母親は「卵巣がん患者」...⁉︎ | 卵巣がんになった`zaki‘の空間遊泳

卵巣がんになった`zaki‘の空間遊泳

2006年秋「悪性卵巣腫瘍の疑い」と告げられ、治療→再発転移を幾度も繰り返す。
◆受けた治療:手術4回・化学療法5ライン・放射線1回・がんカテーテル治療15回
◆現在: リムパーザ錠服用中
♫ 卵巣がんと長~くお付き合いしている、現役患者です。



10年前のちょうど今頃は、微熱が続いてていたり・術前検査で[要再検査]で急遽病院から呼び出しされたり...と通院に忙しい日々を送ってました。

自分の職場か?って錯覚する程の出現率でしたので

この頃からある程度の覚悟は始めていましたが、私ざきは

《 一般的なお母さん方と、子供の対する考えが違う...カモ》

と感じて始めていました。

もちろん『この子達を置いて死ぬわけにはいかない

「私がいなくなったら、この子たちはどうなっちゃうの

との不安感はもくもくと湧き上がって、抑えようとしてもムリでした。

が、私はバッサリと妥協点を見つけた様に思います。
(術後、そのまま化学療法突入したので...緊迫感が強かったのです。)

自分で整理してみたトコロ、

娘壱号が誕生の時に、すでに準備の前段階を踏んでいた様です。
と勝手に決めました。

本日はこの〈 誕生秘話〉のお話です。

お付き合い下さい。

...娘壱号へ。
先に謝っておくね、ゴメンこんな母で

カナヘイキャンティ199×年12月22日に「ざきの子壱号」生まれました。

寒かった雪のチラつく日でした。

お隣の国で産んだので、特に誰がお見舞いに来るでもなくノンビリ〜っとベットで寝てました。

日本からわざわざ来る家族もいません。

だって年末ですから忙しいのです

ソコは大きな大学病院。
当時『完全母子別』で、『産母は、とにかく寝てろ。今だけだからたくさん寝とけ』みたいだった記憶があります。

一度も子どもに会いませんで、寝とりました

子の父は、赤ちゃんが生まれて別室にて手続きしたら「もうする事ないし、年末で忙しいから」とっサッサと帰社してましたしネww

午前10:30頃産んだので、午後出社にはちょうど良い時間になっていたのです。

年末ですから忙しいのです

こんな年末・冬至の日に生まれた壱号は、退院するまでの3目日間看護師さん以外の誰からも、一度も抱っこされませんでした

ナニセ異国の地です。
仕組みがよく分かってなかったので、赤ちゃんに面会に行く方法を知らなかっただけかも知れません。

が、正直に告白します。

「子どもを産んだ事を忘たように、ゆっくりくつろいでマシタ」

3日目の朝に に気づきました。

やばっ
私今日から赤ちゃんと生活するんだった〜〜
このまま忘れて、一人で退院しそうだったじゃんかぁ。イカンいかんわ〜〜。

とアセった記憶がハッキリと有ります

忘れた自分にも呆れましたが、この時に悟ったコトも有りました。

子は、私の分身ではない
(分身なら、忘れないでしょう...きっと)

別な人間を、新しくこの世に誕生させただけ 

→ この子が成長するにあたって「親」と名の付く責任と義務があるのが私の役目なんだなぁ〜

と、本能を忘れ冷静になった瞬間があったのです。


もし今赤ちゃんと別れたら“ キレイさっぱり” 忘れてしまうワ、わ・た・し

本当に心の底から思ったんです!

この湧き上がった《子供 と 私 は別モノ》との感情は、私ががん患者となった時に

あれ?もしかして

少し違うかも、わ・た・し・の母としての気持ち

と感じた一因のように思います。

...つづく