商工会という業界に入ったのは、私が29歳の時で昭和59年2月です。
統一経営指導員試験に合格して長野県の下伊那商工連に補助員として配属されました。新任まもなく、下伊那郡のとある商工会の講演会のお手伝いに行きました。100人近く集まる大きな事業で机を並べたり受付に立ったりしたのですが、驚いたのは二階大広間の広さです。公民館のようにステージがあって緞帳が付いています。
「すごいですね~」と言うと、先輩が「たいていの商工会にはこんな商工会館があるよ」と言うので、「へ~~~」ってなりました。
「この大広間は何に使うんですか?」と聞くと、「今日のような大きな講演会、年1回の総会、従業員表彰式・・・」などと10個くらいあげました。
「えっ、それだけ。365日のうち10日使って、あとの355日は?他の日は使わないんですか?」「総会のような大事な事業で使えなかったら困るから空けておくんだよ」
「へえ~~~」
という会話でした。
空けておくなんてもったいないよ。何かに使えるんじゃないか。と考え続けて17年。
平成13年2月の宮田ビジネス学院開校につながります。