これまで生きてきた中で、「忘れられない言葉」がある。
「忘れられない」というのは、「教訓」とか「感動した」というよりも、私的には「引っかかる言葉」というイメージだ。
ある夏の暑い日、叔父さんと甲子園をテレビ中継で見ていた。
甲子園が始まると夏が始まったような感じでワクワクしながら見ている。
甲子園で負けた選手のインタビューを見ているときにその叔父さんが「努力って美談にされやすいけど、努力してもだめなときは周りの人たちが教えてあげるべきだよね」って言っていた。当時の私は、「すごい冷めたこと言うなぁ」と少し冷ややかな目で見ていたが、その言葉を聞いてからずっと頭から離れない。

私はこれまで小学校1年生から大学4年生までバスケットボールをずっと続けてきた。
小学校6年生、中学校3年生には全国大会出場、高校では全国大会ベスト16、大学でもインカレ(要するに全国大会)に出場するなど、バスケットボール一色の学生時代だったことは間違いない。小学校では試合にフル出場していたものの、中学校2年生のときから選手として伸び悩み、中学3年生のころは副キャプテンをしていたが、ベンチメンバーで試合に出場する機会が減っていた。だが、当時の監督からの勧めもあって高校生からはマネージャーとしてバスケットに関わるようになり、大学もマネージャー兼トレーナーのような形でバスケット部に所属させてもらっていた。

小学校から大学までバスケットを続けていたが、この叔父さんの言葉を借りるなら、「中学校で努力しても試合に出れなかったんだから、大学までバスケットを続ける意味ってあったんかなぁ」とも思う(笑)
そんなこと言ったら、これまでの私を否定することになるかもだけど、周りの大人で誰か1人でもいいから「バスケットだけじゃなくて、こんな選択肢もあるよ」って教えてくれたらなぁって思うよね。
特にたっかい大学の授業料まで払って「努力すれば願いが叶う!!」と信じ込んでバスケットを続けていたけど、いざ大学生活が終わると「あれ?私これからどうしたらいいの?」って。残されたのはこれから月々返済していかないといけない奨学金と、「今まで努力したらどうにかなる」と思い込んでいた現実とのギャップだけ。

「あぁ叔父さん、今ならその言葉にとても共感するよ。もっと早くに叔父さんと出会っていたかったし、もっと早くにその言葉を頂きたかった。。。」

そんなことを頭で考えながら、今日はお風呂掃除を頑張りました。