「音楽は美しいだけではない」 イヴリー・ギトリス(ヴァイオリニスト) | 卵巣がんになった`zaki‘の空間遊泳

卵巣がんになった`zaki‘の空間遊泳

2006年秋「悪性卵巣腫瘍の疑い」と告げられ、治療→再発転移を幾度も繰り返す。
◆受けた治療:手術4回・化学療法5ライン・放射線1回・がんカテーテル治療15回
◆現在: リムパーザ錠服用中
♫ 卵巣がんと長~くお付き合いしている、現役患者です。


   音楽療法でRA患者の自己効力感が改善傾向を示す


神戸大学大学院の三浦靖史氏

 音楽療法によって関節リウマチ(RA)患者の自己効力感に改善傾向が見られることが示された。神戸大学大学院の三浦靖史氏らは、音楽療法がRA患者の全般的な体調、疼痛、不安などの改善に効果があることを報告してきた。今回は自己効力感に焦点を当てた解析を行い、その成果を日本リウマチ学会(JCR2014、4月24~26日、東京開催)のワークショップで発表した。

 三浦氏は、自己効力感を「ある状況において必要な行動をどれだけうまく行うことができるかという個人の確信や自己遂行感」と説明。慢性疾患においては、自己効力感が高い患者ほど自己管理能力が高く疾患の状態もよいことが報告されていると指摘した。


                          学会ダイジェスト: 第58回日本リウマチ学会 2014年4月24日~26日

                           - 日経メディカルの記事より -



本日は、かなり個人的な視線でのマニアックな内容ですので「へー、やはり‘ざき‘は変人だ」と確認していただければ充分です。

芸術・音楽についての個人的見解です。

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私は大学生のころから不思議に思っていることがありました。

「芸術家を目指すと言って大学に行っている人たちは、将来設計をどう立てているんだろう?」

 → あまりにも現実過ぎる子供でした…。そして私は「資格取るための大学」に通っているので‘一流の芸術家を目指す‘方たちの思考回路が理解できなかったのです。

しかし、何かに流されるままに薬学部に入ったように「断れないまま音楽部」に入ってしまい、何を考えていたのか忘れたくらいの動機でチェロを弾くようになりました。

勉強と同じで、出来の悪い生徒でしたがチェロを弾いて「体感する音楽」の魅力に取りつかれ、

 歌唱:体内→外(自分の声は聞こえない…ピアノに似ているかも・・・)
 弦楽器;外→体内に響く(弦と弓が擦れ、音の振動が身体に響く)

この違いに気付いたのです。

  が…、大きな楽器を持ち歩くのも大変だし、初心者がする楽器としては難しく2年ほどで汗挫折いたしました。


でも、これが私が音楽を大好きになったきっかけになったようです。

更にご縁は不思議な方向に向かい、音大生の友人が出来ることによって

「芸術とは何ぞや??」という疑問が解けないままに私の人生に付きまっとっていました。


 でも、社会に出てみればそんなこと「考える暇がない」のが現実です。

 いつの間にか「心に残った音楽だけ」を楽しむようになり、

 子供が生まれたら「お母さんといっしょ」の音楽で満足できるようになってしまいました。
 (これが結構楽しかった♡ ディズニーやマサーグースの歌もたくさん歌いましたね)


で、子供たちがピアノ教室に通うようになり「生の楽器」の音を聞くうちに

忘れかけていた「音楽とは何ぞや?」の疑問が湧いて来ました。


毎月1冊「CD+解説」がセットになっていたクラシック名曲(正確には忘れました)を購読して、音楽の背景や時代の影響などが理解できて来るようになり「楽しく」クラシック音楽を聞けるようになりました。

もうこうなると「音楽?心が躍ればいいさ。だって私、芸術家じゃないんだモン」と突き詰めなくなりました。

その頃から「好きな演奏者」が出てくるようになり、

1日の仕事を始める時には「さあて、今日は何の曲を聞きながら仕事しようか」と白衣の袖をまくりながら、頭の中では「レコードに針をのせる」イメージで‘タララン・キラキラジャーン ♪‘と音楽を流していました。

そのうちに、仕事に没頭して自然消滅していきますが…

これが私の一種のストレス解消法だったように思います。


子供が手を離れていくと、どうしても仕事に重みがかかりますので寝る前の雑念を払う為にも音楽を流して寝るようになりました。
 → 今でもこの習慣は抜けません。

大体人間は、寝る前に楽しいことを考えにくい動物のようです。(子供は違いますが)

