今でも国語の教科書に入っているのだろうか。 僕が使った教科書には入っていなかった。
村上春樹、バースデイ・ガール。

読んだことはない。11月10日だなと思って、なんか書きたいなと思って、タイトルをどうしようと思って、浮かんで、検索して、あらすじだけ読んだ。
特にそのあらすじに当記事の内容を重ねるつもりもない。

彼女の願い事だって、叶うのはまだまだ先だろう。

「私は仕事をしていなければ何の価値もない人間で、
とかく私はしっかりしてる、頭が良い、そんな感じで言われることがあるのだけれど、
それはみんなにそう見せかけているだけで、本当はそんなものではなくて、
だから、そんな私を見に来てくれる、応援してくれる人がいる、それは奇跡だと思っている、
そんな私が出来ることは、PASSPO☆に居る間は死ぬ気でやることだと思っている」

去年の生誕、彼女がこんなことを言ったという、僕のブログに残ったメモ。
こんなことを言ったときにはもう決心していたんだろう。
そう思うと苦しくもなる。
綺麗に死ぬことはできたのだろうか。
そんな君を見に行く、応援している、奇跡はけっこうたくさん起きていたのだと、何度も伝えたつもりだが、伝わっていたのだろうか。

すべては過ぎて行ったことで。

ネットで連載2本、たまにスポットでライター業、サンミニのダンス指導、振り付け、作詞、あとは、ダンスを習って、まれにギターも弾き、普通の大学生をして、酔っ払って、好きなように過ごして。
槙田紗子、22歳の誕生日。

PASSPO☆から解放された彼女について、語ることはあまりない。
彼女の作品に対し真摯に向き合おうとすることはあっても、彼女自身と真剣に語り合ったりすることもないし、彼女自身に対しどうこう思うことはない。
一挙手一投足を見逃すまいとする緊張感はもうない。
もっともっとロングスパンで見守るべき段階で。

おめでとう22歳。
死にそうになりながら傷つきながらそれでも生きてるじゃない元気に生きてるじゃない22歳。
生きてるだけでまるもうけと誰が言ったか、もうほんと生きてりゃそれでいいというか、それ以上に求めるものもないというか。

その冷徹な観察力、自らには決して向けられないその力を生かすのは、確かに裏方のほうがいいのかもしれないし。
卒業でなく活動休止の理由など知る由もないけれど帰ってこないことだけはわかっているし。
せいぜい僕は彼女の思い出と彼女の今の仕事の間で揺れ動いて遊ばれながら時を過ごすさ。そのうちに彼女から離れてしまえばそれまでさ、地雷を踏んだら、サヨウナラ!

そんな具合の気楽さで、彼女も日々を過ごせていたらいいなあと、それだけは思う、11月10日。

そんな貴女が好きだった人はけっこういたのだよと、貴女もそんな捨てたもんでもないのだよと、変に驕られても困るけれど、少しは自信も持って、日々、すごしてくれれば、あとは若いんだし、とんがっててもいいと思う。
そのうちに大人になって行けばいいんだと思う。
そんなことだけ、たまには思い出してくれれば、黄緑色のサイリウムで埋め尽くした意味も少しはあるのかなと思う。

ボクシングWBA世界スーパーフェザー級スーパー王者の内山高志さんは早くラスベガスでの試合が決まってくれればと思う。
埼玉西武ライオンズの背番号35、サブマリンエース牧田和久さんは来年こそ会心の1年になればいいなと思う。
お誕生日おめでとうございます。

槙田紗子さん、22歳の誕生日、おめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりました。新しい1年も飽きるまでは勝手に見続けていくつもりなんで、どうぞよろしくお願いします。
勝手に見るだけだから、こっちのことなんて放っておいてくれていいのだけれど、って言わなくても放っておいてくれるだろうけれど。

「きみの人生が実りのある豊かなものであるように。なにものもそこに暗い影を落とすことのないように」