いつの間にか月日は流れ、年表も書き足しが必要となりました。
改訂版です。
~初発~2006年
H18.07.18 下腹部痛でB大学附属病院を受診。
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→左卵巣に40×29mmの嚢腫 CA125値 31.2
H18.10.27 嚢腫が73×59mmに増大 CA125値 124に上昇
H18.11.02 MRI検査施行
卵巣癌+骨盤リンパ節転移(+)の診断となりました。
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以上がB大学病院が書いた紹介状の内容です。
ちなみに紹介状が書かれた11月17日、私は「卵巣癌+骨盤リンパ節転移(+)」のくだりを、担当医からどの様に知らされたかと言うと…
MRIの画像診断報告書の「所見」の欄を棒読みされました。
「へぇー、こんなヤブ医者が本当にいるんだ。さっさと別なところ行こ!」
と恐ろしいほど冷静に、きっぱりと「紹介状書いてください」と切り出したのでした。
そして、3年後に私は医療問題専門弁護士に相談に行ったのです。
その話は、また折々で綴ります。
そしてその紹介状を持って行ったのが、今もお世話になっているJ大学病院でした。
H18.11.20 初診。「可能なだけ早く手術しましょう」と言われました。
H19.01.10 手術。
ダグラス窩の腫瘍と直腸の癒着強固のため摘出できず
直腸前に腫瘍残存のため リンパ節は生検のみ。
CA125=80
病理結果;漿液性嚢胞腺癌 stageⅠa
リンパ節廓清未施行、不完全なstagingのため術後TC④回施行方針
H19.01.19 TC①施行 『プラチナ製剤、1ライン目』
H19.02.16 1クール終了後、CA125=11に下がる が、TC②と継続施行
H19.03.13 TC③施行
H19.04.05 TC④施行
>この4月、長女;中3/次女:小6になる
~再発(1)~2008年
H20.01月 CA125上昇傾向
02月 CT;肝臓S6に転移性病変出現 PET;異常集積は肝転移巣のみ
>2月~3月 長女;高校入試・卒業/次女:小学校卒業
H20.04.18 肝部分切除術(消化器外科にて):嫌がる消化器外科のDr.を押し倒して決行
術後化学療法をDCに変更、④回施行方針
→TCにて末梢神経麻痺が強かったため
H20.06.08 DC①施行 『プラチナ製剤、2ライン目』
好中球減少のためDC②を2週間近く延期 : CBC外来受診中、追突事故を起こしてしまう
→80%に減量して続行方針
H20.07.28 DC②施行(80%)
H20.09.02 DC③施行(80%)
H20.10.02 DC④施行(80%)
その後はCA125陰性(10±1-2)のまま経過
~再発(2)~2010年
H22.06月 CA125 36に上昇
H22.07月 CTにて確認できず、PETにてS状結腸に高度の集積
→卵巣癌の骨盤内再発と考え、積極的治療(手術→化学療法)を希望
H22.08.26 DC①施行(80%に減量) CA125=10にさがる。 『プラチナ製剤、3ライン目』
H22.10.04 手術;S状結腸10cm切除
H22.10.12 退院
H22.10.14 腸閉塞にて入院(2週間)
CA125=15に上昇
H22.11.12 DC②施行(100%で)
H22.12.09 DC③施行(100%で)
>長女;センター試験(1/15・16)
H23.01.19 DC④施行(100%で)
>2・3月 次女;高校入試
3月11日 東日本大震災
4月 大学・高校入学式
~再発(3)~2012年
H24.02月 CA125 30に上昇
H24.03月 CT検査;確認できず
H24.04. PET検査;左リンパ節付近に集積
→骨盤内再発と考え、手術の方針。
手術前にDC①施行予定であったが、
H24.04.09 エコー検査にて、腫瘍部分を確認。小腸からの可能性も疑われる。
→本人の意向により、DC①施行は術後にする事にした。
H24,05.21 手術;小腸10cm・大腸5cm・リンパ結節切除
H24.06.02 腸狭窄のため、激しい腹痛。回復するまで退院延期
術後CA125 12
→体力的問題もあるため、QOLを重視し「化学療法は次回再発時にお願いします」
で、今に至っております。
現在長女は大学2年、次女は高校2年です。
今は、いつか来るであろう「~(4)~が来る日」が‘1日でも長い未来でありますように‘と祈っているだけです。
(H24.09.22 投稿)
…この間、24か月間ずっとマーカ値の異常もなく暮らしておりました… 主治医も2年間、どこかに外勤になっていたそうです。
>長女;25.7~まさかの留学へ
>次女;26.4~花の女子大学生に
~ 再発(4)~が来た日 2014年
H26.03月 CA125 18に上昇
H26.04月 CTにて左腰・膀胱に近いリンパ節に影。 主治医帰還。4月から診察開始。
他部位の転移の有無を確認するためPET検査。
H26.05月 PET検査でも一か所のみであることが確認され、放射線治療に決定
→化学療法は、最後まで取っておきたい一心です。QOLは継続的に低下。
H26.05.26日入院
少し弱い放射線量で1日2回、週5回の治療実施。
H26.06.27日 退院
H26.08月 CT検査
>長女;08月留学から戻る
H26.09月 CT検査の結果、がんは見当たらず。
マーカー値 =9
4度目の再発治療終了いたしました。
>長女;海外の院に自立進学希望!ついでに卒業も秋に延期…
~再発(5)~ 2015年 ただいま、治療中です
H26.12月 マーカー値が微妙に上昇傾向
H27,01月 CA125 = 26
H27.02月 CT検査にて、複数の腫瘍が確認
→化学療法しか選択肢がないため「何の薬を使うのか」の選択で悩む
全身状態(PS)=3 であることから、単剤治療を勧められるが、
「無理をしてでも、叩きたいです!」と2剤を希望宣言。
.02.17日 エコーにて腫瘍が確認(約2cm、腹水8㏄を認めた)
.02.20日 S字結腸の腫瘍が‘卵巣がんの再発か、大腸がんの原発か‘内視鏡確認検査‘
→以前も見たことのある‘がん細胞を発見‘= 卵巣がん再発も確認
CA125 = 47
H27.02.21 TC療法(80%)①施行 『プラチナ製剤、4ライン目』
※ドタキセルは、痺れは少ないのですが<白血球数減少>が強いことと、
万が一「もう大量にお薬入れられません…」となった時にWeekly投与に変更可能なため選択の余地がありません。
~6クール予定で、現在1クール終了。すでに白血球足らず、治療延期 トホホ…
が、 CA125 = 14 と、良いスタートしました
粘れるだけ、粘ります。
(H27.3.21日 投稿)
現在の実現したい夢 → ① 2年後くらいまでにはヨーロッパ旅行に(良い席の飛行機で)
→ ② 2020年の東京オリンピックを、この目で見る!
上の2項目は自身で解決できそうですが
→ 二人の娘が、それぞれ良い伴侶を見つけて孫を見せてくれる事
という夢は、全く予想が付きません…。まだ大学生ですので、仕方ないですね(笑)
次の改訂版は5回目の治療が無事終わったら書き加えます