドルなら何でもよかったわけではない。もっちゃんのストライクゾーンは相当に狭い。ブリブリのアイドルなんかになりたくない。心底共感したアイドルになりたかった、自らが惚れこんだアイドルになりたかった、没頭したかった、その望みが絶たれた、そんな今年の上半期だ。

勿論、ただの妄想である。

 

元よりつながりのあった、たやのりょう一座の作品には出る予定とはなったが、それにしてもほぼそれで最後というか、何もかも終えて別の世界へと旅立つ、そんな選択をしてもおかしくない、恐ろしいほどの傷を負ったろう、果たして立ち上がれるものか。

オーディション直後の勇ましい、私はまた立ち上がる、そのような宣言を目にしながらも、僕はそう思っていた。

気まぐれにこの夏の昼にtiktokで配信していた際も、その時の自分を否定したくなった、壊したくなった、そんなニュアンスの話をしていた。すべてを否定して自棄になったとしても、誰が責められよう。

どうなっても致し方ない、若いもっちゃんなら、今なら何にでもなれる、この世界で傷ついていばらの道を行くこともない、どのような空にも今なら羽ばたける。

 

 

どうもとてつもない人気の、チケットが取りにくい程度には人気の、舞台らしい。そんな作品に出る、そうかましてきた。

(なお、チケット先行販売は12日まで。詳細は上記リンク先ご参照)

 

良いお知らせが出来るかもしれない、夏にそう言っていた。

正直、たとえばおめかしをして友人に撮ってもらったのが出るとか、そういう、良い知らせは良い知らせだが、それだけ、そのような類のものだと思っていた。

 

もっちゃんが東京に進出してきてから初の、師匠の縁もあってなのか立ってきたたやのりょう一座、それ以外の舞台。

いったいどのようにして今回の出演を勝ち取ったのかは知らないが、小さな一歩にしろ大きな一歩にしろ、確かな価値のある一歩であることは疑いようもない。

 

早崎友理、本田夏実は早々にこの舞台から退いた。

燃え尽きるにはあまりに期間の短かった、むしろうまく燃える前に火を消されてしまった佐藤はんなは、小休止後にハンナとなり、やがて再び挿入された小休止を経て、佐藤めりとなってこの舞台に戻り、しかし猛烈な苦闘を繰り広げながらゆっくりと覚醒し始めている。良く笑うようになった。

結川まひろは朝比奈真尋となり、こちらは傍目から見ればだいぶ良い風を捕まえているようにも思うのだが、どうなのだろう、僕にはわからない。ただ、前よりは柔らかく、アイドルになったように思う。

そして盆前に柚木音々が小坂ねねとなり、突然復活したいと名乗り出て、盆は過ぎたというのに、つい先日、再びアイドルへと返り咲いた。幾分かほっそりした、そして変わらぬ大きく真ん丸な目、真っすぐで嘘のない語り口。今年も秋開催となったTIFで、再び大海原に漕ぎ出す。

 

同じ舞台に戻れなかった望月さあや、同じ舞台に戻らない望月さあや。しかしまたそのうち戻るかもしれない、もう戻らないかもしれない、アイドル望月さあやは二度と見られないかもしれない、そんなことは誰にもわからない。

しかし望月さあやは我々の眼前にまた帰ってくる。元々の出自を考えれば、こちらこそもっちゃんが歩むべき道かもしれないのだ。

粉々にされても立ち上がる、まだまだ私はやれる、ここから私は昇っていく、そんな高らかな宣言、ド派手な狼煙を上げて。

 

こう粉々にされては、もはや自ら道を切り拓いていくしかない。たのみの切り札ももはやあるかどうか、今はフリーで後ろ盾もない、だからこそ無限の自由がある、好きなようにこの荒野を切り拓いていく自由がある。

切り拓いていってほしいし、切り拓ける人だと確信している。祈りでもある。

 

満月が地平線に沈んで朝になったのなら、今度こそヲタクというものを辞めてやろう。

そんなことを今は思っているが、プロレスラーとヲタクの引退は信じてはいけない。

もういいだろう、止めを刺してくれよ、そう願っている。その止めが年内か、1年後か、3年後か、10年後か、はたまたもっともっと先か。そんなことはわかりやしない。

ただ、そうやって人生の一季節の終わりを託したい、そう思ってはいる。最後にして僕の推しの最高傑作と思っている。こんなところで終わるわけがないだろうと言い続ける。

最後まで推すだの、下らぬことを言って、趣味に関しての自らをずっと縛りたくないと思ってやってきたが、少しくらいは自らを縛ってよかろうとも思う。もっちゃんのことは最後まで見ようと思う。見届けようと思う。

 

「助かるにしろ、助からぬにしろ、兎に角、自分は此人を離れず、何所までも此人に随いていくのだ」
(志賀直哉『暗夜行路』)

 

月はまだ出ているのだ。決して沈みなどしない。欠けることのない大きな大きな満月が、これから空高く昇っていくのだ。