先日、知人の大学生がある講義で日経の社説 を読んだ上でレポートを提出するのだけれど、テーマがテーマだけに難しいのだという話を聞きました。

テーマというのは間近に控えた「裁判員制度」。

この時期、どこの大学でも同じような課題を出していたりするのでしょうか。


その社説の内容をかいつまむと、先日の最高裁判決、カレー毒物混入事件と痴漢事件のふたつが裁判員制度に与える影響が大きい、裁判員制度が導入されてこれまでの精密司法の負の部分が解消されることが期待されるが、粗雑司法になっては元も子もなく、法曹三者の責任は重い、と。


まあ、新聞屋さんが書きそうなことですよね。

そんな意見があっても別になんとも思わないのですが、ただ、その大学生は社説を無批判に受け入れていたので、それはちょっと違うよと苦言を。


新聞の読み方なんて人それぞれで、それに対する受け取り方はその人個人にまかせられるわけですが、ワタシが思うのは特に社説という類は、


ああ、そういう見方もあるんだな


って思うのならいいのですが、


ああ、そうなんだと納得してしまったらダメ


なのです。


日本人ってけっこうお人よしなのか、メディアが垂れ流す情報を無批判に受け入れてしまうことが多いような気がします。自分の興味がない分野、専門外の分野、無知の分野についてそのまま受け入れてしまうことは簡単に情報を手に入れられるから楽なのかもしれませんが、何事も物事は多角的に見なければならないと思うのです。


多分にメディアのいう情報っていうのは恣意的に歪曲されていたりするので注意が必要です。メディア側が意図していなくとも不完全な情報っていうのはよくあります。

特に裁判員制度についての報道については、もう少しなんとかならんかなあと思うところがあります。

負担感ばかり煽りますよね。


確かにワタシは裁判所側の人間なわけで、できればこれから始まる裁判員制度に対しては好意的に考えてほしいとブログを書いています。

ですが、反対意見があることも承知しますし、それは自然なことだと思います。

賛成の意見もあり、反対の意見もあって中立的な意見もある。その議論の中でより物事が見えてくると思います。

どうしてもメディアというのは視聴率を稼ぎたいのか、至極物事を単純化してしまって情報を伝えがちです。

そしてスキャンダルを好むのか、負の面ばかりを一斉に書き上げます。

別に負の部分を書いてもいいのです。ですが、優れた部分もあるのだということをもう少し伝えてもらってもいいのではないでしょうか。



さて、冒頭の社説。

ワタシのあくまで感想なので、そういう意見もあるんだ、と思ってほしいのですが、

まず、最高裁判決が裁判員制度に与える影響はありません。

社説では裁判員になる国民に対するメッセージだなんて書かれていましたが、まるでそんなことはありません。最高裁が一制度である裁判員制度に意識して裁判をすることはありません。

一事件について適正な判断をしただけのことです。

裁判員制度が導入されると(どうも裁判所側が多くの事件が短時間に審理が終わるとふれ込むからなのか)雑な裁判が行われるのではないかと危惧されるのですが、むしろ逆だと思っています。

これは公判前整理手続きを踏むからそう言えるです。

これは何かと言うと、短期間に審理を終わることを可能とするために、裁判が始まる前に当事者双方が争点や証拠を整理する作業をするのです。公判ではポイントに絞った主張、立証が行われます。これによってより核心的な審理が可能となるのです。

と言うのもこれまでは検察官が犯罪立証作業を終えた後、弁護人が反証していくという恐ろしく膨大な時間と手間隙をかけていたのです。それが精密司法として一定の理解を得られていたのですが、重箱の隅をつつくかのような主張も見受けられました。そういった弊害も解消されるでしょう。

裁判員裁判の対象となる事件は刑事事件のごくわずかなのですが、この対象事件の審理のあり方がほかの公判の審理に与える波及効果も無視できません。必ずやほかの事件審理もより充実したものに変貌していくはずなのです。