私のガン歴史年表  2015年版(H27年) | 卵巣がんになった`zaki‘の空間遊泳

卵巣がんになった`zaki‘の空間遊泳

2006年秋「悪性卵巣腫瘍の疑い」と告げられ、治療→再発転移を幾度も繰り返す。
◆受けた治療:手術4回・化学療法5ライン・放射線1回・がんカテーテル治療15回
◆現在: リムパーザ錠服用中
♫ 卵巣がんと長~くお付き合いしている、現役患者です。



いつの間にか月日は流れ、年表も書き足しが必要となりました。
改訂版です。

~初発~2006年

H18.07.18 下腹部痛でB大学附属病院を受診。

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      →左卵巣に40×29mmの嚢腫 CA125値 31.2

H18.10.27 嚢腫が73×59mmに増大 CA125値 124に上昇
  
H18.11.02 MRI検査施行

  卵巣癌+骨盤リンパ節転移(+)の診断となりました。

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   以上がB大学病院が書いた紹介状の内容です。


ちなみに紹介状が書かれた11月17日、私は「卵巣癌+骨盤リンパ節転移(+)」のくだりを、担当医からどの様に知らされたかと言うと…

MRIの画像診断報告書の「所見」の欄を棒読みされました。


「へぇー、こんなヤブ医者が本当にいるんだ。さっさと別なところ行こ!」


と恐ろしいほど冷静に、きっぱりと「紹介状書いてください」と切り出したのでした。

そして、3年後に私は医療問題専門弁護士に相談に行ったのです。

その話は、また折々で綴ります。


そしてその紹介状を持って行ったのが、今もお世話になっているJ大学病院でした。


H18.11.20 初診。「可能なだけ早く手術しましょう」と言われました。

H19.01.10 手術。

    ダグラス窩の腫瘍と直腸の癒着強固のため摘出できず
    直腸前に腫瘍残存のため リンパ節は生検のみ。
    
    CA125=80

    病理結果;漿液性嚢胞腺癌 stageⅠa

    リンパ節廓清未施行、不完全なstagingのため術後TC④回施行方針

H19.01.19 TC①施行 『プラチナ製剤、1ライン目』
H19.02.16        1クール終了後、CA125=11に下がる が、TC②と継続施行
H19.03.13 TC③施行
H19.04.05 TC④施行
         この4月、長女;中3/次女:小6になる

~再発(1)~2008年

H20.01月 CA125上昇傾向
  02月 CT;肝臓S6に転移性病変出現 PET;異常集積は肝転移巣のみ
         >2月~3月 長女;高校入試・卒業/次女:小学校卒業
H20.04.18 肝部分切除術(消化器外科にて):嫌がる消化器外科のDr.を押し倒して決行

     術後化学療法をDCに変更、④回施行方針
     →TCにて末梢神経麻痺が強かったため

H20.06.08 DC①施行 『プラチナ製剤、2ライン目』 

     好中球減少のためDC②を2週間近く延期 : CBC外来受診中、追突事故を起こしてしまう
     →80%に減量して続行方針

H20.07.28 DC②施行(80%)
H20.09.02 DC③施行(80%)
H20.10.02 DC④施行(80%)

     その後はCA125陰性(10±1-2)のまま経過

~再発(2)~2010年

H22.06月 CA125 36に上昇

H22.07月 CTにて確認できず、PETにてS状結腸に高度の集積

     →卵巣癌の骨盤内再発と考え、積極的治療(手術→化学療法)を希望

H22.08.26 DC①施行(80%に減量) CA125=10にさがる。 『プラチナ製剤、3ライン目』

H22.10.04 手術;S状結腸10cm切除

H22.10.12 退院

H22.10.14 腸閉塞にて入院(2週間)

      CA125=15に上昇

H22.11.12 DC②施行(100%で)
H22.12.09 DC③施行(100%で)
            >長女;センター試験(1/15・16)  
H23.01.19 DC④施行(100%で)
          >2・3月 次女;高校入試
            3月11日 東日本大震災
          4月  大学・高校入学式



