槙田紗子が景気の良いアドバルーンを打ち上げ続けている。

アイドルを肯定するのだと叫び続けている。

槙田紗子を見続けてきた者としては、その叫びを語らねばなるまい。10年後にほおばることのできた果実を貪り食い、語らねばなるない。

 

 

始まりに際し、むちゃくちゃ饒舌だ。

しかし昨年末に開かれたイベントで彼女自身が語っていたこととも重なるし、アイドルでなくなってから語ってきたこと、さらにはアイドルだったころに語ってきたことからも、ブレていることがない。いや、どうだろうね。僕がそう思い込んでいるだけかもしれない。

 

かつては、未熟なこともあった。それはだれもが当たり前だろう。

病むこともあった。支離滅裂に思うこともあった。僕も幾度も批判した。彼女の前で、彼女のいないところで。

批判することありきでなく、ただ思うことをままに言っていただけ(逆に称えるときは大いに称えたし、称えた方が多かったとは思うのだが)なのだが、それを許容?してくれていた彼女については、ありがたいと思う。

それでも壇上に対して真面目な人だということは心の底から信じていた。ヲタクが推すにあたってそんなことを言うのもお笑い草なのだが、彼女を推すにあたって、ある種のプライドをもって対峙していた。そう信じることができなくなったら、彼女を推すことは止めようと思っていた。

それは昔話だ。

 

しかしまずは、アイドルとして推していた彼女が、自身のアイドル時代を肯定的に捉え、そして(自身と同じように)アイドルである自分を肯定してほしい、というコンセプトをおっ立てて、自身の夢であったアイドルグループの設立を高らかに宣言している、このことはあの頃を潜り抜けてきた僕たちが何よりも喜ぶべきものであると思う。

率直に言おう、大変に嬉しい。彼女がここまで高らかにアイドル賛歌をうたっていることが。

 

彼女に、あの頃の彼女を少しでも肯定してほしかった。アイドルをやってよかったと、少しでも思ってくれたらよかったと、まさにあの頃願っていたのだ。

大ラスなどは、そのためにできることは何でもやったつもりだった。あの時以上の高揚も、満足感も、燃え尽きた感もその後はない。

そしてその5年後に得られたのがこの結果、これを喜びと言わずして何を言おうか、という心境である。

 

そんな彼女の渾身の一撃、サコプロジェクトについては、上記インタビューにて実に饒舌に語られている。詳しくはリンク先を参照されたいが、ここから僕があげておきたいのは以下の点あたりになるだろうか。

 

アイドル自身がアイドルという職業を肯定できるグループ、というのがコンセプト

・歌、ダンスが第一、パフォーマンスに拘る、ただし一番大事なのはそれらの力より「努力できること」

・パフォーマンスの強さを前面に押し出すのでなく、可愛くて強いことが必要

・アイドルにとって女性のスタッフがいると安心する、審査員はみな独立した女性、アイドルを経てこうなりたいという指標にしてほしい

・デビューは11月、その後は1年後にはO-WEST、2年後にはツアー、3年後にはフェスへの出演とアジア圏でライブをやる

・気持ちが一番大事。一生懸命真面目に取り組める環境を作る

 

アイドルを肯定してくれることに対する喜び、というのは前述の通りだが、その他、特に標榜するアイドル像については、意外なところは何もない。彼女がアイドルを作るのであれば当然にこういう人物像、グループ像になるだろう、という感想だ。

元々東方神起あたりより入り、PASSPO時代の恩師・竹中夏海の影響を受けてハロプロに目覚め、まあそんなような経歴だったと記憶している(違うかもしれない)。何はともあれ、ハロの子なのだ。特に、世間的には娘。が下火となり、パフォーマンス力が注目されたころの、ハロの子。

振付師としてはハロのグループに振付をするのが一つの到達点だろうし、グループを作るのであればハロのようなグループを作る、というのが当然の帰結だ。

 

それらの理想と、現実的に「売れるグループ」にすること、そのあたりのバランス(この2つは必ずしも相反するものではないだろうが、完全に重なるものでもないだろう。また、売れるための手段はごまんとあるだろう)をどうとっていくか、要は理想を求めながら、所属するアイドルを持続的に幸せにしていくためにどう舵を切っていくか、そこは彼女の腕の見せ所だ。

