「年賀状が書けない」…心の変化 | 卵巣がんになった`zaki‘の空間遊泳

卵巣がんになった`zaki‘の空間遊泳

2006年秋「悪性卵巣腫瘍の疑い」と告げられ、治療→再発転移を幾度も繰り返す。
◆受けた治療:手術4回・化学療法5ライン・放射線1回・がんカテーテル治療15回
◆現在: リムパーザ錠服用中
♫ 卵巣がんと長~くお付き合いしている、現役患者です。



いつの間にか、新しい年がやってまいりました。

2010年の時「200〇年」→「201〇年」になった!バンザーイバンザイ

と、感慨深く迎えた時から5回目のお正月。

‘何とか無事1年を会えることが出来た‘という安心感と共に、今までにない‘心の中のもやもや感‘を抱えながら年末を過ごしておりました。


11月に入ってから、ポツリポツリとポストの中に「喪中につき…」と書かれた黒字の葉書が入りだしまして、同じ病室で親しくなったり・がん関係のつながりで知り合ったりした方が逝かれた事が心から離れませんでした。


特に3年前に親しくなった方は、30年ほど前に‘私ががんの告知を受けた病院で、妊娠中であったのにもかかわらず子宮を摘出されてしまい、お子さんに恵まれることなく卵巣がんになってしまった‘と大変大きな心の傷を抱えながら、治療をされていらっしゃいました。

‘あなたはまだ若いし、お子さんもいるから頑張ってね‘と励ましてくださり、‘私は夫一人を残して逝くのが、一番気がかりでね‘とご主人を案じていらっしゃる、とっても素敵な笑顔の方でした。


この方が逝かれた知らせの葉書を受け取った時、

 ご主人が奥様の残された年賀状とか住所録を見ながら、悲しみをこらえて‘会った事も・どんな関係かもわからない人‘の名前を書いている姿が浮かびました。

知り合った次の年、また再発し手術したことを知らせたらとても心配してくださリました。

その後の夏の暑い時に「私ね、最近すごく具合が悪くて…。ほとんど寝たきりになっちゃった…」

と電話を頂きました。


その頃から、私も自分が1日を送るのが精いっぱいの状況が始まっていましたし、外出時にかかってきた電話だったので充分にお話をすることもできずに終わってしまいました。

その後連絡しようとは思いましたが、なかなかできずに

葉書を頂くに至ってしまいました。


その時に、見送られたご主人の悲しみが葉書から伝わって来まして…

普段は「いかに旅立つか」しか考えていなかった自分が、とっても身勝手な人間だなぁ~。

と気が付いてしまいました。


元々、「年賀状は限られた人」にしか送ってはいませんでしたが、今年は1枚も書いていません。

と云うか、頂いた年賀状にさえ返信をしていない状況です。


もし、今年(ないとは思いますが)突然私がいなくなったら

家族はこの頂いた年賀状を見ながら、黒い葉書を書くのかなぁ…


と思ったら、書けなくなってしまったのです。


毎年クリスマス過ぎに慌てて買う年賀状。なぜか今年は11月中に買っておきました。

いつも手抜きだから、たまには丁寧に出そうと考えていたのに。


3枚の黒い葉書が、残されたご家族の無念な思いを教えてくださいました。


「人間、いつかは死ぬもの」「人により寿命がある」「いつも背に死を感じて生きている」‥等

頭でわかっていても、やはり死は悲しいものですね。

そして「生きる」ことは自分だけでなく、家族にとっても大切な事なんですね。


いずれにせよ、私の再発3回卵巣がんは「がん細胞が、おとなしくしている期間をどれだけ長くキープできるか」が問題です。

肝転移した時点で、それはもうわかっていました。

運よくここまで来ましたので、もう少し(いやいや、まだまだ)頑張らなければなりません。


年末には実家で、毎度お馴染み「84歳の父との言い争い」もして来ました
(これって、疲れるんです…涙。でも、毎日顔を合わせている姉ではできないので、私のお役目になっています)

頑固な父ですが、やはり年には勝てません。3日目で歩み寄れました。

母とも、ひょんなドライブをすることとなってしまったし。
(母は、娘の年齢をいつも間違えます。一昨年まで私は10年間「42歳」でした。今年は「もう50歳は越えたよね。え~っと56歳!!」と答えたので「ブブー!それは、計算し過ぎですー。」と大笑い。結局20歳以降は、当てたことがありません)


私をすごく可愛がり心配してくれていた叔母は「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」とクリスマス前に診断され、いずれ筋肉が動かなくなり寝たきりになることがはっきりしました。

「大丈夫よ、覚悟は出来たから。」と力強く話しながらも、家族に迷惑かけることを心配していました。


年末年始、実は「みんな、みんな家族が一番‘頼りになり・支えあい・喜怒哀楽を共にして‘存在しているんだな~っ」て素肌で生々しく感じて衝撃を受けて、身も心もダウンしていたのです。
 (我が家に関しては、‘怒・楽‘が多い様に感じておりますが)

まるで心の中を、秋風が吹いているかのようでした。



しかし、こんな両親・姉夫婦たち・まだまだ子供のウチの娘っ子たちを私は持っている…


願わくば、年令の順に旅立てたらどんなに良い事か。


でも、最低でも両親と叔母を見送ってから逝くのが私の使命なので、弱った心にムチ入れよう!!

と、このブログを書いて私の2014年を出発したいと思います。


そして、万が一の為に「自筆の旅立ちのお知らせ」を準備し始めようかな~、と計画しています。

宛名もキチンと自分で書いて♡


でも取り合えず今は寒いので「暖かくなってから始めよか~」って頭の中だけで考えてマス。


ちょっと出足が遅れた2014年ですが、今年も「がん情報」に力を入れて少しでも皆様のお役にたてるような記事を書きたいと思っています。

今は1日の半分は意識が飛んでいるような状態ですが、それも時間稼ぎと思って「思いっきり‘ぐーたら‘しながら」日々を過ごすつもりです。

皆様とご縁を持てましたことを、心より感謝いたします。

また1年間、よろしくお願いいたします。