こんなことがありまして、私は「音楽療法は効果がある」と思います。

それも「音を体感する」ことがとっても重要なことのように感じます。

うんと素晴らしいオーディオでも、演奏者から直接感じる波動とは違うような気がするからです。

子連れで演奏会を楽しめるようになってからは、映画・舞台(ミュージカルが多かった)・コンサートなどなど、暇を見つけては出かけるようにしました。

でも、高めのクラシックコンサートやオペラは‘一人こっそりS席鑑賞‘に出かけてました。きっと子供たちは、そのお金でディズニーランドに行った方が楽しいでしょうからね。

ある程度子供たちも、演奏会の良さがわかってきたようなのでここ数年間はほとんど一人で出かけます。

一応予定は聞きますが、半年以上前から席を取らないといけないので子供たちには無理です。

強い希望があるときのみになりました。

私が病気になってからは「コンサートは細胞のメンテナンス」だと思っています。

もちろん心も満たされますが、音の振動は細胞一個一個が感じてくれているような気がしてなりません。

なので、年4回くらいと自分で決めて選んでいます。


5月6日は私の大大大好きな「ヴァイオリンのお爺ちゃん」のリサイタルに行ってきました。

大変失礼ですね、世界的に有名な最高齢のヴァイオリニストをこんなふうに呼んで♥

でも、とっても親しみやすいんです。

10年くらい前にTVで小山実稚恵さんが伴奏しているのを見てびっくりして知りました。

  こんな有名なピアニストを伴奏者にしているヴァイオリニストって、誰!!

でも、一曲聞いただけで「お爺ちゃん、すっごーい恋の矢

と、耳がドキドキになりました。

 その時もすでにだいぶご高齢で…。実はもう生でお会いできることはないのでは、と思っていたのです。

 が、しかし…昨年末何気に見つけてしまいました!


             御年92歳の現役最年長ヴァイオリニスト
           イヴリー・ギトリスヴァイオリンリサイタル 2014/5/6


 
       「わぁお、まだ生きていらっしゃったのですね」

       これは行かないと…と、慌ててチケットをネット購入いたしました。


…今回のリサイタルは、強烈な人生を歩んできた真の巨匠のメッセージをダイレクトに受け取れる、まさに貴重な機会といえよう。 [文/山田治生]

と、「見どころ」に評されていたほどです。

 この日の天気は風が強く曇り気味。でも私の心はほっかほかです。

 そして、頭のてっぺんから足の先までヴァイオリンとピアノの音と振動に満たされて帰ってきました。


お元気とはいえ、歳には勝てません。足元はふらつき、弓を弾く腕の下には赤い専用の台が置いてありました。

しかししかし、本当に心にひたひたと満ちてくる満足感。

2部の演目は書かれていません。観客とお喋りしながら弾かれるのです♥


普通は舞台だけが明るくなり、客席の照明は演奏開始とともに落とされるのですが

「客席も明るくしてください。私は皆さんの顔が見えないと弾く楽しみが得られないのです」

「私は日本が大好きです。日本人の心に触れると愛を感じます」‥等


  最近は近隣諸国からの‘パッシング‘的報道が多かったせいか、「日本が好き」という言葉も久しぶりに聞いたようで…「お爺ちゃん、ありがとね~~」と心の中で‘投げっキッス‘してました。

 演奏もかなりお茶目です。わざと音をはずしたりテンポも好き放題で<バイオリンで鼻歌を唄う>ようながんじをうけます。

 伴奏のピアニストの方は大変でしょうね。私が見ただけでも、様子を伺いながら弾かれているのがわかりました。


ピアニストは「ヴァハン・マルディロシアン氏」

『ロシアンなのにアルメニア人』だそうで、私は心の中で…名前と地名は関係ないのだろうか(笑)??と、突っ込みを入れていました。失礼しました
 

 そしてこのピアニストの方、まめまめしくお爺ちゃん先生のお世話もするんです。

 マイクのスイッチを入れて音を確認して先生に手渡したり・しまったり

 途中では、演奏していた椅子の場所(ご高齢ですので、1楽章だけ立って弾かれましたが基本は椅子と肘置台を使われます)を変えたくなったようです。

 マルディロシアンさんを使って、好みの場所に椅子と譜面台さらには肘置台を動かし始めました。

たぶんピアニストの方も、むしろ喜んでお爺ちゃん先生のお世話をしていたような感じです。

 
 「もっとそっちにね」(らしきこと)なんて、一言でいえば‘アゴでピアニストを使って‘ました(笑) 
 →でも、この姿もまた微笑ましい光景なのです。

 お気に入りの場所に座ってマイクを持って(いえ、持ってこさせて)笑いながら

 「彼がうーんと小さいころ、私はもう40歳を超えてましたからね。」とフォローされて、観客の私たちを笑わせて…


 これほどまでに、頬が緩みっぱなしのリサイタルはそうそうお目にかかれるものではありません。


 音色の素晴らしさだけでなく、人間性からにじみ出る重厚感とでもいうのでしょうか?


