この時期になると、さきの戰爭をメディアが取り上げることが多くなる。大東亞戰爭に限らず戰爭の話になると、所謂平和主義者が持ち出す言葉がある。すなはち「義戰無し」である。以下にそれを象徴するURLを貼り、内容を引用する。原文の段落などは適宜改めた。
===
 【春秋に義戦無し】(しゅんじゅうに ぎせんなし)
 春秋に義戦無し。彼(かれ)、此(これ)より善きは、則(すなわ)ち之有り  《孟子 人心・下》
 「春秋」の書には真の意味の義戦はない。ただ、あの戦いよりこの戦いのほうが義にあっているという程度のものが指摘できるだけである。「春秋」には天子の命によって討伐するいわゆる義戦はほとんど見られない。《諸橋轍次著 中国古典名言辞典》
 戦争は、相対する国それぞれが大義を掲げてこれを始めます。それぞれにこの戦いは義戦であると言って戦いを始めます。大義とは人のふみ行うべき重大な道義。それぞれにそれを掲げて戦いを始めます。
  しかしそうして始められた戦争も、時をおいて冷静な目で点検すればそこには、当事者たちの言うところの義戦の姿を見つけることは出来ません。孟子の言うとおり、あの戦争を始めた理由は酷い、それに比べたらこっちはまだましだと言う程度の差がある程度。
 一つの戦いにおいても相対する国の一方が完全に善で、もう一方が完全に悪であるようなこともありません。一方が、他方よりいくらかましと言う程度の差なのです。
 孟子の言う「春秋」は孔子が書いたと言う歴史書、春秋に記された時代を指していますが、春秋という言葉には歴史という意味もあります。歴史という意味で春秋を捉えれば、孟子の言葉は現代までも含んだ長い歴史を指していった言葉とも解せます。歴史上に義戦は無いと。

 昭和16年12月 8日に日本とアメリカの間で戦争が始まった日です(※注)。始まるにあたっても、始めてからもそれぞれに大義を掲げた戦争であったことは、長い歴史の中に記録された他の多くの戦いと同じ。
 そして、それが歴史となったときにもう一度点検すると、他の多くの戦いとおなじくどちらの国も「義」のための戦いを戦ったわけではありませんでした。
(http://koyomi8.com/doc/mlko/200712080.htm)
===
 上記引用ではしつかりと「春秋に義戰無し」と引用してゐるだけ良心的である。中には「義戦無し。彼、此より善きは、則ち之有り」だけを引く者がゐて、明らかに自分の説に都合がよい樣に解釋しようとする。
 さて、今回問題とするのも前回と同じく『孟子』中の一説である。今回も注釋などを考へながら上記引用文を考察していきたい。まづ『孟子』のこの章の全文を引用する。
 「孟子曰、春秋無義戰、彼善於此、則有之矣。征者、上伐下也、敵國不相征也。」
 
 基本的に「春秋に義戰無し」の文意は、上記引用文中に出て來る諸橋先生の解釋に盡きるのであつて、他に付け足すことなどない。が、中國古典を專攻する一人の學生として屋下に屋を架す氣持ちで記す。
 〇「戦争は、相対する国それぞれが大義を掲げてこれを始めます。それぞれにこの戦いは義戦であると言って戦いを始めます。大義とは人のふみ行うべき重大な道義。それぞれにそれを掲げて戦いを始めます。」
 
 その通りである。

 〇「しかしそうして始められた戦争も、時をおいて冷静な目で点検すればそこには、当事者たちの言うところの義戦の姿を見つけることは出来ません。孟子の言うとおり、あの戦争を始めた理由は酷い、それに比べたらこっちはまだましだと言う程度の差がある程度。」

 前半はさうかも知れないが、後半は疑問である。つまり「孟子の言うとおり、あの戦争を始めた理由は酷い、それに比べたらこっちはまだましだと言う程度の差がある程度」と言ふ意味がどう言ふ意味なのかが問題で、ここで孟子の言葉が當てはまるのかが疑問なのである。
 今回も趙岐に登場して貰ふが、趙岐は注の冒頭でかう書く。「春秋所載戰伐之事(春秋に載せる所は戰伐の事なり)」と。「伐」が『孟子』文中の「上伐下」を意識するのは言ふまでもない。ここで孟子が言はむとしてゐることは、孔子が書いたとされる『春秋』には「戰伐」の事柄が書いてあるのだが、そこに「義戰」といふものはない。何故ならそこに書かれてゐることは、敵國の諸侯同士が戰ふことであり(敵國相征)、上(天子)が下(諸侯)を伐つたと言ふことではないからである。從つて相對的にましな戰爭と言ふものがあるだけである。
 朱子が「征所以正人也。諸侯有罪、則天子討而正之。此春秋所以無義戰也。(征とは人を正す所以なり。諸侯罪有らば則ち天子討ちて之を正す。此れ春秋に義戰無き所以なり)」と言ふのはこれである。
 要は、「義戰無し」と言つた後の理由が大事なのであつて、ここを無視して一般に敷衍して「義戰」「戰爭」にまで及ぼすのは少し思慮が足りないと言はなければならないのではないか。さうすると、

 〇「孟子の言う「春秋」は孔子が書いたと言う歴史書、春秋に記された時代を指していますが、春秋という言葉には歴史という意味もあります。歴史という意味で春秋を捉えれば、孟子の言葉は現代までも含んだ長い歴史を指していった言葉とも解せます。歴史上に義戦は無いと。」

 と言ふ文章は、このままでは、私は疑問符を付けざるを得ない。當然ここに、孟子が意識してゐたであらう「(天子が諸侯を討つと言ふ)義戰」の意を付け加へなければ、不十分である。
 なほ人は言ふかも知れない。「中國古典學には『斷章取義』といふものがある。そんなことは常識である」と。確かにその樣にして古典が現代に活用されるといつた面がある。しかし、だからと言つて、それは勝手な解釋を容認することを意味しない。ここの場合で言ふなら、孟子はあくまで、「孔子が書いた『春秋』には、天子が諸侯を討つといふ『義戰』はない」と言つたのであつて、「(戰爭するに當たつて)義戰はない」と言つたのではない。從つて本來なら「歴史上に義戦は無い」とまで言つていいのかも疑問なのである。