 

彼女自身がアイドルをやっていたPASSPOは、いわゆるアイドル戦国時代を形作ったグループの一つで、ここ10年以上続いてきた地下アイドルグループの嚆矢、その中でも大成功とは言わないが比較的成功したグループの一つだろう。

つまり、彼女自身、所属時代に山あり谷あり、必ずしも順風満帆だったわけではないが、現代地下アイドルからすればそれでも相当に恵まれていた方だったろう。

 

その後、だいたいはそのPASSPOより小規模、要は売れていないアイドルに振付をしてきた。

彼女自身が元々PASSPOについて、自らの境遇について、恵まれていたと感じていたのかそうでないのか、それはわからない。しかし、その後様々なアイドルを見てきて、その認識も変わるところがあったのではないか。

つまりは、アイドルの本分でないことを多くやっている、思うように存分に努力ができない、そもそもそれ以前にアイドルとして体を成していると言えるのかわからないアイドル、まともに運営できない運営、そのようなものを見てきたのではないか。

 

だからこそ、上記のようなアイドルを私が作る、ということをまず募集段階で宣言したのではないか。

当たり前に、必死に努力してアイドルができる環境を作る、本来の「アイドル」を作る、と。そのようにしてできた「アイドル」は、黒歴史になるわけもなく、アイドルを終えた後の人生の中でも、必ず自身にとって宝物となるはずだ、そうでなければ「アイドル」ではないだろう、と。

 

勿論、そのうえで、どのようなビジュアルの性格の人を、どのような楽曲、どのような衣装で表舞台に出すのか、そしてその人たちの歌声、ダンス、パフォーマンス、それらには多分に作る側、演じる側、見る側の趣味というところがある。

実に多様な分野、要素がアイドルという一点に収斂していく、「アイドル」という括りで実に多くの異種格闘技戦が見られる、それがアイドルだと思うし、彼女が作るアイドルと僕が好むアイドルは完全に一致はしないだろうし、僕が彼女が作ったアイドルを追いかけるかもわからない。

それでも、今のところのアドバルーンについては、僕は完全同意だ。彼女を肯定する。

 

ここまで言うからには、有言実行してくれるのだろうねと、ニヤニヤしている。酷い体たらく(不可抗力であれば仕方ないが、それ以外の不作為、ゆるみなどによるもの)であれば、盛大に文句を言うのだろうなと、そんな準備も出来ている。

とにかく期待している。

 

その前提をもって、僕としては、望月さあやにサコプロジェクトを受けてほしいと思っている。本気で思っている。

決してもっちゃんには直接は伝えない。もっちゃんはこの駄文を見るかもしれないが、直接告げることはしない。

ただ、もっちゃんがアイドルをもう一度やる可能性があるのなら、ここで受けてほしい。

そして望月さあやは槙田紗子と心中してほしい。槙田紗子の理想と心中してほしい。

万難を排した理想の、思う存分努力のできる環境を作る、そう宣言している恩師と心中してほしい。

 

勿論アイドルをやらないのなら、それでよい。受ける必要などない。

他のアイドルを受けるくらいならサコプロジェクトを受けてほしい。

それは僕の勝手な思いだ。推しが作り上げる理想の環境下で、推しが全力で努力し、素晴らしいものを見せる。混じりっ気のない渾身の作品を。

しかし槙田紗子が有言実行するなら、それは僕が知っている望月さあやがアイドルをやるとすれば、間違いなくそれにあたり理想の環境であるはずなのだ。僕はそう確信している、だからアイドルをやる気があるのなら、受けてほしいのだ。

勿論、受けて受からないかもしれない。それならそれでいい。そういうこともあるだろう。それはまた運命だ。

 

半端なものを受け、アイドルになってほしいだなどと思わない。そんなアイドルになどならないでほしい。

望月さあやにサコプロジェクトを受けてほしいと思うくらいには、僕はサコプロジェクトに期待している。つまりはそういうことだ。

アイドルはもっと幸福であったはずだ。元始、アイドルは太陽であった。その太陽を取り戻す。そう宣言している槙田紗子に、サコプロジェクトに期待している。

さて、今年も槙田紗子で楽しめそうだ。そう強く思う1月である。