達人の境地

 

般若心経の、色即是空におもう。

 

貧しいものは、幸いである。

 

それは、豊かになる、道

 

わたしから、距離を、とるようにしてください。

 

それは、私から、奪うことでは、得られない才能です。

 

それは、つまり、誰かから、奪うことでは、得られないものなのです。

 

豊かさ、とは、誰かから、奪うことによっては、得られません。

 

それは、相手のことを、ありのままに、そのままに、認める心であることです。

 

認めるけれども、決して、手は出さないのです。

 

自分にも、なにも、入れないのです。

 

相手の価値を認めながら、相手には、何もしない。

 

この状態を、維持することが、実は、豊かさの源泉です。

 

つまり、これが、愛です。

 

達人の、境地なのです。

 

つまり、たぶん、創造性とは、こういうところから、なのです。

 

それが多分、永遠の、命に入ることなのです。

 

こういうことから、なぜ、人が、苦難を超えて、成長でできるか、がわかってきます。

 

人々が、何かを、得たいと思いながら、ほかのことや人で我慢して、結局、豊かになれたりします。

 

おかしな話、偽物を得ることにさえ、意味がある、ということになります。

 

精神的な、豊かさを、得たい人が、モノを買う。これも、在り、ということになります。

ただ、その物の、価値を認めた時に、ということです。

 

貧しいながら、心の豊かさで、満たされる、ということも、おなじことかもしれません。

わたしは、精神的な豊かさを、体験したことがないので、分かりませんが・・・

 

 

実は、この、限りない、やせ我慢の、世界こそが、ひけつ、なのです。

 

 

この、境地が、可能になるためには、分かる、ということが必須です。

 

つまり、判別できる、する、ことなのです。

 

悪い行為は、悪いこと、である、とか、

 

では、自分が、何を本当に、求めているのか、とか、

 

こういうことを、理解できる、ことです。

 

物の、存在の価値、意味を、知っている、ということです。

 

結局、モノを、所有するということの、意味とは、そのものの、価値を知って、理解できるようになる、ということなのです。

 

自分の、モノにする、ということで、実現することなのです。

 

そのものの、価値を、理解できるからこそ、そのものの価値を、認めることができる心になれる、ということになります。

 

だから、結局、貧しい人は、まず、持たなければ、ならなかった、ということになるのではないでしょうか?

 

間違いを犯すことも、結局、間違いではない、ということではないかと思います。

 

すなわち、いままでのことは、すべて、間違いでは、なかった、ということではないでしょうか。

 

 

恋人同士の、別離、も、意味があるということです。

 

まず、知り合って、お互いの価値を知る。

 

そして、分かれる。

 

そして、長い期間を経て、そのことによって、それぞれの、存在の価値が、経験によって、豊かになって、

 

再会することで、得られるものが、在る、ということです。

 

分かる、ということが、分かる、につながる、不思議、です。

 

 

親である、ということの、真の価値、意味も、こういうことから考えると、分かります。