~再発(3)~2012年

H24.02月 CA125 30に上昇
H24.03月 CT検査;確認できず

H24.04. PET検査;左リンパ節付近に集積
     
      →骨盤内再発と考え、手術の方針。

      手術前にDC①施行予定であったが、

H24.04.09 エコー検査にて、腫瘍部分を確認。小腸からの可能性も疑われる。

      →本人の意向により、DC①施行は術後にする事にした。

H24,05.21 手術;小腸10cm・大腸5cm・リンパ結節切除

H24.06.02 腸狭窄のため、激しい腹痛。回復するまで退院延期

      術後CA125 12

      →体力的問題もあるため、QOLを重視し「化学療法は次回再発時にお願いします」
  

で、今に至っております。

      現在長女は大学2年、次女は高校2年です。
   

今は、いつか来るであろう「~(4)~が来る日」が‘1日でも長い未来でありますように‘と祈っているだけです。

(H24.09.22 投稿)


…この間、24か月間ずっとマーカ値の異常もなく暮らしておりました…  主治医も2年間、どこかに外勤になっていたそうです。

            >長女;25.7~まさかの留学へ
             >次女;26.4~花の女子大学生に  


~ 再発(4)~が来た日 2014年

H26.03月 CA125 18に上昇
H26.04月 CTにて左腰・膀胱に近いリンパ節に影。 主治医帰還。4月から診察開始。

     他部位の転移の有無を確認するためPET検査。

H26.05月 PET検査でも一か所のみであることが確認され、放射線治療に決定
     →化学療法は、最後まで取っておきたい一心です。QOLは継続的に低下。

H26.05.26日入院

     少し弱い放射線量で1日2回、週5回の治療実施。

H26.06.27日  退院  

H26.08月 CT検査
            >長女;08月留学から戻る 

H26.09月 CT検査の結果、がんは見当たらず。
     マーカー値 =9  

4度目の再発治療終了いたしました。

           >長女;海外の院に自立進学希望!ついでに卒業も秋に延期…



~再発(5)~ 2015年 ただいま、治療中です

H26.12月  マーカー値が微妙に上昇傾向

H27,01月  CA125 = 26
H27.02月  CT検査にて、複数の腫瘍が確認

    →化学療法しか選択肢がないため「何の薬を使うのか」の選択で悩む
     
全身状態(PS)=3 であることから、単剤治療を勧められるが、
     「無理をしてでも、叩きたいです!」と2剤を希望宣言。

  .02.17日 エコーにて腫瘍が確認(約2cm、腹水8㏄を認めた)
  .02.20日  S字結腸の腫瘍が‘卵巣がんの再発か、大腸がんの原発か‘内視鏡確認検査‘
 
       →以前も見たことのある‘がん細胞を発見‘= 卵巣がん再発も確認

CA125 = 47

H27.02.21 TC療法(80%)①施行  『プラチナ製剤、4ライン目』
     
       ※ドタキセルは、痺れは少ないのですが<白血球数減少>が強いことと、

        万が一「もう大量にお薬入れられません…」となった時にWeekly投与に変更可能なため選択の余地がありません。

   ~6クール予定で、現在1クール終了。すでに白血球足らず、治療延期 トホホ…

が、 CA125 = 14 と、良いスタートしました

粘れるだけ、粘ります。


 (H27.3.21日  投稿)


現在の実現したい夢 → ① 2年後くらいまでにはヨーロッパ旅行に(良い席の飛行機で)
              → ② 2020年の東京オリンピックを、この目で見る!

上の2項目は自身で解決できそうですが

       → 二人の娘が、それぞれ良い伴侶を見つけて孫を見せてくれる事

という夢は、全く予想が付きません…。まだ大学生ですので、仕方ないですね(笑)

 
  次の改訂版は5回目の治療が無事終わったら書き加えます約束