 3・11の大震災から一ヶ月で石巻にてリサイタルを開催した、という事でも有名です。

 私が勝手に「お爺ちゃん先生」なんて書いていますが、ヴァイオリンを弾かれている人たちが見たら「この不届きもの!バチが当たるぞ!」と叱られそうなくらいです。


 今回のパンフレットには「ギトリス語録」が掲載されていました。

 ・音楽は息をするのと同じ
 ・どうして震災1か月後に日本に来たのか
 ・被災者の前で弾けるのか
 ・音楽は美しいだけではない
 


 この4項目でしたが、特に私の心に残ったのは最後の項目でした。


…誤解しないで下さい。私は憐憫とか憐みで日本に来ているのではありません。
 
 私にとってここに来る必要があるから来ている、それだけなのです。
 
 私たちは幻想に満ちた世界に生きています。
 
 全ては素晴らしいように見えますが、実はそうではありません。
 
 音楽も常に美しいだけではありません。
 
 美しい響きを追及するのではなく、強烈な表現を追求することなのだと理解しなければ。
 
 ときには美しくなくても、それが強さなのです     
                       
    -中略ー


 少年時代フォイルズ書店に行ってクライスラーが弾く録音を聴きました。

 すると、一音だけ、全く音が外れていたのです。

 でも、外れた音のなんと美しかったことか。

 その音以外にありえないものでした。

 「美とはその所有者の目の中にある」とシェイクスピアも言っています。

 美は聞き取れない、真実は常に美しいものであるとは限らない。

 私は自分に必要だからここに来ています。

 だからこそ、ここで泣くこともできるのです。


           ・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 この方は少年時代、戦争難民でロンドンに住んでいたそうです。

 ある時は14m近くに爆弾が落ちてきたこともあるそうですが、そのような環境の中でもヴァイオリンを練習して年月を重ねてこられたのでしょう。


今までは「音楽=美しいものではならない」と思い込んでいた私は、この一言に妙に感動いたしました。


 なんだ、最後のエネルギーの爆発が美しければ「美しいもの」になるだけじゃんか!!

 私の生き方も同じじゃない。

 今の私の生活レベルは経済的にも体力的にも(家の衛生状態も)とても人様に見せられるものじゃないけど

 でも、ど根性だけで「オリンピックまでは粘りまっせぃ」と騒ぎ、喘いでいる‘このエネルギー‘が、

 もしかしたら最後に花開くのかもしれないな~。

 
 私の好きなカルトナージュもお花も、丁寧に仕上がりを考えて作れば気持ちの良いものが出来ます。

 イヤイヤ作ったのもは、見るだけで不快に感じてしまいます。

 エネルギーの塊が爆発して「美しいもの」になるようですね。ん、納得♡


 で、ここからはがん患者ならではの思考だと思うのですが、

 自分の人生と重ねて考えてしまいます。

 なにせ私は、死に向かって歩いている事だけははっきりしています。

 人間誰しもそうなのですが、ゴールが見えているか見えていないかの違いですね。


 病気になった人は、大抵‘命の重さ‘や‘精いっぱい生きることの素晴らしさ‘を感じられるようになります。

 もちろん、その中には悩み・落ち込み・孤独感にさいななされ・人の言葉に傷つき…と

 言葉では言い尽くせない思いを抱えています。


 もちろん私も同じです。

 が、もしかしたら私は「自分が良ければそれが一番」というある意味・人生も芸術と同じだと思っていたのかも知れません。
  → いえいえ、自己中人間といえばそれまでなのですが


 1回しかない人生の最終章に入っているのは確かなのですから、

 自分がいなくなった時の周囲の人々を心配することも必要ですが、

 心配させない様に生きるより、自分らしく怒ったり・笑ったり・父と喧嘩したりしながら

 にぎやかに過ごしていてもいいんだなぁ~。


と、晴れ晴れした気分になって帰ってきました。


 昔の人は言いました。

「年寄りの話は聞くものだ」と。 全部が全部そうとは限りませんが(特に私の父w)

「亀の甲より年の功」があることは本当だと思います。


 年の功には期待できませんので、せめてエネルギーを圧縮して

 「誰にも代わってもらえない私の人生」の最後に綺麗な大輪の花を咲かせたいです。


 お爺ちゃん♡ありがとう。エネルギーをたくさん受け取りました。

 お身体に気を付けてヴァイオリン弾いてくださいね。


    花。    花。   花   花。    花。   花